自立学習のその先の「自発学習」を目指す

中学受験体験記(保護者編)

保護者の方からお寄せいただいた体験記をご紹介します。

H・Hくんのお父様の中学受験体験記new
(2018年度 芝中 慶應中等部一次 桐朋中 東京都市大中 他合格)

 一月三一日、入試の前日に最終授業を終えた息子を塾に迎えに行った帰り、「良い先生、良い仲間に恵まれ、○○君に算数で負けて悔しい思いもして、受験勉強は楽しかった。アテナに通えて本当によかった。」と本人が呟きました。そして迎えた入試本番。次々と受験校に合格していく様子を見て、「本命の慶應中等部も合格する」と家族全員が信じていました。
一次試験を通過し、気力十分で臨んだ二次試験での不合格。過酷な最後が待っていました。本人は数日間、悔しさで立ち直るのが大変でしたが、塾や学校の友人と会って遊んだり、我慢していたゲームを再開したりして、少しずついつもの明るさを取り戻しています。自分の意思で過酷な勝負を挑み、最後まで自分を信じて試験会場に臨む息子の姿は、親ながら本当に尊敬していましたし、これからの人生も、どちらか迷ったらまた困難な道を選んで挑戦していって欲しいと願っています。

アテナに体験入塾したのは四年生の十一月でした。中学受験に挑戦しようと妻と話し、私は仕事帰りにいくつもの中学受験塾に訪問して出来る限り代表者と話を重ねました。規模に拘らず、「論理的に話をしてくれるか」、「情熱はあるか」、「整理整頓されているか」、などの視点で十件程度の訪問を重ね、宮本先生にたどり着きました。妻を連れて再度面談させて頂き、妻もすぐに入塾に同意、アテナへの通塾が始まりました(正確には定員がいっぱいでウエイティングでしたが無事に入塾できました)。
五年生の一学期、土曜日は少年野球と両立をしながら、それでも遅刻せずに何とかアテナに通う感じだったと思います。本人は、入試直前期よりもこの時期が一番辛かったようです。五年生の夏休み、学校がない中で塾と野球だけの世界となり、落ち着いて授業と家庭学習をこなしました。妻は夏季講習期間中だけ会社に無理を言って業務時間を変更、私も取得できる夏季休暇はすべて塾が休みの日に取得、午前中の短い時間で一緒に家庭学習に取り組みました。家族一丸で臨んだ五年生の夏休みを越えた頃から結果が出始め、大好きな歴史の勉強も絡めながら受験勉強のペースを掴んでいきました。

【家庭学習の振り返り】
【国語】読み込まなければ解けない選択問題や、深みのある記述は最後まで点数が取れませんでした。こればかりは子供の成熟度と相関関係があると思います。ですが、先生の著書にもある通り、国語は親子の会話を磨くことに尽きると思いました。具体的にどう会話するかについては、授業終わりの宮本先生と生徒達の会話をコソ聞きすると明確になります!
【算数】親が挑戦しようと決めた中学受験、五年生の間、算数について時間が許す限り私も同じ問題に挑戦し、子供から宮本先生の解法を教わりました。父子の目標は「算数のチェックテストを1回でクリアすること」のみ。二学期に入って算数のチェックテストをほぼ一回でクリアするようになり、算数に関する親のサポートは終了、その後は宮本先生の指示された課題に取り組んでいました。
【社会】先生の仰る通り、五割は歴史です。『日本の歴史』のマンガも良いですが、我が家がハマったのはマンガ版『その時歴史が動いた』でした。妻が図書館で繰り返し借りてきてくれ、家の中のどこかにこのマンガが置いてあり、親子で何度も読み返しては、細かなシーンを再現していました。戦国時代や明治維新の詳細な人間関係が魅力的に描写されており、歴史の流れを学ぶにも十分な内容なのでオススメです。
【理科】計算問題はそこまで苦手意識がなかったものの、六年生の冬になっても植物、地学、化学などの苦手を克服できない状況でした。そこで「皆ができる問題を落とさないこと」を目標に、十二月から板書ノートの復習と『ゴロ理科』を繰り返しました。ゴロ理科の内容をより目で理解するため、学研の『ビジュアル理科』を六年生の十二月の末に購入し、ゴロ理科と併用して親子の口頭試問(一日三〇分程度)を日課とし、最後に理科の苦手を何とかできるレベルに仕上げました。
以上、こう書くと私のアイデアのようですが、先生が二月の説明会で教えてくれたことばかりです。

【第二志望以下の学校選定について】
息子にとって中学受験は慶應中等部に合格することだけでした。それ以外の学校はどこも同じだったようで、第二志望以下を決めるのは親の役割でした。妻は候補となりそうな学校の説明会には全て参加し、学校の様子を肌で感じながら絞り込みをし、そこから私が過去問を見て最後の絞り込みをしました。さすがに算数の過去問は理解しきれませんが、その他の教科は答えを見れば親でも少しは理解できます。親も過去問にトライすることで、各校が求める生徒像、子供との相性、そして偏差値表が鵜呑みにできないことが本当によく分かりました。

最後に、塾を選ぶ際には、どうしても大手塾の情報量に惹かれる部分があると思います。ですが、アテナでは、六年生の二学期になると、先生が学校別の外部模試を勧めてくれ、十分な情報はここで手に入ることが分かります。私は、中学受験塾という高額な商品を選ぶ際に一番大切なことは「教える熱意とスキル」、そして「相性」だと思います。大手塾では到底かなわない、「教える熱意とスキル」がアテナにはあります。息子は本当に苦しい思いを重ねながら、それでも折れずに挑戦を続けました。その折れない心を、二年間じっくり待ちながら育ててくれたのは宮本先生です。宮本先生、二年間本当にありがとうございました。この出会いに心から感謝致します。

M・Tさんのお母様の中学受験体験記new
(2018年度 吉祥女子中・光塩女子学院中・恵泉女学園中 他合格)

三年前、最初にアテナの「天体」の体験授業を子どもと一緒に受け、私自身が面白く思い、子どもが四年生になってからアテナに入塾しました。
子どもは、アテナには楽しく通っていたものの、普段の生活は遊び中心で、成績自体はずっと低迷していました。授業の前に行われる計算チェックテストも再テストの常連でした。再テストのお知らせがくるたびに、またかとがっかりしたのを思い出します。
そのような状態でしたので、志望校として考えた吉祥女子は到底無理ではないかと思い、別の学校を志望校として考え始めました。ただ、宮本先生との面談時に、「吉祥女子を目指して頑張る気持ちがあるならば、それに合った指導をします、私を信じてついてきてください」と言われました。私は、偏差値がかなり足りていないけれど大丈夫かな、でも志望は低いより高い方がいいなと思い直し、親としても、あくまで第一志望は吉祥女子と決めました。
もっとも、子ども自身は、六年生になっても、勉強に身が入らない生活が続き、学校から帰ると遊びに出かけてしまいますし、家でもゲームをしたりテレビを見たりして過ごすことが少なくありませんでした。親からは子どもに「こんないい加減な勉強態度なら、受験をやめたほうがよい」と何度も話しました。しかし、子どもは、宮本先生の授業が大好きで、仲良しの友達もいるアテナをやめたくないと頑として言い続けました。

六年生の夏前に、「このまま真剣に勉強をしないならば、受験をする意味がない」と本気でお説教をしました。子どもは吉祥女子に通いたいという気持ちが強かったようで、夏頃から、苦手な算数を中心にテキストの演習問題などをしっかり復習するようになり始めました。その結果、多かった計算ミスが少しずつですが減るようになってきました。また、六年生の夏といっても子どもにとって受験はまだ先というイメージがあったようで、とりあえず毎月の模試や、定期的に行われるチェックテストなどを目標に勉強するようにしました。そして、六年生の秋からは成績が向上し始めました。
それでも、吉祥女子のハードルは高く、過去問演習をしても、合格最低点にはなかなか届かない状態が続いていました。しかし、子どもは吉祥女子を目指すという気持ちを一貫して変えず、宮本先生の指示に従い、ずっと吉祥女子の過去問演習を続けていたところ、直前になって、合格点を少し超えるようになってきました。後から思うと、最後まで諦めずに第一志望校を目指し、過去問演習をこなしていたのがよかったのではないかと思います。

二月一日の吉祥女子の入試は不合格でした。もともと、二月二日は第二志望校を受けようと子どもとも話していました。しかし、一番過去問演習を重ねていたのが吉祥女子でしたから、子どもが二日にも吉祥女子を受験したいと後で言い出すかもしれないと思い、夫と相談し、子どもには内緒で、二日の吉祥女子の入試にも出願しておきました。
子どもは、一日目の合格発表を何度も無言で見返してから、二日目も吉祥女子を受けたいと言い出しました。私としては、二日目は第二志望校を受けて、確実に合格を決めてほしいという気持ちがあり、第二志望校を受ける方が良いのではないかと子どもに話しました。そんな時、宮本先生から励ましのお電話をいただき、悩みに悩んだ末、試験時間の一時間前に、子ども自身がやっぱり第一志望校の吉祥女子を受けると決断し、最終的に二日目も吉祥女子を受験することに決めました。その結果、合格を手にすることができました。

アテナでは、ほかの塾ではない体験学習がたくさんありました。子どもは、広島や奈良の夏合宿をはじめ、スキーやバスツアー、その他様々な体験学習などにほとんど参加させていただきました。昆虫講座ではカブトムシの幼虫をいただき、六年の春から秋にかけてカブトムシを数匹育てたりもしていました(カブトムシの世話を毎日したのは、ほとんど親でしたが)。
子どもは、宮本先生を慕い、そして、アテナでの様々な社会勉強なども通して、学ぶことの楽しさを体験し、子どもなりに、大事な年ごろの時期の受験を乗り越え、精神的にも少し成長できたのではないかと思います。
最後の最後まで子どもを温かい目で見守り指導してくださった宮本先生には、感謝の気持ちで一杯です。
これまでご指導いただき、本当にありがとうございました。

D・Iくんのお母様の中学受験体験記new
(2018年度 世田谷学園中・東京農大第一中・西武文理中特選 他合格)

 受験体験記を書くにあたり、まず宮本先生に心より御礼申し上げます。お陰様で素晴らしい受験生活を送ることができました。
中学受験を経験したことのない私たち夫婦には、息子の中学受験のすべてが全くの手探りから始まりました。その中で宮本先生の著書『はじめての中学受験』に出会えたことは、本当にラッキーなことでした。「中学受験はゴールではない」、「中学受験を成功させたいなら子どもを自立させろ」という言葉。当たり前に聞こえるけれど、一生懸命になるあまり見失いがちなことだと共感し、入塾させていただきました。

「自分にはアテナ以外にない」と、最初の見学で一目惚れした息子の、宮本先生とアテナに対する信頼は最初から絶大なものでした。宮本先生の分かりやすく、興味を引き出すような授業がとても好きだったようです。アテナに入って最初の月例テストは無残な成績でしたが、学年が上がるに連れて目に見えて成績が上がってきました。また、「このニュースについて、宮もっちゃんはこう言ってたよ」、「これこれってこう言う意味なんだって、宮もっちゃんに聞いた」など、家での会話もアカデミックになっていきました。先生の犹談瓩發垢戮討力になったのだと思います。体で学ぶ『しゃかりかクラブ』や合宿は、毎回とても楽しみにしていました。クラスメイトと友情を深めることができ、勉強への意欲も駆り立てられたようです。休日返上で、子どもたちの好奇心を刺激するような企画を立てて下さる先生には、頭が下がる思いでした。

そうして迎えた最終学年。息子の志望校は、入試で算数が難しいのは言うまでもなく、社会はほとんどが記述式の学校でした。夏期講習でやった過去問は惨憺たる結果でした。宮本先生からも第1希望の変更をアドバイスされました。宮本先生が勧めてくださった学校も素晴らしい学校だったのですが、息子は頑として譲りませんでした。宮本先生は息子の気持ちを汲んでくださり、励ましながら熱心に指導してくださいました。
このように申し上げると、2年半しっかり受験勉強していたかのように思われてしまうかもしれませんが、実はそんなことはないのです…。アテナの授業中だけは集中して頑張っていたようですが、家では最低限の宿題しかせず、ゴロゴロしたり、学校から帰るなりランドセルを放り投げて遊びに行ってしまったり。そんな姿を見るたびに、何度宮本先生に泣きついたことでしょう。最後に訴えた時には、「塾ではしっかりやっているので、家ではのんびりさせてあげてください」とのお言葉。受験本番まで残り数ヶ月で親としては焦っていましたが、この言葉で救われました。
しかしそういうわけで、漢字日記・計算日記・短文作成をかなりやり残してしまったのは、本当に残念でした。しっかり取り組めていたら、間違いなく算数や国語の基礎学力はもっと安定し、問題を解くときの正確さやスピードも向上していたでしょう。「難しい志望校なのだから自覚を持って自分でやりなさい」、「基礎力の訓練が大切だ」と声がけし、自発的に志望校に見合った努力をしだすところまで期待していましたが、息子の場合はもっと横に座って伴走してあげ、癖やペースを作る手助けをしてあげるべきだったと今は思っています。ここは、親の力不足でもあったのではないかと反省しています。
とはいえ、あくまでも第1志望を譲らず、受験直前の年末からはアテナの授業後もギリギリまで自習室で勉強して帰ってくる姿を見て、初めて息子に逞しさを感じました。そうした意味では自覚はできたのでしょう。十二月後半になると社会の記述もできるようになり、過去問で合格ラインに達するようになりました。本人が第一志望の学校に入ることしか頭にないため、宮本先生と相談して私たち夫婦が気に入った学校2校を第2希望とし、最後まで第1志望の対策に力を入れました。

受験生活を送っていると、親にも子にも色々な情報が入ってきます。そうした情報に惑わされず、自分の道をひたすら進むことは難しいことです。悩みや相談が出てきたとき、宮本先生がそれらをすべて受け止めて、ご経験に裏打ちされた的確なアドバイスをくださったお陰で、最後まで迷うことなく受験に臨むことができました。
息子の受験を振り返って、語らずに済ませられないもの、それはアテナの仲間たちの存在です。「仲の良い学年は良い結果を出す」とは宮本先生のお言葉ですが、仲間たちと最後まで高め合う、励まし合う姿は羨ましくもありました。素晴らしい出会いに本当に感謝しています。良い関係がこれからも続いていくと良いなと思っています。
一月校の入試直前、息子は「早く始まって欲しい」とウキウキでした。こんな気持ちで受験ができるなんて、想像すらしていませんでした。2月1日午前の第1志望では、試験の途中から具合が悪くなり、最後の教科は保健室受験をすることになって冷や汗を流しましたが、午後から持ち直し、その後全ての予定をクリアすることができました。どの学校でも、校門のところで宮本先生に電話をして励ましていただきました。大変ありがたかったです。残念ながらあんなに行きたがっていた第1志望にご縁はいただけませんでしたが、第2志望の2校には合格をいただくことができました。本人も手応えは感じられたようで、すぐ立ち直り、今では新生活をとても楽しみにしています。

息子は、アテナに入った頃は初めての環境に戸惑って友達も作れず、右手の骨折なども重なって、アテナは嫌いではないのに行けないことも度々ありました。その度に宮本先生は電話で説得してくださったり、アドバイスを下さったりしました。それから2年半の時を経て、学ぶことの楽しさを知り、仲の良い爛薀ぅ丱覘瓩燭舛叛杳琢磨しながら自分の想いをぶれずに実現しようとする息子に成長しました。親として、合否以上に、これほど嬉しいことはありません。

