自立学習のその先の「自発学習」を目指す

中学受験体験記

塾生の受験体験記をご紹介します。(※保護者の方の体験記はこちらから

T・Kくんの中学受験体験記new
(2017年度 桐朋中・暁星中・西武文理中C特待 他合格)

 「よく寝られた?」、「表情をゆるめて頑張ろう」、その言葉で先生に送り出された2月1日武蔵中学校の入試。一限目の国語はよく書けたので、いけると思い、二〜四限目に臨みました。しかし理科と算数に不安が残り、結果は不合格。合格掲示板を見たときは悔しさでいっぱいになりましたが、先生の「T君を誇りに思います」という言葉で、「明日頑張ろう」と気持ちを切り替えることができました。しかし先生は武蔵のために全力を投じてくださったのに武蔵に合格できず先生に申し訳ない気持ちは残っていました。
僕がアテナに入ったのは3年生の2月でした。当初は小学校で習わない算数の解法が理解できず、先生が4年生授業廃止を視野に入れるほど成績がダメダメでした。そのため、この頃はまだ授業はつまらないものだと考えてしまっていました。しかし夏期講習で、ほぼ毎日先生の授業を受けているうちに授業が楽しくなり成績も伸びはじめました。また、算数が苦手になってきたので計算日記を積極的に取り組みました。
5年生になり志望校を本格的に決めることとなり、僕は兄が通っている武蔵中学校を第一志望に決めた。先生もそれを認めてくれました。そのため勉強量が4年生のときよりも格段に増え、さらに得意分野の社会が授業科目に入ったので成績はぐんぐん伸び、成績優秀者一覧の1位〜5位に入るようになりました。また、6人ほどがアテナに入塾し人数が増えたため他の人との闘争心が一段と増し、その膨れ上がった闘争心が勉強をしようという意志をかきたてるのでした。しかし5年生になり苦痛なことが2つできました。1つ目は外部模試の成績です。いくら勉強しても成績は伸びず、武蔵を受けるのなら偏差値が70はないといけないのに、自分の偏差値は50台後半から60台前半をうろうろしていました。外部模試の結果が悪いたびに先生は「次がんばろう」と声をかけてくれて、その言葉が僕にとって唯一の励ましとなりました。2つ目は月例テストの算数です。4年生の頃は、算数はそこそことれていましたが、5年生になり急に算数の成績が落ちはじめました。先生には「武蔵を受けるのなら絶対に算数は80点台をとれ」と毎回言われていたが、どうしても76点で止まってしまうのでした。そのため僕は計算日記でつまずくと先生に質問に行った。質問に行くと問題に対しての理解が深まっていくため、算数がより面白く楽しくなっていきました。また、平面図形や速さの問題が出てくると必ず図を描くことを心がけました。
6年生の9月、過去問演習が始まりました。僕は早速、武蔵の過去問に取り組みました。しかし国語の記述力、社会の知識、算数の解き方が合格水準にまったく及ばず、多い時には合格最低点からマイナス70点をゆうに超えていました。武蔵の採点は先生自らしてくれて、授業のあとに弱点などを細やかに教えてくれました。この過去問演習で僕の苦手分野が3つ見えてきました。1つ目は算数の速さ、平面図形、仕事算です。そのため先生の指示で、僕は第2志望、第3志望の桐朋、暁星の算数の過去問を合わせて14カ年分を、武蔵の過去問の解き直しの後にやりました。すると算数の得点が30点台かあら50点台にあがるようになりました。2つ目は国語の記述です。この対策としては日常の中の一場面を切り取り、その時のその人の心情やなぜそうなったのかを考えるようにしました。これも効果があり、国語の得点は50点を下回らなくなり、高いときは70点台をとれるようになりました。3つ目は社会の記述です。これに対しては先生の指示してくれた大人向け本の日本史シリーズを買い、暇さえあればそれを読むという方法をとりました。すると社会の記述は抜群に伸び、最後の自由記述も深みが出てきました。先生は「過去最高の記述の深みだ」と言ってくださいました。僕はこの言葉で自信が湧き、過去問演習が今までよりもさらに楽しくなりました。今思えば、あの楽しさが、過去問の得点力アップにつながったのだと思います。そしてやってきた過去問最後の日、僕は今までにない全力を投じ、結果は合格最低点を超えることができました。第一志望プラス27点、第二志望プラス38点、第三志望プラス20点。この結果を糧に、僕は二月一日、二日、三日の入試に臨みました。 もうやり残したことはないという気持ちで挑むことができました。残念ながら武蔵は合格できませんでしたが、桐朋、暁星の合格をつかむことができました。武蔵を目指してがんばり続けた三年間。僕は、この間に、グローバル化が進むこれからの世界に役立つ記述力、絶対にあきらめない不屈の精神力を得ました。
そしてなにより良かったのが、宮本先生に4年生の頃から教えてもらったことです。僕を叱って鍛えてくれ、全力でサポートしてくださった宮本先生、本当にありがとうございました。最後に現アテナ生にメッセージです。「算数は絶対に図や式を書く。」「分からないことがあったら先生に質問に行く。」「そして絶対にあきらめないこと。」以上です。自分を桐朋に導いてくださった宮本先生、温かく見守ってくれた両親と兄、丸つけをしてくださったチューターの先生方、共に励まし合い競い合った2016年度アテナ生の皆さま、本当にありがとうございました。

K・Kくんの中学受験体験記new
(2017年度 暁星中・西武文理中特選 他合格)

 僕はアテナに入った最初から、武蔵に入るという目標があった。4年生、5年生ではクラスの中で4番目、5番目に位置していたので「これで良い」と思っていた。しかし、6年生の秋になって過去問演習をすると全教科ボロボロで、「これでは希望校に全部落ちるのではないか」と思った。とりわけ算数が苦手科目になってしまっていた。
しかし宮本先生は、僕の算数(問題文を良く読まずに解いてしまうという癖がある)を克服しようと、桐朋中と暁星中の算数の問題を合わせて14年分のコピーを用意してくれた。それを1月に入ってから、毎年、1年分解くことにした。毎日1年分を50分かけて解き直しをするということを繰り返した。すると武蔵の過去問の算数が少しだけ伸びてきた。
また、4,5年で得意だと思っていた社会も、その知識だけでは僕が希望している学校では通用しないということがわかり、社会も苦手科目になってしまった。そこで宮本先生は歴史での各時代が詳しくのっている本(「一冊でわかる イラストでわかる 図解日本史/成美堂出版」)を買って下さい、と両親に言ってきた。父母も快く買ってくれた。1月に入ってから、僕はそれをひまさえあれば読むようにした。食後、眠る前、本当にちょっとの時間を見つけて、その本を読んだ。すると、社会の記述問題も点数をとれるようになってきた。
国語の記述については、1月に入って、過去問を毎日、毎日、何年分もやっているうちに、先生に「深みが出てきたね」と言われた。
こんなふうに1月は、武蔵に受かりたい。 その一念で、起きている時間のほとんど勉強していた。難しい問題が解けるようになっていくのが楽しかったので、勉強が苦痛だとは全く思わなかった。
そして2月1日の武蔵中を受けた。手ごたえはあった。しかし、結果は不合格。落ち込んでしまった。追い打ちをかけるように桐朋中も不合格になってしまい、更に落ち込んでしまった。 しかし、1月の頑張りは裏切らなかった。2月3日の暁星中に合格することができた。僕はこの受験で努力は裏切らないということを学んだ。これからの中学生活も努力をすることを大切にして頑張っていこうと思った。
宮本先生、3年間のご指導ありがとうございました。

R・Iくんの中学受験体験記new
(2017年度 城北中・学芸大小金井中・東京農大第一中・西武文理中A特待 他合格)