S・Kさんのお母様の中学受験体験記new
(2018年度 吉祥女子中・富士見中 他合格)

 「中学受験しようかな」
突然そう言い出したのは、四年生の一月末頃でした。
それまで何の準備も知識もなかったので、慌てて図書館で関係書をかき集め、その中に宮本先生の「はじめての中学受験」がありました。メールで問い合わせて、体験授業をし、入会するまで一週間。ちょうど五年生の授業が始まる所に滑り込みました。
通い始めた頃は、チェックテストは毎回再テスト、たった5問の算数の宿題に3時間もかかるなど、勉強のペースがつかめず苦労しました。でも、授業で今まで知らなかった事を知るのは楽しかったようで、授業の後は脳が興奮状態でなかなか寝付けないこともありました。電車で通っていたので、帰りの電車でその日の授業で聞いた事を教えてもらうのが、私も楽しかったです。特に宮本先生の雑談の話が。

受験勉強を始めると同時に志望校探しも始まりました。娘の一番の希望は「女子校」でした。色んな学校のホームページを見たり、合同説明会などに行ってみたり、いくつか候補は上がりました。五年生の間にそれらの学校のオープンキャンパスや文化祭に行って、第一志望校が決まりました。六年生になってからは首都模試の会場を興味のある学校にし、試験の間に学校説明会に参加しました。
六年生の九月以降は、月・水・土の授業の他に、日曜日や祝日に過去問演習が始まります。午前中に過去問を解いて午後解き直しをするのですが、解き直しに時間がかかりその日中には終わらないことが度々でした。また学校の方も二学期は行事が多く六年生は役割も多いため、両立するのが大変そうでした。宿題や解き直しが終わらない時は、宮本先生に連絡をして待ってもらったり、過去問演習を一回休んで解き直しを優先させてもらったり、相談しながら融通していただきました。

受験間際は特に睡眠をきちんととる事、消化の良い食事をとる事などに気をつけました。そして普段通り家の手伝いもさせていました(大した仕事ではないのですが)何事にも時間がかかるので、前日にゆっくりと持ち物や洋服を用意し当日の朝慌てないようにしました。合格発表で受験番号を見つけた時の嬉しそうな顔を見た時「中学受験をさせてよかったな」と思いました。
アテナでは、6年生になると計算チェックテストをやるのですが、時々ランキング表を持って帰ってきます。そこには今までの歴代の生徒さんの点数と進学先が載っていて、自分の志望校に進んだ先輩が同じ時期どのくらいの点を取っていたのか比べることができます。また、中学生になった先輩が時々遊びに来てくれて、身近に目標を感じながら勉強できたのがとても良かったと思います。これからは、塾生の皆さんが憧れる中学生となり、自分がしてもらった様に、後輩の受験を応援して欲しいと思います。

宮本先生やチューターの先生には大変お世話になりました。中学受験で勉強漬けになるのは反対だったのですが、アテナでは、しゃかりかクラブや夏の合宿など、体験学習も多くあり、楽しみながら勉強ができました。本当にありがとうございました。

K・Oくんのお母様の中学受験体験記new
(2018年度 桐朋中・暁星中・西武文理中特待 他合格)

【アテナとの出会い】
同じ小学校の先輩お母様から、三人の御子息が通ってとても良い塾があると聞いていたのが、アテナでした。中学受験がいかなるものか、皆目見当のつかずの我が家にとって、ありがたい情報で、自宅から自転車で十分というのも魅力でした。知識欲だけは人一倍強く、理屈っぽい一人っ子の息子は、宮本先生の授業にぐいぐい吸い込まれるようになりました。夜の山登りで天体観測、カレー作り、磯探検、授業以外でも興味や関心を満たして下さる宮本先生は、息子にとっても、親にとっても、ワクワクの泉の様な存在でした。入塾は四年生の最後、今回卒塾アテナメンバーとしては、ラストでした。

【五年生だらだら期】
最初こそ、テストの結果は良かったものの、地道に努力する訳でなく、新しく習う算数の解法は大好きではありましたが、計算ミスを多発。理科はウキウキ。地理は全く覚えず。国語はそこそこ、漢字は適当。マンスリーテストの結果は下降線をたどり、とうとう、宮本先生にアテナでの成績は底辺にいると言われる程になりました。計算日記もやったり、やらなかったり。基本的に自宅で夜は学習せず、登校前にアテナの宿題と学校の宿題をやっていました。宮本先生は息子に合った学習法を様々考えて下さいましたが、ほうっておくと、好きな科学雑誌や機械の本を読んでいて、アテナの授業は大好きで、喜んで通ってはいるけれど、この先どうなってゆくのかわからず、親としては、困った感ありの時期でした。幾つかマニアックな男子向きの学校の文化祭に家族で行っておりました。武蔵、桐朋は魅力的でした。

【六年上昇期】
六年になり、本人の目的意識がはっきりしてきたこと、精神的に少し成長してきたこと、宮本先生によく相談したこと等が相乗効果となり、テストの結果も上昇してきました。首都圏模試は相性が良かったようで、本人の自信につながりました。社会は近現代史になると、覚えなきゃいけない科目から、関連の本を探すなど、ウキウキの楽しみな科目になりました。それでも、週に三回通塾、春期講習、夏期講習、冬期講習、模試、ラスト一年とはいえ、スケジュールはびっちりで、小学生とは思えない状況に正直びっくりしました。
我が家は近いので楽な方だったと思います。電車、バスで通塾されているメンバーは本当に大変だな、ご家族のサポートも偉いな、と思っておりました。子供たちは皆、常に楽しそうに通っていました。授業以外でも、プールに行ったり(メンバーのお父様が付き添って下さった!ありがたい!)模試の後に図書館に行ったり、アテナメンバーと過ごす楽しい時間もありました。しゃかりかクラブも全参加で、毎回楽しみにしていました。広島、スキー、鎌倉、奈良、イベントも盛りだくさんで、勉強以外の生活面や集団行動もご指導くださいました。有り難かったです。本当に楽しそうな日々でした。

【六年最終混迷期】
夏休みから、早く過去問を解きたいと言っていたものの、点数は合格最低点に遥か及ばず、このあたりは、楽天的な母でも、さすがに焦りました。アテナを紹介してくれたお母様が、これからの宮本先生の手綱さばきは見事なものよ、とおっしゃっていたので、見守ろうと、サポートに徹することにしました。先輩アテナ生の御子息方はラストスパートが凄かったので、息子も同じようなペースかと想像していましたが、全く違いました。夜は殆ど勉強しませんでした。
十二月後半は少し疲れが出ているようで、年末は朝の自宅学習をお休みするように、宮本先生から言われたようです。アテナのある日は十時就寝、翌日は六時起床のタイムテーブルでした。一月はほぼ学校はお休みしました。担任の先生が受験に理解があったこと、受験率が全体に高い学年だったことは、ありがたいことでした。朝九時にアテナに行き、過去問を解き、お弁当。解き直しをして夕方帰宅しました。アテナそばの大好きな吉祥寺図書館が改装中の為、九月から三月まで閉鎖ですので、寄り道出来なかったのは本人には不本意でも、アテナで集中して学習できて、結果的には良かったと思いました。
一月になり、志望校を決める段階になり、本人も親も迷いました。かなり迷いました。問題の傾向や、本人との相性など、宮本先生が細かく見てくださいました。本人のモチベーションの扱い、親の考えを汲んでのご指導は、まさしく、見事な手綱さばきであったと実感できました。先輩ママの言葉通りでした。最後の最後に第一志望を桐朋としました。宇宙や星に興味がある息子に良い環境でした。なかなか最終決断出来なかった私たちですが、宮本先生は忍耐強く待って下さったのだと思います。桐朋はほぼ大丈夫でしょうと、心強い言葉をかけてくださいました。

【二月日】
あまり緊張しないと言っていた息子が、さすがに今日はちょっと緊張するなと言っておりました。国立駅からは真っ直ぐに延びる大学通りを進み、校門の手前にニコニコ笑顔の桐朋中学1年生のアテナの先輩とそのお兄様のお顔が見えました。先生は当日桐朋には行けないけれど、強力な助っ人を派遣するので、楽しみにしていてと、息子に話して下さっていたそうです。二人はアテナでやってきたことを落ち着いて発揮すれば、絶対大丈夫。努力は裏切らない。桐朋は楽しい良い学校だから、四月から学校で待っていると激励して、合格と書いたカイロを手渡してくれました。リラックスして試験に取り組めた様で、寒い中朝早くから待っていてくれたお二人に本当に感謝しました。午後は頭が働かないらしく、午後受験は考えませんでした。夜一〇時、合格を確認しましたが、本人は既に就寝しており、翌朝伝えました。宮本先生にはメールでお知らせしました。とても喜んでくださいました。その後、算数の問題との相性が良くなかった暁星にも合格しました。

【終わってみて】
アテナに行く後ろ姿は、いつもウキウキと嬉しそうでした。宮本先生の知的好奇心を刺激してくれる授業や、話しが横道にそれた時の面白さは最高だったようです。楽しいメンバーにも恵まれたと思います。ラストは過去問の連続で、さすがに疲れてきたかなと思いました。本人の体験記を読むと『家族で激励会と称して焼き肉店に行った』『第1志望発表の翌朝、母の寝ぼけ気味の声が合格を知らせた』等の記述があり、学習は宮本先生に安心してお任せしていて、親は息抜きやサポートに徹し、本人を追い詰めなかったのが、結果としては良かった様に思います。模試の会場に行く途中では、多くの塾の勧誘パンフが配られていました。息子と私は下を向き、アテナを愛しているから要りませんと、いつも大笑いしながら歩きました。甘酸っぱい、楽しい思い出です。宮本先生が子供たちひとりひとりに、愛情を持ってご指導くださり、子供たちも先生が大好きです。中学受験の先の子供の成長まで考えてくださるアテナにお世話になれたことを、心より感謝いたします。

Y・Sさんのお母様の中学受験体験記new
(2018年度 恵泉女学園中・国府台女子中・西武文理中特待 他合格)

親子ともに全力で駆け抜けた中学受験が終わり、二週間が経とうとしています。
娘はすっかり受験勉強から解放され、学校のお友達と思いきり外で遊んだり、自由に好きな本を読んだり、休日に家族揃って出かけたりと大満喫しています。つい二週間前まであの渦中にいたことが、今は信じられないような思いです。

【入塾のきっかけ】
我が家はもともと私も夫も公立中学出身ですので、娘に中学受験をさせようなどとは全く思っておりませんでした。三年生の時に友人に誘われて、なんとなく受けた新聞社主催のテストで、とある大手塾のモニターのような権利を得たので、それならとりあえず試してみる?くらいの気持ちでした。その後一年間大手塾に通いましたが、毎回の授業で理解が出来ず、親がつきっきりでないと宿題が出来ない。授業でテキストの半分くらいまでしか辿り着いていないのにテストには出題されるなど、親子ともにストレスも溜まり先行きに不安を感じるようになりました。そして知人の紹介でアテナ進学ゼミを知り(ご子息が通われていた)宮本先生の著書を読み、その理念に感銘を受けて四年生の夏に転塾することに決めました。
一人っ子で親の私も中学受験に関しては何もかもが初めてのことだらけ。今思えば小さなことで不安になったり気負ったりしていました。そんな時、宮本先生に「朝でも夜でも、不安なことがあればいつでもご連絡くださいね!」と仰っていただきとても心強く、安心したことを思い出します。その後も学習の進捗状況、親が気付かないような娘の変化、メンタルの部分まで細やかに目を配ってくださり、本当に我が家は宮本先生なしでは語れない! というほどに信頼を寄せていくこととなりました。

【五年生】
学習面で一番大変だなと思った時期は五年生の中頃です。今までなかった理科と社会が加わり、算数も重要単元目白押し! 元々の性格もゆっくりのんびりな娘ですので、周りのペースに追いつかずに未消化のまま次から次へと降りかかります。この時期、毎回のように来る「再テストメール」に親としては大丈夫かしらと不安になりますが、宮本先生は「理解不足な子は居残りさせて何度でもわかるまで解説します。今日は遅くなります!」と本当に熱心にご指導していただきました。

【他の塾にはないアテナの良さ】
アテナ進学ゼミは勉強漬けではありません。広島合宿、京都奈良合宿、スキーツアー、鎌倉探訪、長瀞地層ツアー、富岡製糸場見学、陣場山星空観察など、本当に沢山の場所へ連れ出していただき、何よりの貴重な経験をさせていただきました。アテナ進学ゼミの一番の良さはここにあるのではないかなと思います。中学受験は、まだ十歳〜十二歳の子どもが、色々な自然体験を元に身体と精神の成長を遂げる時期だと思っており、その期間を勉強だけに費やすということに、マイナスのイメージを持っていました。しかしアテナ進学ゼミではそんなことはなく、まず宮本先生が先頭に立ち誰よりも張り切って子ども達を遊びに連れ出してくれる。その姿に子ども達は「一緒に本気で遊んでくれる、向き合ってくれる、叱ってくれる、信頼できる」と感じる、その結果、最終的にしっかり宮本先生と共に、この過酷な受験を乗り越えて行こうと思えるのだろうと感じました。

【六年生】
六年生の夏にもなると、ハードスケジュールです。夏休みは朝から晩まで、アテナで猛勉強。ですが驚くことに帰宅する娘はなぜか晴れやかな表情です。きっとアテナにいる時間も仲間と一緒に充実した時間を過ごしているのだろうなと感じました。夏の京都奈良合宿もしっかり参加して、後半はいよいよ過去問にチャレンジです。五〜六校の学校を選び、その傾向が本人とあっているかどうかをチェックしていただきます。その結果を見ると偏差値はあくまで目安であり、学校の向き不向きがあるのだということが分かりました。それはつまり、その学校が求めている生徒像を映し出しているのだと思います。この「相性」も学校選びの重要なポイントだと思います。娘はその中から、特に以前からお気に入りの学校を二つに絞って進めていくことになりました。

【学校選び】
学校選びについては、親が子どもに協力できる一番大切なポイントではないかと思います。
学校に入れば六年間をその学校で過ごすことになります。人間形成に一番重要な思春期を過ごす場所です。そのような場所をただの数字だけで判断するのはとても危険です。我が家は四年生の秋頃から学校見学を始めましたが、本当に学校の特色、理念、そして先生方の様子、生徒さんの雰囲気は様々です。そのご家庭の方針と学校の理念が大きく違うとどんなに高偏差値であっても、通い始めれば大きな違和感や負担に変わっていくのだと感じました。我が家は偏差値幅二十くらいの中で十校以上見たと思いますが、娘が「ここが好きだな」と思える学校は意外と少なかったです。最初は良いと思ったけれど、何度か行くうちに「あれ?」と思うようになった学校もあり、気になった学校は数回訪れるようにしました。その中で、吉祥女子中学校と恵泉女学園が娘にとっても、親にとっても、お気に入りの学校となっていきました。
とにかく通える範囲で受験する可能性がありそうだと思う学校は、四年生〜五年生のうちに必ずお子さんと一緒に見ておくことが大切だと思います。(六年生になると模試と重なってしまい、ほとんど週末は行くことが出来ませんでした)