 僕は小学四年生の冬に「自分と周りのレベルが近いと、中学生活が楽しくなる」と親に中学受験を勧められ、親が探してくれたのがアテナでした。体験授業を受けてみて楽しかったので、入塾しました。四年生のうちは好成績だったのですが、五年生になって社会が出てくると、その分を三教科でまかなうことができなくなってきました。また、算数の計算問題や国語の語句、理科の植物がボロボロで、コツコツ努力するのが嫌でした。計算日記や短文も三日坊主で、?をついていました。しかし、月例テストの解き直しでだんだんと点を取れるようになってきました。残った社会は、暇なときにゴロ社会をとにかくたくさん読むことと、社会のコンプリで、小6の夏休み後から急速に点が取れるようになりました。先生に「社会はできて当たり前」と言われていたので、克服できてうれしかったです。
 さて、九月から過去問演習が始まりました。はじめに第一志望校の武蔵の過去問を解いたのですが、これがもう最悪。ここから先生に記述のアドバイスをもらったりして何とか点は取れるようになりました。しかし波があって、点が取れるときと取れないときがあり、原因を追究してみると、恋愛文が苦手だと判明。これもたくさん過去問を解き経験を積むことで克服できました。武蔵以外の学校はそんなに苦労せず、一月は毎日武蔵の過去問を毎日解きました。母には頑張りすぎ、と叱られましたが、だんだん自信がついてきました。
 そうして、二月一日はガチガチに緊張することもなく受験することができました。しかし残念ながら武蔵中は不合格になってしまいました。しかし算数で大失敗をしてしまったので、少しは予想していたことであり、大したショックではなかったです。他は全て合格できました。
 僕がここまでこれたのは、よく家族会議をしたからだと思っています。今の自分を把握して、親と一緒に学習の計画を立てる、ということです。自分が決めたことなので「絶対やらなきゃ」というように思えてモチベーションが上がりました。最後に、学習というのは全て努力が原点であるということ。これを忘れずに皆さんも頑張ってください。
 宮本先生、今までありがとうございました。

Y・Mくんの中学受験体験記new
(2017年度 桐朋中・成蹊中・東京農大第一中・学習院中 他合格)

僕がこのアテナ進学ゼミに入ったのは4年生の10月でした。姉が通っていたので、元から入るという考えはありました。はじめのうちは学校でやったことのないことをするのに苦戦していました。特に算数の日付の問題が苦手で、日付の問題が出るとすぐに自信が無くなってしまいました。そのため、アタックテストでは全体的に点数が悪く悩んでいました。
5年生になってさらに社会と理科が加わると、暗記もろくにやらなかった僕はアタックテストで全教科点数が低いという最悪な結果を出してしまいました。でも先生はそんな僕の解きなおしノートの悪いところを指摘したり、計算日記をやれと言ったり、時には厳しくしかってくださいました。そういったやり取りをしている内に算数と国語の成績が伸びてきました。しかし、ほかに社会と理科の暗記という壁がありました。僕は理科の計算分野は得意な方でした。外部模試などを受けてみてもやはり暗記分野のところで全体の成績を下げていました。そのまま6年生になり歴史の暗記も増え、暗記をなかなかやろうとしない僕は夏休みに苦戦しました。そして、夏休みが終わり過去問がスタートしました。第一志望の過去問は点数が不安定でした。そこで算数で落とした点数をカバーするために、先生は夏休みのコンプリーションの苦手なところを何回もやるのを勧めてくれました。そうして僕は自分のためだと思い、積極的にコンプリを解いたり、語呂合わせの本を読むようになり、少しずつ過去問の暗記分野で点数が取れるようになりました。
そして2月1日。ガチガチに緊張するということはなく、終わったときはやり切ったという感じがあり、第1志望には合格することができました。これも僕をサポートしてくださった先生や家族のおかげだと思います。一緒に競い合った友達やサポートしてくださった先生や家族、ありがとうございました。

M・Yさんの中学受験体験記new
(2017年度 三輪田中・山脇学園中・女子聖学院中・長崎日大中 他合格)

 私は三年生の夏に早稲田アカデミーの授業を体験しました。でも授業がわかりにくく、とても質問できる環境ではなく自分の好みの環境ではありませんでした。でも私は、どうしても「私立の学校に行きたい。私立の学校に行けば楽しい学校生活ができる。」と思っていてどうしても中学受験をしたいと思っていました。そんな私の思いにこたえてくれたのが母でした。母がすすめてくれた塾、それが「アテナ進学ゼミ」でした。入った当時は、今思えばあまりやる気がなく、宿題もあまりちゃんとやらなかったため成績はさんざんでした。しかし、先生によく「算数はきちんと図をかけ。」と言われ、言われたとおりに宿題をやっていくうちに算数の成績がどんどんのびていきました。
 そして六年になり、過去問演習。私は、なかなか合格最低点に届かず、悩んでいました。危機的状況でした。あるとき、母が「実力は十分にあるのだから気持ちを落ち着かせて解けばいい。絶対に受かるから。」と言ってくれました。この言葉は私の気持ちを落ち着かせてくれました。そしてあっという間に長崎日大中の入試の日がやってきました。私は緊張しすぎて問題があまり解けなかったです。合格発表は十二日。毎日ドキドキしていました。結果、合格していました。長崎日大中の反省を生かして次の過去問演習に取り組みました。私は国語が苦手なので、算数で点数を稼がなくてはなりません。先生に「算数の小問で満点をとれるように」と言われ、解けなかった問題をできるようになるまで何度も解きました。すると小問の正答率がだんだん上がり、点数も十点を超えるようになりました。そして、合格最低点もコンスタントにクリアできるようになり、少し安心しました。
 そして二月一日、私は第一志望校の入試の時、緊張せずに問題用紙に気持ちをぶつけることができました。入試が終わったあと、「絶対合格できる!」と自信がありました。そして合格発表。わたしはドキドキしながら待っていました。結果は合格でした。母も弟も跳んで喜んでくれました。父が会社帰りに合格書類を貰いに行ってくれて、ケーキも買ってきてくれました。とてもおいしく感じられました。二月二日の入試も前日と同じ気持ちで受けました。結果、合格でした。受けた学校に全て合格でき、うれしかったです。
 わたしは中学受験で「努力は人を裏切らない」ということを実感することができました。だからわたしは、中学受験をして良かったと思います。そして中学受験をやりとげたことを誇りに思っています。今まで支えて下さった宮本先生ありがとうございました。家族の応援にも感謝しています。中学校に行っても努力をおこたらず、何事にも一生懸命取り組みたいです。

A・Kさんの中学受験体験記new
(2017年度 学芸大竹早中・専修大松戸中 他合格)

 私は、二十八年度六年生の中で最も悪い例だと思います。だからこそ反省すべき点がたくさんあり、それを後輩に伝えることができます。
 先日、テレビで「勉強には、息抜きも必要だ」と言われていました。もちろん知っていましたが、私は息抜きを五年生からしすぎていたのです。もし、まじめに最初から学習に取り組んでいれば、私の人生は変わっていたと思います。アテナでの宿題が少なかったのもありましたが、私はいつも学校から帰ってきて遊び一時間弱で勉強が終了しました。一時間もやっていない私をみてさぞかし母は心配だったと思います。テレビもマンガも見て、わたしは塾に通っている人とは思えないほどでした。
 また、通塾に時間がかかり電車の時間を有効に使うように言われましたが、実は電車の中でやり始めたのは6年の10月後半でした。それまでは教科書を広げてみることはありましたが、問題を解くことはなく、本を読んだり寝たりしていました。しかし十二月末には車内で過去問を解くこともありました。
 こんなことばかりな私ですが、やる気スイッチが入ることにつながった原因は三つ。
 一つ目は、自分の弱いところ、強いところをしっかりと判断できたこと。日曜日は過去問の日でしたが、わたしは弱点の克服のため、先生と相談し日曜日の過去問は一時休むことにし、弱点のところの問題を、時には父にも協力してもらい解きました。その成果が、スタート時は9点をとっていた第一志望の算数で50点台を連続して取ることができるようになりました。二つ目は、模試で自分の現状を理解したこと。国語はとても点数がよく、サピ模試も早稲アカ模試も20位台でしたが、他の科目が最悪。さすがに危機感を覚えました。三つめは、自分にあったライバルを見つけられたこと。わたしは、どちらかというと男子の方が仲良くなれたので自分よりも少し上のK君をライバルにしましたが、その判断は間違っていなかったと今も思います。先輩の人たちにもたくさん励ましてもらいました。本当に感謝しています。
 偉そうなことを言っていますが、私は第一志望校不合格でした。でも、私は挫折を経験してよかったと心より思います。不合格と知った日、「ああ、あの字が読めていれば」「文学史を覚えていれば」と思いました。でも、それが私の実力なのだと思いました。私みたいにバカにポジティブだからそう思えただけです。そんな思いはできるならしてほしくないです。
 本当にどうしたらいいかわからなくなることは、私もありました。そんな時に、宮本先生に頼って私はすごくほっとしました。宮本先生は、いつも親身に話を聞いてくれました。
 今、私は少しも後悔していません。むしろ素敵な先生、友達に出会えてうれしく思っています。全力を出せるように体調管理をしてくれた両親にも感謝しています。
 人生で一度きりの入試、絶対後悔しないようなものにしてほしいです。私たちの後もずっとアテナが続くように祈ります。がんばってください。