【直前期〜入試本番】
親のカウントダウンとは裏腹に娘は至ってマイペース。グーーーン! とスイッチが入るわけでもなく、淡々とやるべきことを進めていました。最初はこれ受かるの? と思うような過去問の点数も、宮本先生に苦手な教科や単元を洗い出していただき、過去問対策ノートを作ってやりこむことで、少しずつ取れるようになっていきました。最終的には15年分近くの過去問に取り組みました。
一月に受けた二校は無事に合格をいただき、やはり「合格」というのは嬉しいものなのだ、努力に対してのご褒美なのだと感じました。娘にとっても自信になったと思います。二月入試に向けて、荷物のチェックや、前日、当日の朝の過ごし方などが経験できたことはとても良かったと思います。

【余談】
十二月あたりから、いつ入るのかな〜??? と期待していたスイッチは、結局のところ一月になっても見当たらず、私はその時にようやく分かったのです。娘はジェットエンジンもターボエンジンも備えてはおらず、しかし淡々とコツコツ、マイペースにやり続けることの出来る「ソーラーエコエコ女子」だということを…!
そうか、思えばずっとこの子はそうだったな。今まで急かしてきたことはあまり意味がなく、この浮き沈みの少ない持続力がこの子の持ち味なのだと納得したのです。もっと早く気づいていれば、お互いにもう少し上手く歯車を合わせて走ることが出来たかもしれないとは思いましたが……。もしかしたら女の子に多いタイプなのかもしれません。

【二月本番】
いよいよ二月一日です。娘は特に緊張する様子もなく、いつも通りにぐっすり眠って、朝もギリギリまで寝て、しっかり朝食を食べて出発。吉祥女子中の校門前は塾関係の先生の熱気溢れる応援と受験生のピリリとしたムードが印象的でした。宮本先生が応援に駆けつけてくださり、しっかりと握手を交わして振り返ることもなく入って行きました。この時点で合否よりも、ここまでしっかり成長した姿を見せてくれた、それだけで胸がいっぱいになりました。
試験会場から出てきた娘の足取りは重い。とにかく今は午後の恵泉女学園に向けて気持ちを切り替えようと、努めて明るく昼食を食べて向かいました。恵泉女学園に着くと、在校生の皆さんが笑顔で迎えてくれました。入試の前に校長先生から受験生へ向けて「今まで苦しい冬を乗り越えて頑張ってきた皆さんが、この学校を選んで、今日元気に来校してくれたことがとても嬉しいです。どうか力を出し切れますように」との温かなお話があり(各教室に中継されていました)緊張していた私の心もじんわりとほぐれていくような気持ちでした。温かいホールで待たせていただき、試験が終わった娘が戻って来て一言「なんだか光に包まれているような感覚だった。この学校やっぱりいいよね。通いたいな」と言いました。
その夜の結果発表は吉祥女子が不合格。娘はやっぱりなという感じで落ち込んではいましたが、納得しているようでした。少し後に恵泉女学園の発表。こちらは合格!「あった!」と嬉しそうな姿に親として心底ホッとしたのでした。そしてその後、娘は宮本先生の熱いサポートのもと、最後まで諦めずに吉祥女子へのチャレンジを続けました。その姿はエコエコ女子なりに積み上げて来た「凛とした逞しさ」を感じ、最終日、十倍の倍率にも怯まず挑み「今までで一番手応えがあった。やれることはやれた」と晴れやかな表情でした。最後まで闘えたことで得られた達成感は家族を一つにしてくれたと思います。最終的にご縁の繋がった恵泉女学園に進学することに決まり、娘の性格を思うとこれで良かったのだろう、両手を広げて迎えてくれた学校なのだと思えました。娘の祖母や大叔母達も恵泉卒なので、家族も皆とても喜んでくれて、本当に良かったと思っています。春からの娘の初々しい姿が今から楽しみです。
ここまで導いてくださった宮本先生、本当にありがとうございました。アテナを卒業したら、我が家の柱が一本無くなってしまうようで不安で寂しいですが、娘がアテナで身につけた学習姿勢をしっかり守ってくれると思っています。

【これから受験する皆様に我が家がお伝え出来ることは】
・どこに決まっても嬉しいと思える学校選びをすることが、親子ともに直前期の心の安定につながる
・スイッチはあるかもしれないが、ないかもしれない。エコエコ女子は五年生からしっかり土台作り(基礎や作図など)をする
・宮本先生を信じてついていく
この三つです。

ついつい長くなってしまいましたが、本当にアテナ進学ゼミで学べたことが、娘にとって財産になりました。これからの益々のご繁栄を、そして沢山の子どもたちがアテナから羽ばたいていきますようお祈りいたしております。ありがとうございました。

K・Kくん、T・Kくんのお母様の中学受験体験記
(2017年度 桐朋中・暁星中・西武文理中特選 他合格)

「合格体験記」ではなく「中学受験体験記」

 この欄は「合格体験記」ではなく、「中学受験体験記」だ。宮本先生は常日頃から、「『希望中学の合格』を目指すだけでなく、中学受験という体験そのものを人生の糧にして欲しい」とおっしゃっている。そんな、宮本先生らしいタイトルだと思う。そこで「中学受験体験記」を書くにあたり、第一希望校であった武蔵不合格のところから話を初めてみる。

2月2日 第一希望校、武蔵不合格

 我が家には、今年度の受験生だった双子の他に、4歳年上の長男がいる。宮本先生のご指導のもと、兄は、第一希望校の武蔵に合格。兄の武蔵生活は、実に楽しそうだ。弟たちは武蔵に足を運ぶ機会も多く、兄の友人である武蔵生が自宅に来ることもある。そんな家庭環境だったので、次男はアテナに入った当初から「武蔵に行く!」と言っていた。慎重派の三男は、当初こそ武蔵を第一希望校に掲げることに躊躇していたが、勉強に意欲と自信が出てきた5年生頃から武蔵受験を意識し始めたようだ。そんな我が家の中学受験は、「武蔵ありき」だった。それなのに・・。
 2月2日、午後5時。双子と合格発表を見に行った夫から、電話が入った。「二人とも、ダメだったよ」。「わかりました。双子は、どうしている?」「泣いているよ、ずっと」「そう。気をつけて帰ってきてね。夜ご飯は、お鍋。みんなでゆっくり食べよう」。帰宅した時には、双子は泣き止んでいた。夕食後、自分達から「よし! 明日の、受験票のセット始めるね」と、食卓から立ち上がった。

2月3日 暁星受験、桐朋発表

 2月3日は、暁星受験の日だった。第一希望校不合格の翌日、しかも2月校の合格がひとつもない中での最終受験日だ。「息子達に、何と声を掛けようか?」と思いながら朝食の用意をしていると、二人は自然に起きてきた。いつも通りの朝。敢えて、淡々と試験会場に送りだした。
 暁星の受験後、双子は父親と一緒に桐朋の発表を見に行った。自宅で待機していた私に、夫から連絡が入る。電話口に出た次男の「お母さん、桐朋もダメだった」と心細そうな声。私は「大丈夫! あなたの第二希望の暁星が残っているからね!」と、無我夢中で声を掛けた。次に電話口に出た三男は、「僕は大丈夫だったんだけど、受験票を家に忘れてきちゃったの」と言う。
 桐朋は、午後2時〜4時の間に受験票と入学手続き書類を交換しなければならない。時計を見ると午後2時半。桐朋までは1時間かかるので慌てて受験票を探し出し、普段着のまま家を飛び出した。国立の駅からは、タクシーに乗ることにした。タクシーが走り出すと、国立大学通りの景色が目に入ってきた。真っすぐの広い道の両脇には、桜の木。「これからは、桐朋の保護者としてこの景色を眺めることになるんだ」と思ったら、やっと嬉しさがこみ上げてきた。この日のことで特筆したいのは、桐朋が不合格だった次男が、合格した三男に対して、「第二希望合格、おめでとう!」と拍手をして言えたことだ。

2月4日暁星発表

 2月4日、暁星の発表日。九段下の駅を降りて暁星までの道は、少し坂道になっている。坂道のためなのか、足がなかなか前に進まず、もどかしい。 暁星の門を入ると、一足先に、夫と合格発表を見に行っていた次男のニコニコした顔が目に入った。「どうだった?」「合格したよ」。「本当? 本当なの???」涙が溢れてきた。宮本先生にすぐさま電話した。「先生、ありました、受験番号。合格しましたっ!」。今までの緊張が安堵に変わり、目の前の地面が歪んでみえるほど、私は泣き崩れてしまった。

三人三様の学校に通うということ

 ドラマチックな合格発表から、はや2週間。入学者説明会も終わった今、あらためて思うのは、「我が家的には、これがベストの受験結果だったんだ」ということだ。
 双子は「武蔵不合格」という体験を得て、武蔵生である「兄ちゃん」に対しての尊敬が深まったようだ。この体験は、今後の兄弟関係に良い作用がある気がしている。自由人の次男は家庭的なミッション・スクールの暁星で丁寧に。慎重な三男は、自由闊達な桐朋でのびのびと。それぞれの個性を補完して頂けそうな学校にご縁ができたことを、嬉しく思う。

さて。ここで双子が「中学受験体験記」を書き終えたようなので、目を通して思ったことを書く。

中学受験で培ったのは、レジリエンス

 レジリエンスとは、心の回復力、しなやかさのことをいう。人生には、思うようにいかないことが山ほどある。そんな時、現実に向き合い、「この失敗から学べることは何だろう?」と前向きに善後策を考えられる心のありようのことをレジリエンスという。私が息子達に、最もつけて欲しい力のひとつである。
 彼らの中学体験記を読むと、武蔵不合格という体験から立ち直っている姿が、それぞれの言葉で綴られている。「僕は、この受験で努力は裏切らないということを学びました」(次男)、「先生の、『果敢に立ち向かっていった二人を私は誇りに思います』という言葉で明日がんばろうと気持ちを切り替えることができました」(三男)。

なぜ、アテナでレジリエンスが育つのか?

 では、なぜアテナでレジリエンスが育ったのだろうか? 三男は、こんなふうにも書いている。「外部模試の結果が悪いたびに先生は、『次がんばろう』と声を掛けてくれ、その言葉が僕にとっての唯一の励ましとなった」。
 唯一の励まし! よほど先生の言葉が、息子の心に響いていたのだろう。ある時、宮本先生は、「教えるということは、根気です」とおっしゃっていた。息子たちがテストで思うような結果が出せなかった時、先生は具体的で的確な励ましを、都度、都度、根気強くして下さったのだと思う。先生の励ましで気持ちを立て直し、アドバイスに従って勉強して「成績が上がるという結果」を出せた。その成功体験の繰り返しが、彼らのレジリエンスを育ててくれたのだと感じている。

好奇心を刺激する授業

 宮本先生は、よく保護者宛にメールを下さる。「今日、先生からメールあった?」。毎日、学校から帰ってくると、開口一番、必ず彼らが言っていたセリフだ。「宮本先生の言葉は、一言も聞き漏らしたくない」という気迫すら感じた。保護者として宮本先生の授業を受けさせて頂くと、好奇心を刺激しながら、息つく暇もないほどの授業展開に、「これは、子どもが夢中になるはずだわ」と、納得した。
 アテナでは、しゃかりかクラブのように実体験から学ぶ機会も多く設けられている。座学に留まることなく、「学びたい!」と思う根っ子になる心(好奇心)を、実体験を交えながら手間ひまかけて丁寧に育てて頂いたと感じている。子どもは、正直だ。魅力的な授業をしつつ、全身全霊で自分に向き合ってくれる先生のことが大好きだった。「学びの手ほどき」を、そんな宮本先生にして頂けたことは、とてもラッキーだったと思う。

個人塾なので、相性の見極めは冷静に!

 宮本先生を褒めまくってしまったので、最後に少し言葉を足しておきたい。宮本先生は、個性的な方なので、相性の良し悪しはあると思う。アテナは、宮本先生が個人で経営されている塾なので、この「相性」は冷静に見極めた方が良いのではないか? と感じる。
 我が家は、相性が良かった。何より、宮本先生に教えて頂いて、子ども達が「あと伸び」した。長男は、武蔵に首の皮一枚という感じで突っ込んでもらったが、入学後にグンと伸びた。双子の最後1カ月のラストスパートも、壮観だった。「受験生」という車の運転席に座り、アクセルを踏み、前だけを見て駆け抜けた彼らの姿を見ることができて、私は「アテナでの中学受験体験」に、とても満足している。長男の受験の時から数えれば、足掛け5年、本当にお世話になりました! 

R・Iくんのお母様の中学受験体験記
(2017年度 城北中・東京農大第一中・西武文理中A特待 他合格)

【アテナに入会したきっかけ】

 中学受験するつもりで塾をどこにしよう?と考えたときに、これだけは押さえておきたいと思ったことは次の3点でした。
・睡眠時間を沢山とらないと活動できないタイプなので、睡眠時間は確保したい。(例えば大手塾だと、大量にだされる宿題をこなすだけで疲れ切ってしまうに違いない。)
・大量に出される宿題を、親がきっちり管理して子供にやらせないと進めていけないパターンの場合、親(=私)があれこれと言い過ぎてしまい、親子関係が悪化しそう!!家の中の雰囲気がとてつもなく悪くなるのでは??それは避けたい。
・大人に言われたことを、自分で考えずにこなすだけでは、大人になってから結局本人が困るし、自分の意思で頑張ることができるようになってほしい。
 ということで、偶然先生の書かれた本に出会い、吉祥寺に教室があることを知って早速体験授業を申し込みました。それまで普段8時半に寝ていたので、5年生になっていきなり8:20までの授業はきついと思い、4年生の秋から入会しました。

【大変だったこと】

 5年生のカリキュラムになって、社会が始まった時期が一番大変でした。社会で新しく、農業・水産業・工業等、知らないことが沢山でてきて宿題のプリントをやるだけで、精一杯。大変で大変で、泣いていました。一度、あまりにもつらくて塾に行くことができなくて、先生からお電話で活を入れてもらったことを今でもよく覚えています。(電話で泣いていました。)あれがあってから、本人もふっきれたように、なんとか頑張るようになり、塾に行くのが楽しいと言い始めました。
 模試が始まったのも大きな変化でした。土曜日に塾があって、日曜日に模試(午前受けて午後は解き直し)があると、土日で疲れ切ってしまい、翌日学校にいけない(けれども夕方の塾には行く)ということが度々ありました。また、塾から帰ってきて学校の宿題をやる→寝るのが遅くなり→翌日起きれなくて学校を遅刻(もしくは休む)ということも、何回かあり、「こんな状態でいいのだろうか?」と思ったりもしました。

【計算日記バトル】

 算数の授業で新しいことを習うのは楽しいけど、コツコツ努力することは大の苦手、な息子にとって計算日記は苦行でした。どれだけ口を酸っぱくして言っても、一週間毎日続けることはできませんでした。3日頑張っても、親がチェックし忘れると絶対やらない。答えが間違っているのに、(自分で丸付けをした際)全部大きく赤丸をつけている。答えはあっているのに何故か途中の式は間違っている。(答えだけ、解答みて直している?)いくら計算日記の重要性について説明して、本人もわかった、と言っているにも関わらず6年生の9月の時点でも全く改善しませんでした。ここまできたら、もうあきらめるしかない、という感じでした。(模試の結果をみても、最初の計算問題でポロポロ間違え、もったいない!と思ったこと数知れず・・・)ただし、6年2学期からは「計算チェックテスト」の直しだけはすぐ提出するよう本人が自分の意思で頑張っていました。

【習い事について】

 小さいころからピアノを習っていて、6年生8月末の発表会まで続けました。ピアノの先生と相談して、曲数を減らしてもらったり、一週間ごとの宿題を少なくしてもらったりして、細々と続けることができました。好きな曲を練習しているときは楽しいみたいでした。2月の受験が終わってからピアノを復活してまたレッスンを始めました。

【家族の協力】

 下にきょうだいがいるのですが、もともと、誰かが宿題をしている時にはテレビをつけない、ゲームをしない、というルールでした。が、6年生になって課題も増えてくると、本人が家にいる間はほとんどテレビ&ゲームができず、我慢させるのが大変でした。そこで、宮本先生と相談して、お兄ちゃんが塾のない日は無理だけど、塾に行っている日は、昨日の分も多めにテレビ&ゲームの時間を増やしてもいい、というルールにしました。これでなんとか乗り切りました。

【家族会議】

 コツコツ「計算日記」「漢字日記」「短文作成」するのは大の苦手。夏休みにテキストとは別に配られる練習問題テキスト(6年の場合はコンプリ)も、全くといっていいほどやらない、という状況。「本当に志望校に合格したいという気持ちがあるのか?やる気はあるのか?」という根本的な問題に行きつきました。6年生の1学期に、成績もあまりふるわず、本人の頑張りもあまり感じられない中、親だけが中学校の説明会に通いあれこれ考えている、という状況にむなしさを感じていました。主人とその現状を相談し、日曜日の朝に家族会議を開きました。そこで、「宮本先生からやりなさいと言われていることは絶対やること」「自分で何をいつやるのか計画をたてること」「やったかどうかを、親がチェックする」というルールを決めました。家族会議を定期的に開いて、その結果をチェックしながら、計画に無理があるようなら見直し、改善していくことにしました。
9月になっても、本人の意識がそれほど改善せず、次回の模試であまりにも結果が悪かった場合は第1志望校を考え直そう、と話し合いました。「努力することができる」というのも才能の一つ。それができないようなら、本人そこまで。と自分に言い聞かせ、9月の時点では、いつ本人の「やる気」が出てくるのか全くわからない中、見守るしかない状況でした。

【6年10月から本番まで】

 過去問を解くようになってから、本人の意識が変わってきたように思います。急にやる気がでてきて、模試の結果も急上昇。今までなかなか結果のでなかった算数も、急に伸び始めました。勉強の内容について親はノータッチ。やったことといえば、お弁当を作ることと、問題集や過去問のコピーを取ることくらいでした。学校の宿題が普通にたくさん出て、それをこなすのが大変そうでした。

【入試直前】

 1月に入ってから、学校を休んで塾に通うことについて。はじめは、何日も学校を休むことに抵抗がありました。12月の段階では本人も学校に行きたいと言っていてそのつもりでした。ですが、1月に入って1週間くらいたったとき宮本先生から直接声をかけていただき、また本人も「塾で頑張りたい」という気持ちになり、最終的には本人が親を説得して学校を休んで塾で頑張ることにしました。
朝9時から夕食前まで、ひたすら過去問や問題集を解く毎日で、「頑張りすぎだから、休憩したら?」と親が何度も声をかけるほどでした。リラックスできるようにと、少しだけテレビをみたり、簡単に読める面白い本なども時間を区切って読んでいました。また、宮本先生からの「入試直前の親の心構え」も非常に参考になり、自分も普段通りの生活をこころがけ、趣味の習い事をしたり、好きな本を読んだりして過ごしました。

【入試を終えて】

 第1志望の学校は残念ながら不合格でしたが、他はすべて合格することができました。1月に入ってから調子もよく、体調も問題なし、万全の状態で受験することができました。それで合格できなかったということは、もうこれはご縁がなかったとしか言いようがないのかな、と納得しています。(もちろん、不合格がわかったときはショックでしたが。)第2志望の学校も、説明会などでとても印象が良く気に入っていた学校だったので、4月から通うのを楽しみにしています。これだけ頑張った結果なので、悔いはなし!!という感じです。1月に学校を休むことについては悩みましたが、今思うと、あの時頑張っておいてよかったと思います。
 「本人がやる気を出して、本気で頑張ることができる」ということが分かったのが一番うれしいことでした。今後も、何か本気でやりたいと思った時に、息子は自分で頑張ることができる、と確信することができました。
 今まで熱い心で指導してくださった宮本先生に感謝いたします。本当にありがとうございました。

M・Yさんのお母様の中学受験体験記
(2017年度 三輪田中・山脇学園中・女子聖学院中・長崎日大中 他合格)

 かなりの天然でマイペース、不器用だけど真面目に頑張るコツコツ型の我が娘。こんなタイプの子は、きっと中高一貫校で勉強や部活に六年かけてじっくり取り組み、友人関係を築いていける環境の方が合っているのではと思い始めた頃、偶然書店で宮本先生の著書を手に取ったことがアテナ入塾のきっかけでした。体験授業を受けた娘はアテナをとても気に入り、入塾後も楽しく通っておりました。が、小四時の成績は惨憺たるもので、こんな成績で授業についていけるのか?そもそも受験なんてできるのか?不安は募る一方でした。そんな不安から、娘に厳しく当たってしまうことも度々で、このままでは母娘関係が崩壊してしまうのではないか、一体何の為に中学受験をさせようとしているのだろうかと、自問滋養しては自己嫌悪に陥るという負のスパイラルに完全にはまってしまいました。そんな時、宮本先生は娘の様子から状況を察してくださり、お電話を下さいました。先生に「大丈夫です。私に任せて下さい。」と言っていただき、宮本先生を信じてついていこうと思えたことで、心が軽くなったことを今でも思い出します。
   宮本先生が、娘の理解するペースを決して否定することなく、忍耐強く(親は感情的になってしまい、とても先生の真似はできません!)ご指導してくださったおかげで、あれほど苦手だった算数に少しずつ自信がもてるようになってからは、成績にも希望が見え始め、お気に入りの学校も見つかって、志望校合格を夢見て一直線。の、はずでしたが、相変わらずのんびり、受験生の自覚が見られない娘にまたもやイライラさせられる日々が続きました。
 六年の秋に過去問演習が始まってもなかなか点数が伸びず、時直しも解答丸写しでおしまいにしてしまっている様子を見て、「もう受験なんてやめてしまいなさい!」と怒鳴ってしまったこともありましたが、娘は絶対に志望校に行くんだと言い張り、彼女なりにコツコツ努力を重ねていきました。ところが、努力に反比例するかのように、算数の点数はみるみる下がっていき、なんで?と本人も落ち込み、とうとう十二月半ばには体調を崩してしまいました。今思えば、心も体も頭もパンク寸前だったのだと思います。数日間はひたすら眠って、勉強から離れたことでリセットできたのか、冬期講習以降は徐々に調子を取り戻していきました。とはいえ、一月に入っても過去問の出来はパッとせず、ずっと不安を抱えていました。精神的な幼さ故、その時々の気分が試験結果に大きく影響していることが見て取れたので、本人には「大丈夫!」と声を掛け続け、「問題は目で読まないで手で読もう」、「わかる問題から落ち着いて解こう」など、気を付けるべきことを箇条書きにしたメモをを下敷きに貼り、試験前には必ずそれを見て心を落ち着けて試験に取り組む練習をしました。ようやく、過去問で合格最低点クリアを連発できるようになったのは、本番まであと二週間というときでした。
   そしていよいよ本番の二月一日。行きの電車の中では不安と緊張でいっぱいの娘でしたが、「やり切ったよ。問題用紙をいっぱい汚してきたよ。」と言って試験会場から出て来た娘の顔はとても晴れやかで、「ああ、悔いのない受験ができて良かった。」と思いました。そして当日夜、合格発表。「やったー、合格!」娘は号泣しながら、宮本先生に報告の電話を入れました。二日は、力だめしのつもりでチャレンジ受験。こちらもまさかの合格。結果的には全戦全勝で中学受験を終えることができました。三年前には想像もしなかったことです。きっと、アテナでなければこの結果を手にすることはできなかったと思います。
 宮本先生は、子どもの個性をつぶすことなく、あたたかく寄り添いながら的確にご指導くださいます。だからこそ、娘も宮本先生を全面的に信頼し、一度も「やめる」と言うことなく頑張れたのだと思います。私はと言えば先生の「否定的な言葉掛けは避けて」という言いつけも守れず、入試直前にもオタオタして、「午後受験の学校を探してください!」と先生に電話してしまうような受験生の娘としては及第点をもらえそうにない母でしたが、いつも冷静に、広い心で対応下さる宮本先生だったからこそ、この三年間を乗り切れたのだと思います。本当にありがとうございました。
 今回の中学受験では、時に心折れそうになることもありましたが、ひと山乗り越えられたことで、私たち親子の関係も新たなステージに入ることができた気がします。これは、想定外の嬉しい収穫でした。
 これから始まる中学生活、娘には、アテナで初めて気づいた「学ぶ楽しさ」「知る喜び」を忘れずに、大いにエンジョイし、大きく羽ばたいてほしいと願っています。
   改めて、宮本先生、そして三年間一緒に頑張ったお友達みんな、本当にありがとうございました。

Y・Mくんのお父様の中学受験体験記
(2017年度 桐朋中・成蹊中・東京農大第一中・学習院中 他合格)

 今年、長男は第一志望の学校に合格することができました。1月試験の学校に始まり、出願した6校のうち5校において合格を勝ち取ることができ、親子ともども理想的な結果で中学受験を終了することができました。
 3年前にも長女がアテナにお世話になり、やはり第一志望の学校に合格することができました。長男が中学受験をしたいと言い出したのは、第一志望を目指して一生懸命頑張り最終的に目標を達成した姉の姿を間近に見ていたことが大きく影響したと思います。
 そこで長男の塾をどうするかと考えた時には迷わずまた宮本先生にお願いしようと思いました。宮本先生の指導は生徒一人一人の個性と習熟度、志望校に向けての学習到達度を絶妙に図りながら進めていくという正にプロフェッショナルなものだと感じていましたので、長女とは個性の異なる長男も安心してお願いできると確信していたためです。
 6年生になりいよいよ受験勉強も本格化してきたころのことです。家で長男が「先生が。。」と話しだすとそれは宮本先生のことを指すようになっていることに気が付きました。5年生の頃までは親が勉強を教える機会が多かったのですが、この頃になると自力で問題を解こうと必死で試行錯誤するようになり、先生との信頼関係の深まりとともに子供が一段階成長したことを感じました。長女の時には最後の最後まで勉強を見ていたのですが、長男にはこの時点で自立心が芽生えたことにある種の喪失感を覚えつつも頼もしさを感じました。
 夏期講習と広島合宿という夏のビッグイベントが終わり、いよいよ志望校に的を絞った過去問演習や模試が始まるとどうしても毎回の結果に一喜一憂してしまいます。親としては結果がどうであれ努めてポジティブな言葉をかけるように心がけましたが、如何せんこの頃になると子供も経験を積んできて客観的に自分がどのあたりにいるのかを把握しており、親の不安も見透かして少し冷めたような反応が見受けられることもありました。そこで、妻と宮本先生に面談に伺いこれからのラストスパートの戦略や日頃の不安を率直に相談すると、「なんの心配もないですよ。このまま地道に学習を進めていけば第一志望には絶対合格できます。」とキッパリ。お陰様で気分的に楽になり、勉強の心配はあまりしないでとにかく健康を保つことと精神的に落ち着いていられるように配慮することに努めることにしました。
 9月から開始した過去問演習では初めのころは合格最低点マイナス数十点があたりまえでしたが、毎回解きなおしノートに不正解だった問題を解きなおして理解の足りなかった部分をきちんと理解するということを繰り返し行いました。回を追うごとに志望校の出題傾向や自分の得意不得意問題が細かく理解できるようになり、効率よく問題を解いていくこともできるようになったためか日を追うごとに学力が伸びていくことを実感できるようになりました。今だから言えますが、冬期講習が始まるころにはこの成長曲線に沿って行けばまず間違いなく第一志望校に合格できるだろうなと思い始めました。
 1月の前哨戦の学校。試験終了後に手ごたえ十分と言う顔で会場から出てきた長男を見た時にはまた一段成長したような印象を受け、継続的に努力していると子供はこういう風に成長するものなのかと驚きを新たにしました。
 いよいよ本番の2月1日、午前と午後の受験を終え、くたくたになって帰宅。夜10時過ぎWeb発表で合格を確認し、既に就寝していた長男に合格を伝えると心底ほっとした顔で「よかったー」と。妻と娘と受験番号をかわるがわる確認し、初日で第一志望に合格できた喜びを家族全員でかみ締めました。
 二人の子供の中学受験でお世話になり、二回とも第一志望に導いていただいた宮本先生には感謝してもしきれません。概ね4年間のお付き合いをさせていただいた経験から、大手塾は言うに及ばず一般的な塾ではアテナほど子供が成長する機会を与えてくるところは無いと思いました。普段の教室の授業では、科目ごとの授業を淡々と進めるというよりは理科と社会が融合的に教えられたり、教室の授業だけでなく鎌倉や秩父、陣馬山に足を運んだり、カレーを実際に作ってみたりして実体験を通しての授業は、五感を使って学ぶというアクティブラーニングの実践でした。
 普段の生活態度や社会性、身の回りの出来事に対する考え方や幅広い世の中の成り立ちなどについても考えさせてくれる機会を与えていただきました。改めて感謝申し上げます。

A・Kさんのお父様の中学受験体験記
(2017年度 東京学芸大竹早中・専修大松戸中 他合格)

「長女の受験から得た経験」

この度は長女の受験に関してお世話になった宮本先生に厚く御礼申し上げます。長女だけでなく、私たち親もこの受験を通して多くのことを学びましたし、その経験を次の兄弟に実践して行きたいと思っております。
アテナのHPに掲載されている受験体験記や親御さんの体験記を読ませて頂くと、受験生が心の中から湧き出てくるヤル気によって、受験が支えられていることがよくわかります。しかし、我が家では状況が全く異なっていたため、希少ケースとして私が文章を書かなければいけないという使命感が、私の心の中からフツフツと湧いてきました。
長女の成績は飛び抜けて出来る科目もなく、全教科横並びで推移しておりました。宮本先生との面接でも、「ノートをしっかりと取っているので大丈夫です!そのうちヤル気スイッチが入りますよ。」との事でした。妻も「小学生らしく勉強して、自分でヤル気が出るようになったら成績も上がるわよ。」というスタンスを取っておりました。しかし、成績は上がらず、でも、下がらず。メスを入れようにも悪い場所が分からず、親の不安が募るばかりでした。宮本先生からは少し子供から距離を置いて結果を見てくださいと何度も言われましたが、目を離すと長編小説を山のように読み、全く勉強する気配はありません。月例テストの前だけチョコチョコッとやっているだけなのです。夏に志望校を決定する家族会議をしたところ、昨年から学校見学や説明会に行っている渋谷幕張にどうしても行きたい!ということで、長女自ら第一志望を決定しました。私ども夫婦は少し不安に感じることがありましたが、私の職場で渋谷幕張卒業の大学生から学風を聞くと、そのすばらしさに親が完全に飲み込まれてしまいました。この段階で私どもの夫婦のヤル気スイッチが長女より先に「オン」の状態になったのです。
夏休み明けから渋幕の過去問を解き始めますが、最初の算数の過去問がなんと9点!宮本先生も心の中では何回かは志望校の変更を考えているだろうな?と私どもは感じておりました。9月、10月共にスイッチ入らず。入試100日を切っても、まだスイッチ入らず。私が仕事から帰って「スイッチはどう?」と妻に聞くと「入ってないよーー。」との返答が繰り返されるばかりです。長女にしてみれば過去問の点数が延びてこないため困惑していたのでしょう。苦手な範囲を聞いても、宮本先生に教わっているから分かるとの主張は変わらずです。