M・Sさんの中学受験体験記
(2016年度 吉祥女子中・浦和明の星女子中・東京農大第一中 他合格)

 「自分を信じてがんばって、じゃあ、いってらっしゃい。」
 「はい、いってきます。」
 二月一日の朝、私は吉祥女子中学校の校門の前で宮本先生に電話をかけていました。周りにはサピックスやら日能研やらの先生がずらーっと一列に並び、受験生を激励していました。そんな中を私はお母さんと二人きりで歩いていたため、他の受験生にはとてもかなわないんじゃないかという気がし、とても不安になっていました。また、少し緊張もしていました、しかしそんな不安や緊張も先生の言葉を聞いているうちに薄れ、リラックスすることができました。そしてその日、わたしは合格を手にすることができたのでした。
 私がアテナに転塾したのは四年生の春休みでした。前に通っていた塾では一対一で授業を行っていました。そのためはじめは、少人数でちゃんと教えてもらえるのかなと少し心配でした。しかし先生のわかりやすい授業を受けているうちに、アテナって楽しい、アテナに通えてよかったと思うようになりました。そして先生に習っているうちに段々と学力もついていき、月例テストで一位を取るのがほとんどになっていきました。けれど九月になって過去問演習をやり始めたころ、私に欠けているものがより明確になってきました。それは知識です。なんだ、たいしたことないじゃないかと思うかもしれませんが、私は社会が本当に苦手でした。受験者平均点を下回ったりすることが多く、また、社会の中でも特に地理と年号暗記ができませんでした。単語帳を作ったり「ゴロ合わせで覚える社会」などを読んだりはしていましたが上手くいかず、あきらめることもありました。そんな時、宮本先生は私のことを本気で怒ってくれました。そのおかげで私は気合を入れることができ、点を取れるようになりました。宮本先生には本当に感謝しています。
 今私は吉祥女子中学校に入学するための準備をしています。アテナで使ったノートや過去問などの整理もしています。説明会に行ったり、ノート一冊一冊を手に取って見るたびにああ、中学受験をして良かった、アテナに通えて良かったなあと思います。それはもちろん、合格できたからという理由からです。けれどもそれ以外にも、勉強をする面白さを知れた、勉強が好きになれた、自分に対する自信をつけることが出来たなど様々なことから良かったと実感します。今思えば、アテナに通っていた時間は本当にかけがえのなく、大切なものでした。そして先生のおかげで私は合格することが出来ました。
 宮本先生、本当にありがとうございました。

K・Kさんの中学受験体験記
(2016年度 成蹊中・恵泉女学園中・西武文理中特選 他合格)