11月23日早稲アカの渋幕対策テストの帰りの車の中で、長女から忘れもしない発言が飛び出したのです。
 長女:パパ、あのさー、渋幕の過去問休んでいい?
 私 :なんで?
 長女:私さー、社会は選挙と憲法。理科は生物全般。算数は速さが、実は全く分かんないんだよー。だから、暗記した方がいいと思うんだけど。
 私 :宮本先生に言った?
 長女:言ってないよ。折角教えてもらったのに分からないって言えないじゃん。だからさー、弱い所だけ丸暗記しようと思うんだけど、どう思う?
(今まで自分で勉強に対しての主張をまったく言ってこなかった長女が自分の弱点を初めて語ったのでした。)
 私 :スイッチ入った感じがしない?
 長女:するかも、、、。
渋幕の受験日までちょうど2ヶ月前のことでした。

早速家に帰り、参考書の苦手な箇所を夫婦でハイライトをつけ、長女の暗記モードがスタートしたのです。毎日午前0時まで、アテナがある日は帰宅が午後10時30分なので、午前1時まで続けました。妻は遅くまで勉強することに反対をしていましたが、長女のスイッチが入った途端、家族が一丸となり応援したのです。[注意!長女は「馬鹿がつくほどのポジティブな性格」だから出来たことで、絶対にマネをしないでください]

12月の月例テストは全ての教科で自己最高点を出し、宮本先生との面談でも長女をうまくのせて頂きました。その後の渋幕の過去問では、合格最低点を超え始め、家族で暗記の成果を実感したのです。我が家では予想合格最低点を4教科で170点と設定しました。長女は渋幕の国語はいつも70−80点を取っておりましので、残りの3教科で100点を取ればよいのです。私たちは突拍子もない問題が出ないことを祈るばかりでした。
そして試験日を迎え、宮本先生の正門での激励を貰い、長女は誇らしげな後ろ姿を私に見せながら階段を登って行きました。四谷大塚から国語以外の3教科の模範解答が即日アップロードされたのを見て自己採点をしました。3教科で108点。国語がいつも通りなら、合格最低点が通年通りなら、など家族で神頼みをしていたのでした。合格発表は多くの学校でインターネットを利用しています。渋幕も同様ですが、妻は「今後のためになる!」と、合格発表を見に行くことになりました。不合格でも、どのような子達が合格しているのかを感じ取るためで、将来に必ず役に立つと考えたのです。
結果は不合格でした。インターネットで発表された合格最低点は165点。国語であまり点数が良くなかったようです。自分の一番自信のあった国語でしたので、長女は非常に悔しがっていました。縁あって第二志望に合格したので、渋幕の合格発表の際に心に刻まれた映像が、長女の今後の爆発的進歩に繋がることを願うこととしました。
アテナへの通塾には片道1時間15分、車中では寝ていたり、本を読んだりしていたそうです。多い週は4回通い、帰りは体力的に限界になっていたのでしょう。スイッチが入らないときには「電車の中で何をやっているんだ?」と叱ったこともありました。今考えると、親として少しキツかったかな?と反省してしまいます。しかし、受験が終わった今は、長女の顔が幼少期アメリカで生活していたときのように自信に満ちあふれ、笑いながら毎日を過ごしていることをみると、長女の受験から得たものの大きさを我が家で感じている毎日です。

[余談]
中学受験に親がどれだけ介入するのかと不思議に思ったことがあります。親同士の会話では「あまり介入しておらず、塾に任せっきりです。」という回答が多いのです。私の職場で大学生教育の際に「小学校の時に勉強を自主的にしてた?」と聞くようにしています。男女御三家を出身としている生徒が多いですが、その回答は「相当な親の介入があった。でも、親に感謝している」というのが10人中7−8人にみられます。このことを聞いて、私は長女にも将来そう言ってもらえるのかを楽しみに次女の中学受験の作戦を練っているのです。

[宮本先生への感想]
アテナは吉祥寺の駅前に塾を構え、大手塾と比較すると低価格で、さらに入塾試験を行わず少人数制ということを考えると経営面でとてもご苦労があったのではないかと予想いたします。宮本先生は武蔵中学・高校から、国家が次世代の日本経済を担う人材を育成する目的を持っている名門・一橋大学をご卒業されています。長女が入塾した2年前、どのように採算性のある塾経営のビジョンをお持ちなのか疑問に思ったことがあります。しかし、長女が卒業を迎えた今、アテナから送り出した生徒の輝かしい合格実績が支えとなり、また、教育したことへの達成感が宮本先生の明日へのモチベーションになっていると実感いたしました。中学受験が現在話題になっており、塾同士の競争も激化しております。そのなかで、アテナ進学ゼミは本年度、目出度く10周年を迎えております。すなわち、このことは宮本先生のビジョンが現代社会に適合してる裏付けと考えられるのではないでしょうか。この先、アテナ進学ゼミのさらなる進化を応援しております。

M・Sさんのお母様の中学受験体験記
(2016年度 吉祥女子中・浦和明の星女子中・東京農大第一中 他合格)

 「私が自分で見るから、ぜっったいにのぞきこまないでね!」
 娘はそういいながらパソコンに向かい第一志望の合格発表を確認しました。口では私も主人も、「ダメだったら二日目受ければいいよ〜」と余裕の口ぶりで話していたのですが、内心はとてもビクビクしていました。「!!!あ、あった!あった!」と娘が文字通り飛び跳ねながら叫ぶのを聞いて、本当にホッとして座り込みました。我が家にとっては初めての中学受験でしたが、宮本先生のご指導を受けて、本当に良かったと思いました。
 元々、娘を塾に通わせようと思ったきっかけが、3年生の終わりごろに娘が発した「勉強なんて全然面白くないんだけど」という一言でした。私も主人も中学受験は全く考えていなかったのですが、娘の勉強に対するこの印象は本当にまずいと思い、4年生になったタイミングで大手の個人指導塾の門を叩きました。その塾は教師と生徒が1対1で教えるスタイルで、勉強に全く自信が持てなかった娘が初めに経験する勉強方法としては良かったのですが、「まずは勉強を好きになってもらいたいために塾に通わせている」とお伝えしても、とにかく難易度の高い学校を受験させようとする姿勢や、オプションオプションで結果として最初のご説明の倍近くになる学費など運営姿勢に疑問を持つことが増え、5年生になるタイミングで転塾を考えていた時に知人からアテナ進学ゼミを紹介してもらいました。
 アテナに通い始めてから娘の勉強に対する意識は変わりました。算数がパズルを解くように面白くなり、社会で先生がお話してくださる小話を家で披露してくれるようになりました。「勉強って面白いんだね」その言葉を言うのを聞いて、塾に通わせようと思った一番の目的が達成されたと思いました。
 5年生の夏頃に受験をすることを決めました。志望校選びでも宮本先生はとても親身になってくださり色々な学校を紹介してくださいました。娘の事、そして「自立した人間になって欲しい」という我が家の子育ての方針を良く理解してくださっていたのだと思います。先生が進めてくださった学校はすべて説明会や学園祭などで見学に行きましたが、どの学校も魅力的でなるほどと思わせるビジョンを持っていました。その中から吉祥女子を第一志望に決めました。
 志望校を決めた後、親としてやらなくてはいけないことは、お弁当を作ること、過去問を入手すること、願書を提出するなどの事務手続きをすること、以上でした。3人の子育てと仕事でいっぱいいっぱいだった我が家にとって、勉強をすべて宮本先生にお任せできた点は本当に助かりました。時には妹たちとテレビを見ている姿に「宿題やったの?」と口を出したくなることもありましたが、宮本先生と娘を信頼してお任せしようと思いました。
 アテナ進学ゼミで、娘は勉強の面白さ、継続して努力することの大切さ、そして努力は自分自身でするしかないということ、この3つを学んでくれたのではと思います。この3つは娘がこれからの人生で困難にぶつかったときにきっと助けになることでしょう。志望校合格だけでなく、人生において大切なことを教えてくださった宮本先生には本当に感謝しております。
 さて我が家にはもう2人、妹が控えております。長女とは全く違ったキャラクターの二人ですが、「受験したい」と言い出した時には、またアテナ進学ゼミにお世話になりたいと思っております。自由人の妹たちを宮本先生がどのように御するのか、想像するだけで楽しみです。
 宮本先生、本当にありがとうございました。そして今後ともよろしくお願いいたします。

K・Kさんのお母様の中学受験体験記
(2016年度 成蹊中・恵泉女学園中・西武文理中特選 他合格)

 娘は小4、5と大手進学塾Sに通っておりました。そこでの成績はいまひとつといった状態。娘は努力家ですが努力が実を結ばない状態だったので、親としてはせっかく時間をかけて勉強するならちゃんと実になるような指導をしてくれる塾がいいと思い、転塾を決め宮本先生にお願いいたしました。
 アテナに通い始めると勉強が解るようになったらしく苦手な算数も嫌がらないようになってきました。しかしながら大嫌いな社会はいつまでも手がつけられず、結局取り組み始めたのが11月でした。これで受験に間に合うのか、と心配でした。
 12月最後の月例テストで、どうにか志望校のチャレンジにエントリー出来るくらいに仕上がってきました。苦手教科克服のため、何度娘の尻を叩いたことか!反抗期と重なり家の中の空気の悪さに私自身家出したいと何度思ったことか!顔に怒りジワができ毎晩呪文のように美容クリームを塗りこみ、何度ため息をついたことか!
 しかし、辛く苦しいのは娘自身。なかなか伸びない成績に本人自身イラ立っていることも多かったように思います。気分転換に友達と遊んでも家に帰れば受験勉強という現実に11歳の娘はストレスを爆発させることもしばしばありました。母親の私は娘のストレスと上手く付き合えず喧嘩もたびたび。これは子育てをしていく上での私の課題のような気がしています。
 6年生の一年間はこんな調子でジタバタあがいていたような気がします。
 しかし、ジタバタしながらも娘は着実に力をつけていたんです!宮本先生の指導の下、大好きな理科はさらに得意教科になり、算数も解けることが楽しくなってきて嬉しそうに解けた問題の話をしてくれました。これは着実に学力が付いてきたあらわれだったように思います。
 一月に入りいよいよです。このころは体調管理となるべくリラックスムードを作るよう心掛けました。一言言いたいときもガマンです。プレッシャーにつぶされないように注意をはらいました。
 第一志望の過去問はしましたが、第二志望の学校については実はまだ迷いがありました。なんとなく娘と合わないような気がしていたからです。先生には「どうしますか?」と直前にも聞かれ「二月一日の試験結果によって決めます」と保留状態に。
 迷いがあるため一応全く志望校に入れてはいなかった夫希望のS校の過去問を一月下旬に購入しておきました。
 今思えばこの準備がよかった!
 二月一日の受験の結果、第一志望の学校には縁がなかったものの午後受験の学校は合格をいただきました。先生に報告。娘に二月二日の学校をどうするか聞くと、あんまり受けたくないと言いました。そこで全く別の夫押しのS校の話をしてみました。宮本先生は午後受験の学校で娘がいいなら終わらせてもいいと思います、と言ってくださいました。でも正直のところまだ二月一日。受験期間はまだ4日間も残っている。三年間の勉強の結果を一日で終わらせるのはなんだかもったいない、まだチャレンジできる!と思っていました。そこで準備していた夫希望のS校の過去問を娘に渡すと、パラっと開き算数の問題を見て「こういう問題、私好きだな」と言いました。この言葉を聞いて「もしかして!」と思いました。娘には「明日過去問を解いてマイナス10点なら受験してみる?」と話して、翌日の二月二日、初のS校過去問トライ。合格最低点よりプラス20点。まぐれかも?と思うも先生に報告して受験を決めました。さらに翌日の三日、プラス14点.。娘に笑顔が戻りました。私は急いで受験の手続きに自転車を走らせました。自転車をこぎながら友人からの励ましの言葉が頭にこだましていました。それは第一志望は叶わなかったけど、まだ諦めてない旨を伝えた時に返ってきた言葉です。
 「諦めないで
 後ろを振り返らないで
 前へ
 前へ
 とにかく進んで」
 この言葉に勇気をもらい胸を熱くしながら自転車をこいだ思い出は私の一生の宝物だと思っています。宮本先生からは「悔いのないようにがんばってください!」と。

 二月四日S校受験。受験会場は当たり前ですが人が多く呑み込まれそうになりました。娘は落ち着いた様子で会場へ。私は後ろ姿を見送るだけ。泣いても笑ってもこれが最後です。
 試験終了後、娘は「理科と社会は上手くいったよ。算数は出来ないところもあったけど大丈夫、六割は取れてる。国語はわからない。」と報告をしてくれました。この報告の意味は、つまり結構自信ある、ってことなのです。不合格だった第一志望のときは「国語ができなかった」の一言だけでした。
 今回は手応えがあった様子でしたがS校の二回目女子の定員数はわずか20人。そこに160人くらいの女子が受験するのです。合格なんて奇跡だよ、と娘に伝えました。
 親としては娘が嬉しそうに苦手だった社会の問題の話をしてくれるだけで、戦ったことは無駄じゃなかった、次につながる3年間だったと思い、涙がこみ上げてきました。
 夜の九時、ネットで合格発表。奇跡の合格!!最後にS校に拾っていただけました。
 宮本先生は我が家より先に確認されておられ電話をくださいました。電話口から先生の興奮した様子が伝わってきました。「おめでとー!」最後に叫んでおられました(笑)
 三年間の努力と諦めない気持ちが実を結んだ価値のある合格。こうしてS校合格は娘に笑顔と自信を取り戻してくれたのです。
 宮本先生は「第一志望でもいいくらいの学校だよね。」とおっしゃって、とても喜んでくださいました。今振りかえると、S校の出題と娘の相性がたまたまよかったんだと思います。
 改めて思うのは宮本先生が娘に勉強の仕方や楽しさを教え、しっかりと力を伸ばしてくださっていたのだなぁということです。そして教えてくださった勉強の仕方はきっとこの先も娘の肥やしとなっていくのだと思います。中学受験がゴールではないのですから。
 アテナにお世話になったのは6年生の一年間だけでしたが、この一年間の娘の成長は宮本先生なくしては語れないくらい濃い時間だったように思います。
 宮本先生には感謝の言葉しかありません。
 本当にありがとうございました。
 そして共に戦ったアテナのお友達にもありがとう&お疲れ様でした、と伝えたいです。

 余談ですが、実は1月29日に下の娘がインフルエンザになるというハプニングがおそい、恐ろしい緊張感に我が家はつつまれました。完全隔離し無事乗り越えました。娘の友人は肺炎で入院し病院から車いすにて保健室受験をしたり、別の友人は骨折して足を引きずりながら受験したりと、さまざまでした。
 いろんなことを想定して本番に臨みますが、想定外のアクシデントやハプニングはおこりうるものだと思い知らされました。
 そして、それもひっくるめてすべてが受験なのだと思います。

Y・Hくんのお父様の中学受験体験記
(2016年度 巣鴨中・茗溪学園中 他合格)

【なぜ受験?〜我が家のきっかけ】

 当初、長男は受験に向いていないと思っていた。小さい頃からマイペースな性格で競争が嫌い。幼稚園の頃は周囲がサッカーや野球を始めていても見向きもしなかった。それでも何かスポーツをさせたいと思い、いろいろ勧めた結果、ようやく本人が気に入ったのが空手だった。当時、仮面ライダーに憧れていたのもあるが、恐らく気に入った一番の理由は「周りで誰もやっていないから」だったようだ。それほど競争が嫌いで、裏を返せば自尊心が高い性格は受験には向かないと思っていた。
 また、私と家内は地方出身。東京の受験事情はおろか、どんな学校があるのかさえ全く予備知識が無かった。当然ながら中学受験という言葉はどこか他人事のようにしか思えなかった。故に長男が小学4年生になって、多くの学校のお友達が塾に通うようになったという話を聞いても、「ウチもそろそろどこか通わせた方が良いのかねぇ?」とのんびりした会話をしていたくらいだった。
 ところがある日突然、長男が自分から「中学受験したい」と言い出したのだ。クラスメートとの会話の中で受験が話題になっていたこともあったが、学級内に粗暴なグループが出来ていて、「中学生になったら楽しく遊べる友達が多い学校に行きたい」というのが大きな理由だった。この当時、宇宙に関心が高かった長男は「宇宙の話が出来るような友達がたくさんいる学校に行きたい」と。健気で、涙が出そうになった。「よし、それなら中学受験をして、そういう友達がたくさんいる学校に行こう!」こうして我が家の中学受験がスタートした。
 ちなみにその後、学校では素敵な先生に恵まれ、粗暴なグループも雲散霧消。今や卒業したくないと言い出していることは学校の名誉のため付記しておかなくてはなるまい。

【どこの塾が良いのか?】

 こうして我が家では塾選びがスタートした。大手進学塾のパンフレットを取り寄せ、ネットでの評判とにらめっこする日々が続いた。ただ調べれば調べるほど、長男の「競争嫌いで自尊心が強い」性格には向かない気がして、家内とため息ばかりついていた。
 一方で、私自身の大学受験での経験も塾選びを慎重にさせていた。やみくもに問題を解くのではなく、常に俯瞰で全体像を捉え、穴を埋めていけば試験には対応できる、目標とそれに向けた全体像さえ見えていれば、最終到達点に至るまでのプロセスはどんな方法でも良い…そんな自らの経験に基づく思いが常に頭の中にあった。
 では中学受験はどうなのか。いくつかの参考書を手にとって確認してみた。大学受験に比べれば覚えるべき単元の分量も少なく、算数ならテクニックは100程度。全体像の把握は容易だ。ならばそこまでいかにアプローチするか、その方法論だけが重要だと考えるようになった。
 すなわちどんな塾へ行っても結果として覚えるべきポイントは一緒だ。ならば面倒見が良くて、長男にやる気を持たせてくれる塾が良い、そう考えた時、某大手進学塾でなくてはならないという固定観念は自然と消えていった。自尊心が強い長男には、塾で上位に入るという達成感、成功体験が味わえる方が良いーすなわち少人数の塾が良いのではないかというのが夫婦で出した結論だった。

【なぜアテナ進学ゼミだったのか?】

 それではどこが長男の性格に合う塾なのか。そんな時、偶然手にとった本が宮本先生の著書「はじめての中学受験」だった。中学受験初心者の私と妻にとって、まず受験の全体像・実情を把握しようと思い購入したのだった。今思えば、最初にこの本に出会えてよかったと思っている。特に東京の中学受験初心者である我々にとってはいちいち納得できる内容ばかりだった。読後、会社に行く前に妻に「読んでみるといいよ」と勧めたことを覚えている。一方、妻にとっては内容はもちろん、著者である宮本先生の塾が自宅近くの吉祥寺にあるということが驚きだったようで、何かヒラメキのようなものがあったのかもしれない。帰宅すると、妻が一言。「この本の先生の夏期講習の体験入塾に申し込んでみたの」−妻の行動は素早かった。
 本を読んだだけで決めた?拙速すぎるのではないか?と少々驚いたが、調べると「しゃかりか教室」や京都・鎌倉の旅行など、他の塾にはないプログラムがあったり、何よりアットホームな雰囲気があることがわかった。「こりゃあ、塾というより家庭教師がつくような感じだなぁ。もしかしたら掘り出しモノかもしれない(失礼!)」…そんな印象を強く持ち、夏期講習の受講が始まった。
 程なくそれは確信に変わり、4年の秋には正式に入塾することとなった。

【中学選びのポイント 舛匹鵑複暁間を過ごさせたいのか】

 さて、ここからようやく中学選びである。ネットで調べていくと開成、筑駒など有名難関校の名前は度々登場する。しかし有名難関校であるということ以外、どんな学校なのか、どんな学校生活を送ることができるのか全く知らなかった。裏を返せば自分たちの中に偏差値以外の指標が無いことに焦りすら覚えた。一方で、偏差値一覧を見ても知らない学校ばかり。偏差値が高いと言っても、そこにどうしてもバリューを見出せないでいた(後から思い返せば、そこにあまり縛られなかったのは幸いだったと思う)。
 そこで「とにかくせっかくの6年間なんだから、しっかり勉強をさせる学校、しっかりいろんな体験をさせる学校に行って欲しい」という観点だけで学校を選ぶことにした。「5年生になったらどんどん学校説明会に行ってみてくださいね」という宮本先生のアドバイスもあり、いくつもの学校に実際に足を運んでみた。また、できる限り長男を連れて行き、雰囲気を感じさせ、どこが気に入ったか確認していったりもした。学校見学と塾の授業が重なると、相談すれば授業スケジュールを配慮して頂けるのもありがたかった。ネットで評判も確認したが、意外に勤めている会社でも探すと身近に卒業生がいたり、既に子息が通っていたりして、会社の同僚や先輩から実情に近い話を聞けたのは極めて貴重だった。
 こうして6年の夏までに志望校が4つ程度に絞られていった。いずれも「面倒見が良い」「しっかり勉強させる」「学校行事が充実している」「文武両道で部活にも力を入れている」といった学校で、6年間は充実したものになりそうだし、まだおぼろげではあるが長男の将来の希望にも応えてくれそうな学校だった。宮本先生から「いいと思います!教員・教育内容・カリキュラム等、多くの点において信頼できると思います!校風もマッチしている部分も多いと思います。」とアドバイスを頂いたのも心強かった。

【中学選びのポイント◆禅榾楡萓犬離▲疋丱ぅ后嵬簑蠅料蠕」も重要な要素】

 「まずは過去問を解いてみましょうか」−宮本先生の指導で、4つ程度に絞った志望校のうち、もっとも長男の性格に合っていると思う中学の過去問にチャレンジしたのが6年の初夏であった。ところが当然とはいえ結果は惨憺たるもの。算数に至ってはほとんどお手上げ状態だった。この時、宮本先生の言葉が強く印象に残っている。「問題にも相性というものがあるんですよ。学校選びで相性の良さは重要ですが、入試問題にも相性があって、相性が悪いと何回やっても絶対に解けない。入試問題との相性の良さも重要な学校選びの要素なんです。」−そんなアドバイスをしていただいたと記憶している。
 確かにいくら学校が良くても合格しなければ始まらない。同時に、いくつか回った学校説明会で「入試問題は学校からのメッセージなんです」と言われたことを思い出していた。中には倍率が異常に高く、セレクションをするために難問奇問ばかりを出す学校もあるのかもしれないが、評判の良い学校は「こんな生徒が欲しい、こんな能力に長けた子供に入学して欲しい」という思い、メッセージを込めて入試問題は作成されているという。
 基礎学力を問うものから、発想力・ヒラメキなどを問うものまで問題には傾向というものがある。4つ程度に絞っていた志望校のうち、長男に最も問題の相性が良い、フィットしていたのは「巣鴨中学校」だった。

【過去問の徹底】

 いくつも回った学校説明会で、巣鴨中学だけは堂々と「我が校の入試問題はあえて傾向を変えません」と宣言。さらには「合格するには過去問を何度も解き込むことです。少なくとも2〜3回はやってください」と合格対策まで説明したので少々驚いていた。
 すなわち巣鴨中学はあえてゴールを示すことで、「そこに至るまでの努力を見たい。コツコツ努力する子供に入ってきてほしい」というメッセージが入試問題に込められているのだと受け止めた。
 気に入った!長男にもそんな学校生活が一番合っているかもしれない、それならば!と巣鴨中学を第一志望とすることを宮本先生に伝え、学校説明会で聞いた内容をお話しした。宮本先生のアドバイスは心強かった。「こうなったら巣鴨の過去問と心中するつもりで頑張りましょう!」こうして秋から、先生とは常にメールで進捗状況をやり取りしながら、毎週末ひたすら過去問を何年も遡って解き続ける日々がスタートした。

【思春期の心的不安との闘い】

 長男をめぐっては思春期特有の感受性の強さが心的不安へとつながり、いろいろなタイミングで宮本先生にはかなりのご心配をおかけしたことを記さないわけにはいかない。特に5年生の時は、学校や塾の宿泊を伴う行事の直前になると不安になり、そのことばかりが思い出されて授業にも集中できない、時には自宅で泣きじゃくるという時期があった。何度も先生からは「今日は極めてテンションが低いのですが、何かご家庭であったでしょうか」との心配するメールも頂いた。伊豆大島の合宿では急に体調不良となり、先生に病院に連れて行って頂くなど、多数のご迷惑をおかけしたことと思う。
 ただ1つずつ、1つずつ不安を取り除き、行事に送り出し、楽しい体験をすることで自信をつけていく…こうした積み重ねがなければ今の長男はなかったと思う。6年夏の京都・奈良旅行では今までの精神的な不安定さは何処へやら。自ら「旅行が楽しみ」だと出発までの日数を指折り数えるまでになった。先生にはチームリーダーに任命して頂き、これもまた大きな自信につながったと思う。苦しい時期を一緒に乗り越えて頂いたことは感謝に堪えない。

【受験を振り返って】

 思い返せば、我が家の場合、6年の夏までが「勝負」だったように思う。当然ながら塾ではここまでに網羅すべき全ての単元の授業がほぼ終了。「頭の中で筆算する」など、宮本先生からは常に「脳をフル回転させる」授業及び指導を頂き、基礎学力そして”地頭力”は十分に身についていたように思う。
 そこで6年の夏からは先生にアドバイスをいただきながら、どの中学が最も合うのかを決め、そこに必要な努力、苦手な単元の絞り込みや弱点の把握をしていくことになった。一般的な塾では少し早いのかもしれないが、これらを6年の夏〜秋にできたことが大きかったと思う。さらに精神的な不安とも戦い、克服できたのもこの時期だったのは幸いだった。
 そこからはまさに「過去問との心中」で、ひたすら過去問を解き、間違ったところを解き直し、弱点を補強していく…この繰り返しが大きく点数を引き上げて行った。年明けには先生から「巣鴨はおそらく十中八九受かります」と太鼓判を頂いたことも、本人にとっては喜びであり、自信になっていったと思う。そして受験当日に「まるで模試を受けているような気分だった」と話していたように、リラックスした状態での受験につながっていった。

【最後に】

 合格から1か月。長男は早速、前評判通り巣鴨中学の大量の”宿題”に日々追われている(巣鴨中は「合格しても遊ばせない主義」なのだそう)。そんな中、まだ余裕があるのか長男は「大学生になったら宮本先生のところでバイトさせてもらおうかな」などと随分先のことを話していたりする。微笑ましく聞いてはいるが、まさにこれはアテナが「家庭教師のような塾」だったことを物語っていると思う。
 そして私自身のアテナに対する当初の想像は「確信」から、いまや「感謝」に変わったのだった。末尾となるが宮本先生には改めてお礼を申し上げたい。

M・Tさんのお父様の中学受験体験記
(2015年度 吉祥女子中・国学院久我山ST 他合格)

 我が子が宮本先生のお世話になっているのは、小三春頃のしゃかりかクラブからです。知人のご子息がアテナの生徒で、「行かせてみたら」とお誘いを受け、軽い気持ちで行かせたのがきっかけです。当時は中学受験をさせる気も無く(正確には、受験させるかどうかを考えたこともありませんでした。)、本人がアテナを気に入った様なので、少しでも学力の向上に繋がるのであれば通わせても良いかということで始まり、今日まで続いています。
 今回この様な機会を頂き、ここ数年を振り返ってみたのですが、困ってしまったというのが正直なところです。父親も母親も生きていくことに精いっぱいで、子どもと目標を共有し、それに向かって自らの役割を積極的に果たしてこられたかというと、恥ずかしながら決してそうではなかったです。ほとんどの判断は本人に任せ(一応内容の確認はしましたが、)、勉強そのものは進行管理も含めて宮本先生に任せっぱなしだったというのが実態です。
幸い、学力は、上下しつつも順調に伸び続け、六年生の十二月には、最難関と言われる学校にも手が届くかというところまで至りました(結果的には残念ながらご縁がありませんでしたが)。今回、本人が納得いく学校から合格を頂くことができたのは、ひとえに宮本先生のご指導とそれに、それなりにではありますが、応えられた我が子の頑張り、一緒に切磋琢磨してくれたアテナのお友達のおかげだと思っています。
 以上の様な経過から、親が語れることは非常に少ないのですが、僭越ながら感じたことを以下に挙げたいと思います。
 第一に、何のために中学校を受験するのか、そのことは自分の人生においてどの程度重要なのか、を自分なりに理解させた上で、受験させることが必要だったかと思います。恐らく、「周りの子が受験するから」「(どこかしらには)合格する学力があるから」程度の認識から始まっており、そのまま来てしまったことが、勉強するモチベーションが上がらない、テストや合否の結果が出ても、うれしかった悲しかっただけで終わってしまった、一番の原因だったと思っています。
 第二に、もっと子どもが勉強をしやすい環境を整えてあげれば良かったと思っています。 「受験は本人の為に本人が選んで決めたこと」である」から、「家族全員が気を使って、受験を中心に生活をするようなことはするべきではない。」と考え、また、今後彼女が生きていく上で必要な自己管理力を身に着けながら、受験というハードルを越えて欲しい、とも思い、娘が受験する年になっても普段通りに家の手伝いをさせ(本人はいうことを聞きませんでしたが・・・)、家族は居間で普段通りにテレビを見ていました。
 基本的には、この考えは今も変わらず、六年後の大学受験の際にも同じことすると思うのですが、小学生、少なくとも小学生である我が子においては、違う対応をするべきだったかと反省しています。 親は、必要なハードルを設定し、「飛び越えてこい」というつもりだったのですが、なかなか通じなかったようです。結果として我が子は、テレビがついていれば一緒に見続けていたし、受験直前になっても家の手伝いをさせ続けたことや、他の子が学校を休むなか小学校への通学を続けさせたことが、そのまま娘の勉強時間削減につながっていたことは事実だと思います。
 今振り返って足りなかったのは、親の柔軟性と努力だったと思っています。本人の様子をよく見て、必要であれば、お願いされなくとも親の方から適切なヒントやアドバイス(勉強の中身でなく自己管理の仕方等)を与えたり、テレビは消してしまうなどの協力、場合によっては、横に座って遊べない様にし、強引に勉強をさせるようなこと、も必要だったかと思います(そのことは正しくないことを事後に教える必要は残りますが)。
 第三に、親は勉強の内容には中途半端に口を出さない方が良さそうだということです(宮本先生は特には止めない方針とのことですが)。現在私が試験の問題を作る仕事をしていることもあり、子どもの勉強を覗き込んで、「そんなの出来なくていいよ。」とか、「十分間考えて解らなかったら解答みて暗記しちゃえよ。」とか、アドバイスをしたことがありました。問題をじっと眺めていて手が進まず、そのうちウトウトし始める子どもに、イラッときて言ってしまったのですが、イラッときて言ってしまったという言い方も、眠くて朦朧としているところで言ったという場面の選び方も良くなかったと思っています。
 また、伝えたかったことは、「マニアックな問題に時間を使いすぎなくて良い。」「限られた時間で量をこなす必要があることを踏まえ、計画的に時間を使え。」ということだったのですが、そもそもいつまでに何をどの程度進めておく必要があるのか、本人はどこまで至っているのかを十分に把握していない人間がそんなことを言っても無責任だったなと反省しています。
 子どもの性格や体調を注意深く見極め、様々な情報を収集・分析し、勉強する内容や量を決めて進捗管理しながら、状況に応じ適宜修正していく、といった手間と能力があれば自らイニシアチブをとり、先生に相談しながら進めるという選択肢もあったかとは思いますが、それがきちんとできない我が家では、すなおに先生に縋って導いて頂くやり方が正しかったのだろうと思っています。
 恐らくあの場面では、子どもがその様な状況にあることを宮本先生にお伝えし、どう対応するべきか相談した上で具体的な行動をするのが正解だったのだろうと思います。
 合格体験記といいながら反省点ばかりになってしまいましたが、それでも、受験を通じて子も親も成長することができたのは事実だと思っています。合格も不合格も結果は水物ですが、努力したこととそこから得られた自信は娘の大きな財産になっていると思います。
 最後になりますが、宮本先生、今まで本当にありがとうございました。また、娘も近くの学校に通うことになったので、立ち寄らせて頂くこともあるかと思います。今後ともよろしくお願いします。