 私は、四教科の中で特に社会が大の苦手でした。理科はとても好き。国語は結構得意。算数は少し苦手かも。だから算数が早めに終わりたくさんマルをもらえたときはとても嬉しく、六年のころは問題を解くのが好きになれました。
 しかし、社会の授業前はずいぶんテンションが下がり、こんな科目なければいいのに・・・と思ってしまうのでした。
 私はハリー・ポッターシリーズが大好きなのですが、物語の中の呪文や魔法生物ならたくさん覚えられるのに社会が出来ないので年号や言葉、人物名、地域名、国名すべて呪文にして私の頭に入るようにしたい!というより私の記憶力を上げる魔法はないのか!私のようなマグル(魔法が使えない人)には出来ないのか!というレベルで、そう考えると覚えてどうなるのか、社会人になって本当に役に立つのか考えてしまって結局覚えるのがおっくうになってしまって・・・と、どうしようもないのでした。
 そして、試験が急に近づいてきたように感じる一月。ずうっと過去問を解き、解き直す、答え合わせ、バツがつく、もう一度、またバツ、質問する、で、また解き直し、と繰り返している上旬のある夜、急に何かが心配になってきたんです。
 それが私が社会が出来ないことの心配だとわかり、それからは参考書、時事問題集を持ち、年号や人物名の暗記、言葉や国名地名の暗記を始めました。これが先生が言う「クライマーズ・ハイ」だったのかもしれません。そこからは、もうラストスパートで一気に年号、名前、国名を一気に頭にたたきこんでいけるようになりました。もう社会はそこまで苦手科目ではなくなり、自分がマグルであったことを悔やむこともなくなりました。
 試験当日は一月校が上手くいったこともありあまり緊張せず・・なんてとんでもない!!もうドキドキのバクバクでした。終わったとき私はあまり上手く出来なかった気がしてなりませんでした。とても大きな不安を持ちながら午後受験へ向かいました。午後受験が終わった時は上手く出来たかなぁと思いました。 さて、夜になりインターネットでの合格発表。
 午前受験のR校の結果は・・・やはり上手くいかなかったと思ったのは正しく残念ながら・・・。しかし予想はしていたのでそれほどのショックはありませんでした。
 午後受験のK校は無事合格。
 さて、どうしましょう。合格をくれたK校はとてもいい学校なのですが、もう少しランクの高い学校に行きたい気もする。第二志望としていたK校は実はそれほど好きな学校ではありませんでした。そこで突然上がった案がS校受験。父が強くすすめていた学校だったのですが共学だったので受験校からは外していました。(私は女子校希望)
 これまで一度も対策をしていませんでしたがK校を捨てS校を受験する!と決意しました。
 二月二日、三日で去年と一昨年の過去問を解くだけで四日の受験本番がやってきてしまいました。試験が終わったとき、正直これはイケたかなぁと思いました。しかし昼食中に母がこんなことを言ったのです。
 「S校の二回目女子の合格者って20人くらいしかいないんだって」
 !!それからは、もう不安で不安で、自分を信じるなんてとうてい無理でした。これは落ちたな・・と思いました。
 さあ、夜の九時。合格発表。私はのんきにテレビを見ていました。
 発表から三分経っても連絡がないので宮本先生はやきもきして自分から合格発表を調べて電話をしたそうです。
 すると、なんと!私の番号があるではないですか!!
 こうして私は大どんでん返しの末にS校に行くことになったのです。
 この経験を通して私は、自分を信じることが受験でもいつでも大切なのだと実感することができました。
 それから宮本先生、やっぱり先生じゃなかったら合格にたどりつけなかったと思います。本当にありがとうございました。
 合格の他に得たものが大きな中学受験でした。

Y・Hくんの中学受験体験記
(2016年度 巣鴨中・茗溪学園中 他合格)

 僕がアテナに通い始めたのは四年生の七月初めでした。初めは学校で習わない算数のやり方を覚えるのに必死でした。その時には気づきませんでしたが、後で考えると先生が一人で四教科を教えているところは良い点がいろいろとありました。
 一つ目はある教科の授業中にほかの教科の話ができるというところです。その教科に集中できないのではないかと思うかもしれませんが、例えば理科が好きで社会嫌いの男の子が理科の授業でジャガイモの芽生えについて授業を受けているとします。そんなとき先生は彼にジャガイモの生産上位三都道府県を答えさせます。そうすることで脳をフル活動させている時間、この場合は理科の時間、にこのようなほかの教科の知識を得る時間を設けてくれるのでそれも一緒に覚えてしまうのです。
 もう一つは過去問で苦手な部分をしっかりと見つけて対応してくれるので、一人一人のことをしっかりと見守ってくださっているという安心感があることです。僕は九月に過去問をやり始めて、一月にはだいぶ点が取れるようになったのですが、理科がイマイチでした。残り一週間になり、理科は点が上がらないかもしれないという言葉が頭の中をよぎりました。その時、僕は先生にR君とともに呼び出され、理科の特訓ノートを作らされました。それを毎日続けると、魔法にかかったかのように理科の成績が伸びました。五十点中半分くらいしかとれなかった理科の点数が、高いときは三十七点くらいまで上がったのです。先週までの自分がうそのようで不安がなくなりました。
 このようなことがあって、すぐに二月一日になりました。朝は早くて大変でしたが、一月はもっと早くに家を出ていたのでものすごく眠いということはありませんでした。一教科目の国語は最初の漢字問題で「和む」が書けず、少し緊張しましたが、算数や理科を頑張ろうという気持ちにもつながりました。結果は合格でした。巣鴨中の過去問や対策に早くから取り組んだことが合格につながりました。特に過去問を何年もさかのぼって徹底的に解いたことが、とても効果的でした。
 今回の中学受験という大きなくくりが終わって、過去の自分に勝つことの大切さを学びました。昨日の自分に毎日ちょっとでも勝つことで、日進月歩の努力ができるのだと思います。
 最後に、来年、再来年とアテナで中学受験をする人たちへのメッセージです。
 〇賛瑤麓阿篆泙鬚ちんと書く。
 苦手だと思うところは先延ばしにしない。
 先生の教えはちゃんと守る。
 以上です。後輩の皆さん頑張ってください! そして今まで見守ってくださったお父さんお母さん、いつもとなりで励ましあった二〇一五年度卒業生のみんな、今まで全力でサポートしてくださった宮本先生、本当にありがとうございました。