A・Gさんのお母様の中学受験体験記
(2015年度 吉祥女子中・浦和明の星女子中・東京農大第一中・西武文理中特選 他合格)

  「私を信じてください」
 入試本番直前までに宮本先生に何度も言われた言葉でした。長いトンネルのように終わりが見えない中学受験生活。なぜ私はまだ幼いわが子にこんな大変なことを始めさせてしまったのだろう。これで本当に良かったのだろうか。受験に本気で取り組んでいる親なら誰でも一度は思うはずです。でも先生のこの言葉で最後の一年間何回も救われた気がします。
 私は娘が3年生の夏に先生の著書を読み、直感でアテナへの入塾を決めました。3月31日生まれの娘は他の子に比べてまだ幼く、大手塾では心配でしたが、ここならばやっていけるのではないかと思ったのです。娘は思った通り楽しみながら3年間ほとんど欠席せずにアテナに通うことが出来ました。
 娘はかなりの負けず嫌いでコツコツと努力できるタイプの子でしたので、五年生の頃には成績もそれなりには上がっていました。でも自分自身が中学受験で失敗した経験のある私は、五年生の間にある程度の結果を出さなくてはいけないと思い込んで焦っており、先生のご指導も娘の事も信じられない時期がありました。今振り返ってみると本当に申し訳なかったと思っています。
 6年生になると、親から見ても本物の受験生になったなと感じるほど自覚を持って取り組み始め、秋頃には本人が行きたいと本当に思える学校に出会うことができ、難しい過去問に一生懸命取り組みました。
 最後の一カ月は朝から夜まで塾で勉強し一日中集中しているようでした。親から見るとかなり大変そうで体調が心配でしたが、受験が終わった今本人に聞いてみると、最後の一カ月は大変だったけどとても充実していて全然辛くはなかったそうです。
 これから受験する方に言えることは、子供を信じること。これはなかなか難しい事ですが、アテナに通っているうちに、子供はいつかきっと自覚して自分で自分の為に努力できるようになります。あと学習面は先生を信じて全てをお任せすること。そして最後の一年は大変ですが、お母様は自分自身を大切にしてたまには息を抜いて下さい。入試直前期は不安であっても子供の前では明るく、あなたはきっと大丈夫だよと演じきることが大切です。
 宮本先生、最後まで優しく、時には厳しく一人一人に丁寧にご指導頂き、ありがとうございました。正直辛いことも多い三年間ではありましたが、今はお陰様で良い受験だったと振り返ることができます。そして子供も親も少し精神的に成長することが出来ました。またいつも一緒に励まし合って頑張ってきたお友達にも大変感謝しています。本当にありがとうございました。

A・Yさんのお母様の中学受験体験記
(2015年度 東京学芸大国際中・吉祥女子中・東京農大第一中・西武文理中特待生 他合格)

 アテナに転塾したのは、4年生の10月でした。その春から大手塾に通い始めたものの、課題が多く娘にはこなせません。一旦やめさせようと悩んでいた時に、宮本先生のご本を書店で見つけ、諦める前に小さな塾も試してみようと面談していただきました。アットホームなサイズながら綺麗に整頓された教室とたったお一人の先生。大手では4科を勧められましたが、4年生は2科で十分とのお話をいただき、(それで間に合うのだろうか)と疑問がありながらも現状を変えることを優先させました。
 時間的にも課題量も余裕ができたものの、マイペースな娘は授業態度が悪いといっては叱られ、宿題は終わらず遅刻も多く、先生にとって決して良い生徒ではなかったと思います。それでも本当に熱心にご指導いただきました。宿題は自己責任と言われても当然なのに、宮本先生からは「やってこなかったので残しますがよろしいでしょうか」とメールが届きます。娘も先生が真剣になってくださっているのが分かるのと、お友達との良い雰囲気の中で、アテナで最後まで頑張ろうと思ったようです。
 机上だけでなく実学を重んじる先生のもと、アテナでは6年生になっても「しゃかりかクラブ」で鎌倉探訪、秩父長瀞の地層学習などに連れ出していただき、夏合宿は大島でハイキング、天体観測や海水浴まで楽しみました。(そんなことをしている暇があるのだろうか?と思わなかった訳ではありませんが、すでに先生を信頼していましたので娘の希望通りにさせました。)メリハリをつけながら、学習では計算テストなどの定点観測で、自分の志望校に合格した先輩が同時期に同じテストでどのくらいできていたかの資料など、子供のやる気を上手に引き出して下さいました。先生のご経験と情報の蓄積と更新、学校別の過去問研究は確かで、且つ一人一人の生徒の弱点補強にも努めてくださり、親は生活面の管理だけを行ってきた感じでした。
 これだけ親子とも無理なく受験生活をしてこれたのだから、たとえ志望校にご縁がなかったとしても納得できるねと家族で話して迎えた本番は、全ての学校に合格という、本人も両親も信じられないものとなりました。先生が示して下さったのは「必要十分な最短の道」であったと共に、勉強の楽しさやその先へと続く基盤づくりでした。
 宮本先生と、共に学んだお友達への感謝の思いは尽きません。本当にありがとうございました。

N・Mくんのお母様の中学受験体験記
(2015年度 明大中野中・日大二中・宮崎日大中・佼成学園中 他合格)

 「もうこんな塾やめたい」「宿題が多すぎて間に合わない」「もう休みたい」と言うようになったのが5年生の春でした。息子は3年生から大手塾に通っていましたが、真面目にコツコツやっている割には、成績が伸び悩み、塾では最下位のクラスからなかなか抜け出せずに親子共々苦しい時期を迎えていました。私は不安でした。このまま大手塾頑張らせても結果が出ないんじゃないか。もしくは、やめさせて他塾に通わせても、本人が動揺してしまってやる気が低下してしまうのではないか。本当に悩みました。
 そんな悩んでいた私に、あるお母様から、宮本先生の本を手渡され、「一度読んでみたら?」「とてもいい先生よ」とアテナを紹介して下さいました。私はものすごい勢いで本を読み終え、先生の中学受験に関する意見に共感し、この先生なら息子を救って下さるかもと思い、すぐしゃかりか教室に参加させました。その授業に参加した息子が久々に笑顔を見せ、楽しそうに学んでいた様子を見て、「最後はこの塾で頑張らせよう!!」と決心し、大手塾を辞め、5年の夏前からアテナに入塾しました。
 大人数で競い合っていた大手塾から一変し少人数になり、宿題の量も減り、先生は宮本先生一人。状況が大きく変わり、もちろん不安もありましたが、先生は息子の弱点や強みを見極めて、それを私に伝えて下さいました。常に先生からアドバイスをいただきながらゆっくり進んでいきました。息子も以前とは違い、落ち着いて問題に取り組めるようになったなぁという印象を受けました。
 無事5年生と終え、6年生の夏ぐらいでしょうか、首都圏模試の結果も悪く、なかなか良い点数が出なかった時に、先生から「息子さんはまだまだ伸びます。これからです!!」と、何度も励まされました。ですが、9月から第一志望・第二志望の過去問が始まり、何回やらせても合格ラインまで届かず、私は志望校を変えたほうがいいのではないかと不安でいっぱいになり、12月に先生や息子に内緒で色々な学校説明会に行き、本当に選んだ学校で間違いなかったのか、もっと本人に合った学校があるんじゃないかと歩き続けました。そんな行動も先生からお叱りを受けました。「どんな小さい事でも構いません。必ずご相談下さい!!」「私を信じて下さい」「最後の1ヶ月は、私なりの計画がありますので、どうかお母様は、デンと大きく構えて頂きおいしいごはんを作ってあげて下さい」と。何度も夕食を作りながら、息子を信じよう、絶対に合格するんだと、大根を五角に切ったりして、験を担いでいました。そんな中、一番私を勇気づけてくれたのが、息子が先生を厚く信頼していたことです。いつしか親の言うことは聞かなくなり、息子は「宮本先生がこう言ってたから大丈夫だ。」と言って勉強していました。そんな状況の中、ラスト1ヶ月は、先生の息子を信じて見守るしかありませんでした。
 いよいよ入試本番、学校前行くと校門で先生が息子を待っていて下さいました。とある学校の入試の時は、時間ギリギリになっても、一目でも息子の顔を見て励ましたいという先生のお気持ちらか、他の学校の入試応援のあとで全力疾走で駆けつけてくださいました。先生にお会いした瞬間、それまで表情の硬かった息子が笑顔になり、リラックスして試験会場に入って行く事ができました。
 そして、合格発表。本人が他の学校を受けている最中に、夫婦でインターネットを開きました。合格発表覧のページ。ゆっくりカーソルをおろしていくと、息子の番号が!!ありました。明大中野合格!!何十年ぶりかにジャンプして喜びました。すぐに頭をよぎったのが「大手塾で最下位で苦しんでいたあの子が!信じられない!」という気持ちと同時に、「宮本先生を信じてよかった!!」と、素直に思いました。
 合格した夜、お鍋を囲いながら、息子に「何で合格出来たと思う?」と尋ねましたら、「入塾をアテナに変えた事。一月に入ってから勉強が楽しくなってきた」と言っておりました。色々な壁を越え、悩んで決断し、先生を信じて、最後まで諦めずに頑張ってきた事は、12才の息子にとって大きな自信になったと思います。
 宮本先生には、息子を最後まで諦めずに温かくご指導して下さり、本当に感謝しております。時には私と意見が対立し、話し合う事もございましたが、先生が真剣に息子との事を考えて下さっていたんだなぁと今ではよい思い出です。本当にありがとうございました。また、共に頑張って戦ってきたクラスのお友達、保護者のみな様、本当にありがとうございました。
 子供達には、この中学受験の経験を糧に胸を張って、立派な中学生になっていってほしいです。

S・Kくんのお母様の中学受験体験記
(2015年度 芝中・東京農大第一中・西武文理中特選 他合格)

 息子がアテナに通い始めたのは6年生のGW直前でした。マイペースで嫌な事はとことん嫌を通す息子は、ドリル形式の単純な問題の繰り返しの「宿題一斉レース」に追い詰められ、5年生から通い始めた塾を嫌がる様になっていました。転塾するにはギリギリのタイミングでしたが、息子はアテナの体験授業ですぐに「授業が楽しい!」と入塾を決めました。
 アテナに通って学んだことは、子どもにはそれぞれ学び方の違いがあるということ。受験は「苦しいもの」とばかり思い込んでいましたが、それもまた十人十色。苦しい受験もあるかもしれませんが、楽しい受験もあるのだということです。子どもの性格、得意不得意を見極め、その子にあった学びを提供できれば、「勉強することは楽しい」と子どもは感じ、自ら学ぶようになる。アテナは「楽しい勉強」を学べる塾です。合格することが「ゴール」ではなく、合格してまだ「勉強したい」と思えるように受験を終えられるのが理想ではないかと思います。打たれ弱く、気分にムラがあるものの、モチベーション次第では驚異的な集中力を発揮する息子の性格を読み、能力を信じ、それをサポートして下さった宮本先生のおかげで、息子は「勉強は楽しい、受験って楽しい」と理想的な受験を終えることができました。芝中学は第二希望でしたが、小学校でできなかった勉強ができることを、彼は今、何より楽しみにしています。
 二人の息子の中学受験の経験から感じるのは、偏差値=精神年齢かなということです。「この学校に入りたい」という目標を設定し、その目標に向かってやりたいことを我慢し、やりたくないことを自らやるということが出来ない限り、第一志望に合格することはどのレベルであれ難しいからです。その点でいえば、息子の精神年齢は残念ながらかなり低かったと言えると思います。気分のムラが諸に点数に反映し、月例テストも模試の結果も上がったり下がったり。あの優しい宮本先生をして、「息子さんは努力のできないお子さんです」(笑)と言わしめるほど、決して多いとは言えないアテナの宿題さえ、ほとんどやり切ることができませんでした。それでも先生は、量をこなせない息子のために、問題を厳選し効率的に学力をあげる努力をしてくださいました。質問をしに行くと、先生は答えは教えて下さいません。手前までヒントを与え、最後は子どもに正解を導き出させて下さるので、息子は「出来なくて質問に行っても、最後は出来た!ってなるから達成感があるんだよ」と言っていました。アテナの宿題の量を考えると、実は宮本先生を信じ続けることはなかなか辛抱のいることです。先生は優しいです、勉強のことでは怒りません。親はもっとたくさん課題を解かせ、辛い、苦しい、と泣きが入るぐらいでないと合格できないものだと思いこんでいます。私もまた、能天気な息子にキリキリし、ぶれにぶれて先生に何度も「受験そのものをやめるべきか」などと混乱のメールを送った愚かな母でしたが、終わってみれば2カ月で苦手だった社会の知識を先生お手製のプリントでスポンジのように吸い上げ、最後の2週間に驚異的な集中力を発揮し、入試会場では休み時間ごとに悠々とおにぎりをほおばり、「楽しかった!」と受験を終えた息子は、誠にマイペースな彼らしい、彼にしかできない受験をやり遂げたのです。残念ながら、第一志望校には合格できませんでしたが、意外にも息子はカラリとしていました。初めて自分で目標を決め、親が泣こうが怒ろうが、最後まで意志を曲げず、嫌な社会の暗記や記述にも取り組み、鉛筆を止めた瞬間しばらくボーとして「これ以上は無理」と思うほど力を出し切った息子は、彼なりに受験を完走したのだと思います。もちろん「不合格」は彼の精神的な成長があらゆる面で、いま一歩足りなかったということです。第一志望不合格・芝中進学が、失敗であったのか、成功になるかは、これからの彼の成長に掛かっているのだと思っています。合格発表の帰り道、「僕、皆より勉強しなかったもん」とぽつりと言った息子は、その痛みを胸に、これから成長していくのだと思います。
 「愛があるのよ」それが、息子にアテナを紹介して下さった方の言葉でした。その意味が分かったのは、ゴール近い1月になってからでした。入試2週間前、「いっそのこと温泉に行って来てください」と宮本先生からメールがありました。年末年始に家族4人全員インフルエンザに罹ったこともあり、1月の前半は心身調子を崩していました。芝の過去問もやるたびに点数が下がり、本人も内心辛かったのでしょう。一人だけ先に帰された悔しさと、情けなさに初めて涙を流しました。しかしそれでふっきれたのか、翌日から少しずつ調子を上げていきました。宮本先生の凄いところは、他の体験記にもあるように、親が感じるのとほぼ同時期に小さな子どもの変化に気づかれているところです。入試本番の2週間前に、「苦しい」と言えない子どもの心に気付いていても、親の方から「休ませます」と言い出す勇気はなかなかありません。あの時、先生がメールを下さらなかったら、あの時息子は泣けなければ、結果は全く違ったものになっていたと思います。他塾であれば、1月に何校か受験を薦められたと思いますが、宮本先生は、全く緊張もせず「受験は楽しい!」と帰ってくる息子には時間と体力がもったいないとお考えになったようです。「気合いを入れるために、あえて不合格を体験させましょうか」という鬼のような親の意見も、「やめましょう」と逆に止めて下さるぐらいでした。先生の予想した通り、1月校を無駄に受けなかったことで、上がり始めた調子はそのままピークで入試に突入していきました。アテナの合格実績は人数もさることながら、合格校数は決して多くありません。それは、宮本先生が塾の実績のために偏差値で受験校を選ぶことをなさらないからです。受験で第一志望に合格できるのは、わずか16%の子どもだけです。そして、進学できるのはどんなに合格しても一校だけなのです。冷静に考えれば、塾の実績づくりや、親の見栄や満足のために多くの学校を受験することは子どもには無意味ですし、大多数の子どもが「この学校に入れて良かった」と思えるよう一歩先を考えることの方が、遥かに大事です。宮本先生は、最後まで息子のモチベーションを大切にしつつ、同時に受験後の姿を思い浮かべて最善を考えてくださっていました。
 息子のこれからの目標は芝でもっと勉強して、東大に入ってアルバイト生としてアテナに戻り、また大好きな宮本先生と科学や物理の話しをすることのようです。(先生は東大でなくても大丈夫とおっしゃってくださっています。笑)
 合格はゴールではありません。子ども自身が成長し、新しい世界に羽ばたくスタートとなりますよう、これからのアテナ生も宮本先生を信じ、先生の独創的な授業を大いに楽しんでください! いい受験を終えられますよう、応援しています。

最後に……、
○ 塾に行くのを嫌がったら、それはお子さんのせいではなく、塾が合わないのです
○ 受験で大事なのは偏差値ではなく、満足です
○ 勉強は量ではなく、質です
○ 怒ってイライラしながらやった勉強は全く身に付きませんが、楽しんでやれば100%吸収します
○ 勉強しない子どもにイライラしたら、怒って寝かせましょう! 勉強させても無駄です
○12歳の脳は、入試が始まってからでも伸びていきます! 最後まで諦めないで!
○ 模試はお試し、過去問は過去の問。 本番で最大の力を発揮できればよい!
○ 宮本先生と、子どもの可能性を信じましょう! 

T・Yくんのお母様の中学受験体験記
(2014年度 本郷中・国学院久我山中ST・立教新座中・栄東中東大選抜 他合格)

 息子が文化祭を訪れて以来、第一志望となった学校は、かなりの難関校でした。少し背伸びの受験となりましたが、有難く思ったのは、宮本先生の併願校の組み立て方の的確さでした。
 第一志望を基準に1月校、2月の併願校はあれこれ迷うも受けられる日程が決まっており、先生が同じ偏差値でも息子に向いている学校を絞り込んで上手に当てはめて下さいました。その日程を見ていると「これで良いのだ」と落ち着くことが出来ました。
 結果、第一志望は残念ながら叶いませんでしたが、合格を貰った中から、本人が「受験してみてとても良い学校と思った」と好印象の学校に入学することに決めました。
 受験を終えて、息子は「清々とした気持ち」とさっぱりした顔で言っていました。やはり本人の第一志望を尊重して良かったと思っています。そして、この言葉で締めくくれたのは、本人なりに目標に挑んだ充足感があるのはもちろんの事、その後ろには宮本先生の熱いご指導と心のこもった沢山の言葉が息子を支えてきて下さったからだと感じています。
 息子は勉強だけでなく、大きな視野を持つことをアテナの教室で学んできたと思っています。まさに先生のご本にもある「健全な学習」だったと思います。
 思春期の入り口で、ましてや過酷な受験生活の中で、子供達が宮本先生のもとで過ごす時間はとても貴重だと思います。正義感、本気、強い味方、厳しい言葉の奥の愛情。そういった大切なものを本当に示せる大人は少ないのではないかと思います。そして子供達には、それがきちんと伝わっているように思います。アテナは先生の生徒への愛情と共に、子供達から先生への愛情も感じられる教室だと思います。3年間、本当にありがとうございました。

H・Mさんのお母様の中学受験体験記
(2014年度 晃華学園中・恵泉女学園中・大妻中野中・大妻嵐山中スーパーアドバンス 合格)

 「奇跡を体現するなら私を信じて下さい」「最後までいると価値がわかる」受験まで残り残り5ヶ月となった9月の保護者会で私がメモにとった宮本先生のお言葉です。第一志望に進学という我が家は言葉通りの結果となりました。宮本先生、娘、私達両親というトライアングル体制で目標に向かって一年二ヶ月アテナ進学ゼミでお世話になりました。転塾するまでは、塾の宿題を父親がつきっきりで見ても終わらない日々が続いていました。私も仕事をしており学習の定着度確認する余裕もなく、このまま伸びないのではないかと不安を感じていました。アテナに入ってからは親はチェックテストの解き直しを子供がきちんと行ったかの確認や暗記テストの相手程度の役割になり、学習面は宮本先生の御指導に一任となりました。娘もわからない所は先生に聞くからと親に頼らなくなりました。宮本先生の熱心な御指導に全面的に信頼することができたので、ある意味ストレスから解放されました。先生は私達の不安や質問にとても丁寧に対応して頂きましたし、時には早朝、深夜にもメールで連絡をして下さいました。中でも一番素晴らしいと感じたことは、生徒に愛情を注ぎ、頑張れば結果につながるということを教えて下さったことだと思います。娘は先生の教え方や受験に対する心構え、励ましの言葉に耳を傾け、信頼してついていきました。
 「どうして4年の時にアテナを見つけてくれなかったの?」と何回も聞かれ、娘に合った環境に巡り合ったのだなあと嬉しく思ったりもしました。1月に入ってから、日々不安の増す私に「ドーンと構えて下さい」とアドバイスをして下さったり、時には厳しい言葉で娘を信じるよう激励して下さいました。生徒たちにもやる気が見られなかったり、同じことを注意された時にはかなり厳しく叱って下さいました。娘の熱望していた学校に進学が決まり、改めて宮本先生にお世話になった日々を振り返り、感謝の気持ちでいっぱいです。
 苗場のスキー合宿、陣馬山の天体観測、鎌倉の歴史探訪、京都・奈良合宿、教室の外でもたくさんのことを教えて下さいました。娘にとって共に学んだ仲間はかけがえのない友人となることでしょう。宮本先生、本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。

T・W君のお母様の中学受験体験記
(2014年度 桐朋中・国学院久我山中ST・西武文理中 合格)

 アテナには5年生からの転塾でした。
 4年生から一年間大手塾に通っていましたが、勉強の仕方もわからないまま、先生に質問することもできず何となく通っている状態でした。当然成績は上がらず、自信だけをすっかり無くしていました。
 このままでは意味がないと感じ、いくつかの塾を検討した結果、アテナ生になりました。決め手は先生との距離が近いことでした。
 しかし当初は先生がお一人ということに不安もありました。息子は好き嫌いがはっきりしていて、先生と相性があわなければ逃げ道がないと思ったからです。でもそれも杞憂に終わり、「オレはみやもっちゃんについて行く」と言うようにまでなりました。
 また少人数なので、(当初男子は3名)あっという間に子供たちは仲良くなり、塾通いが楽しいようでした。

 しゃかりかという体験学習では親も参加できるため、入塾したばかりの時は先輩のお母様方にアテナのことや受験対策を聞いたり、子供たちの普段の様子も知る事ができました。
 また、中学生になると子供と共有する時間も少なくなるので、受験勉強中でも親子で体験できる場所があったのは、今考えると大変貴重な時間であったと思います。

 第1志望校も決め、順調に通っていたのですが、追い込みの6年の2学期に勉強に対する意欲を無くしてしまいました。
 きっかけは仲の良かった塾のお友達が付属小のため受験はしないとのことで、アテナをやめてしまったことでした。段々と近づく受験のプレッシャーも感じ、学校でも学芸会の準備で普段より忙しく、いっぱいいっぱいになり自分も勉強をやめてしまいたいと思ったようで、塾に行きたくないと言うようになりました。
 困って先生にご相談したところ「疲れているなら少し休ませましょう」、「塾を休ませて気分転換にどこかに出かけるのもいいかもしれません」とアドバイスをいただきました。
 その頃は受験生活も最後の段階でしたので、毎日のように塾に通い、週末は過去問をやっていました。そこで、詰め込むのをやめて塾も時には休み、様子をみることにしました。
 その時期にペースダウンして見守るという判断が出来たのは宮本先生のアドバイスのおかげです。
 息子は普段は生意気ですが、意外に繊細なところもあって、感情の起伏が激しい時があります。モチベーションを保ったまま乗り越えられるのか不安でしたが、先生も直接息子に話をしてくださり、なんとか持ち直すことができました。
 最終的に親から言われたからではなく、自分でやる気になったのは大きな違いだったと思います。
 しかし本当にエンジンがかかったのは直前の12月でした。

 第1志望校は前々から決まっていましたので、その過去問をまず10年分やりました。アテナには歴代の過去問集があるため、先生が10年前よりも昔の過去問もコピーしてくださり、全部で12〜13年分はこなしたと思います。
 それだけでなく、それらを全て解き直しました。おかげで入試当日に「大丈夫かな?」と心配する息子に、「過去問をそれだけやった子はそんなにはいないし、それを全部解き直した子は他には一人もいないから自信持って大丈夫」と言うことができました。

 入試直前の1月は親は体調管理に気をつけてやるだけで、勉強内容には口出ししませんでした。その頃の塾は自習中心なので、今日は何をするか相談に来た時に「これをするのはどう?」とアドバイスし、本人がどうするか決めていました。
 家では切羽詰まった様子もなくのんびりして見えましたが、塾では集中して勉強していたようです。勉強に関しては先生にお任せで、国語の過去問の採点や、問題集のコピーなど様々なプラスαの事までしていただきました。
 第2志望校が特に無かったため、第1志望校に合格しなければというプレッシャーを乗り越えられたのは、先生のご指導と子供の努力によるものです。

 先生には首都圏模試ではなく、合不合が受けたいと言ったり、都立を受けさせたいなど我儘を言いました。
 先生は出来ない事は出来ないと仰りますし、やれる事は本気で取り組んでくださいます。時には厳しいメールもいただきました。
 しかし、これほど先生と親が向き合える塾はないのではないでしょうか。朝早くから夜中まで、生徒たちのために毎日ありがとうございました。

 合格発表を家族で見に行きましたが、番号を見つけて号泣した息子。
 思春期を迎えて父親とはあまり関わろうとしていなかったのに、その時は自然に二人抱き合って泣いていました。
 中学受験は終わりましたが、これからまた新生活が始まります。努力が報われる事の喜びと達成感を忘れずに、自分の目指す方へ一歩一歩進んでいってほしいと思います。

R・Hさんのお母様の中学受験体験記
(2014年度 吉祥女子中・東京学芸大小金井中・西武文理中特選 合格)

 「あっ・・あったー!」
 パソコンの画面から受験番号をみつけた娘の大きな声を聞いたとき、最後まであきらめずに頑張った受験勉強の日々が頭を巡り、感激で涙が溢れました。
 思えば4年生の秋から大手塾Sに通っていた娘は、復習も宿題も頑張ってこなすタイプではありましたが、それも5年生後半になると、たくさん時間をかけてやっていてもテストではケアレスミスが増え、結果が大きく上下する状態でした。
 ゴールの見えない長いトンネルの中にいるような不安な日々が続いていた頃、主人が買ってきた宮本先生の著書からアテナを知り、藁にもすがる思いで宮本先生にお電話したのを覚えています。すでに6年生がスタートしていたので、転塾するのは1つの賭けでしたが宮本先生からは「大丈夫です。お任せください。このまま頑張りましょう」と言っていただき、翌日、思い切って大手塾を辞めました。入試までの残された日々をアテナでどのように勉強するのか新たな気持ちで見守ることにしました。
 それからの娘は環境が変わったのに加え、子供の好奇心に火をつける宮本先生のワクワクする内容の授業に「塾に行くのが楽しい、宮本先生の授業がよくわかる!」と明らかに受験に対する気持ちが前向きに変わっていきました。
 突然の転塾だったので、その時のことを娘に聞くと、「なぜあの時だったのか、よくわからなかったけれど、アテナに替わってから自分で勉強することが楽しくなったよ。転塾させてくれたお陰だね、ありがとう」と言われ、モヤモヤした気持ちのままにせず、思い切って決断してよかったと思いました。
 それでも秋から大手塾の模擬試験を毎月受験すると結果は今一つという感じでした。娘は常に前向きで、不安になるのは親だけでした。親の気持ちを察して先生からは「模試は模試です。順調に力はついていますから、心配ありません。大丈夫です」と、お電話を頂き、宮本先生を信じるしかありませんでした。宮本先生は常に「遠慮せず、どんな小さな事でもいいので相談してください」と言って下さり、受験の不安をその都度、解消させて頂きました。
 本番3週間前に、疲れと集中力の欠けた娘の様子を察し、「睡眠を多くとらせてあげて下さい」とか「今日は気分転換に、一緒にショッピングでもして下さい」と、1月に入ったこの時期、常識では考えにくい助言に、正直驚いたこともありましたが、「ここはどうか私を信じて・・」と、おっしゃる先生の言葉を、そのまま受け入れ実行しました。
 この時期、過去問の点数が悪ければ、親としては、もっとやらせなければと焦るところを、それまでの娘の頑張りを認め、性格を考えて、全く逆の発想でピンチを救ってくださった先生に感謝せずにはいられません。
 入試が終わった今、1月から受験したすべての学校で、合格を頂くことが出来、あの時、娘の微妙な変化をすぐに気付き、アドバイスして下さったことがとても重要なことでしたし、もしも親だけの判断で突っ走っていたら・・と考えると怖くなります。宮本先生のプロとしての経験からくる判断はすごいと尊敬いたしました。
 
 娘の受験で学んだことは、
  〔狼璽謄好箸侶覯未膿討一喜一憂しないということ。
  ∧拔のことは先生をとことん信じてお任せするということ。
  親は焦らず見守るということの3点です。
 子供の気持ちをリラックスさせて、メンタル面を支えることが親の一番大切な仕事なのだと思いました。
 
 塾で宮本先生がどんな魔法をかけているのかと思うほど娘は先生のやり方を信じ「絶対合格する!」と自分に言い聞かせていました。成績が安定しなくても志望校への強い気持ちは一度も揺らぐことなく、アテナでの充実した日々を送れたことが、合格の原動力になったと思います。
 4教科全てで的確に娘の弱点を見つけ、アドバイスしてくださり、温かくご指導くださった宮本先生と、一緒に頑張ってくれた教室のお友達に心から感謝いたします。本当にありがとうございました。
 これから受験を迎えるお子様を持つ保護者の皆さんも、お子様と宮本先生を信じて、頑張ってください。