M・Tさんの中学受験体験記
(2015年度 吉祥女子中・国学院久我山中ST 他合格)

 私がアテナに入ったのは、3年生の途中でした。入った頃から全くといっていいほど勉強せず、よく怒られていました。あまり改善しないままどんどん時間だけがが過ぎていきました。
 6年生の夏にはじめて吉祥女子の過去問をやったところ、初めてだったにもかかわらず合格最低点をこえました。私は有頂天になりました。しかし、次に吉祥女子の過去問をやると結果は不合格。そんなふうに結果が乱高下する日々が続きました。
 その状態のまま1月校を受験しました。そして、結果は不合格。しかも、同じ試験を受けた友達は合格していました。ものすごくくやしかったです。
 さらに、2月1日の午後受験の学校の過去問演習でも、あと1問でも間違えていたら不合格という点数をとってしまいました。そんな私を先生は厳しく叱って下さり、気合を入れなおしてくれました。
 そして、2月1日。吉祥女子の校門につくと、先生が入試応援に来ていました。そして、「合格」と書かれたカイロをもらいました。そのおかげもあってか私は大して緊張せず、落ちついて試験会場に向かうことができました。問題を解き終わったあとの手応えもありました。午後入試も落ちついて問題を解けました。そして、結果はどちらも合格でした。そのことを知ったときはとてもうれしかったです。
 私が中学受験を通じて学んだことは3つあります。1つ目は、自分の頭がいいと思って油断しないこと。いくら模試などでいい点数や結果であっても、その学校をなめていると不合格になります。私自身勉強をおこたり1月校をなめて不合格になりました。2つ目は、最後は自分を信じてがんばることです。いくら手が届かなくても、自分を信じてがんばったからこそ、自分は吉祥女子に受かったのだと思います。3つ目は自分がめぐりあった先生にたよることです。私は、先生のおかげで見事吉祥女子に合格することができました。
 宮本先生、今までありがとうございました。

A・Gさんの中学受験体験記
(2015年度 吉祥女子中・浦和明の星女子中・西武文理中特選 他合格)

 私がアテナに入塾したのは三年生の2月でした。アテナは入塾する前に見学した大手塾とはちがって少人数だったことが印象的でした。見学時には少しおどろきましたが、アテナに通ううちに良いところが分かってきました。一つは授業D丁寧に教えてもらえるところです。二つは質問がたくさんできるところです。5,6年生になって特に質問がふえてたくさんすることができたので良かったと思っています。また、アテナにはしゃかりかクラブがあるので自分で実物を体感し学ぶことができ、夏季合宿などでストレスを発散することができました。
 一月校の浦和明の星中は前の模試でギリギリだったこともあり、とても不安でしたが全力を出し切って問題をときました。まわりの子たちの気合に圧倒されてしまいそうでしたがやり切ることができたので満足でした。合格発表で自分の番号を見つけ、とてもうれしかったですが、番号がとんでいたりすごい気合で受験していたまわりの子たちが落ちているのを知り、改めて受験のきびしさというものを実感しました。一月校から二月一日までは塾に毎日通い、朝9時から夜8時ごろまで、過去問をといてとき直しをしました。吉祥女子は合格ラインにたっしていたので途中からは女子学院中の模試をやって油断をしないように努めました。一月の間、ほとんどの日に先生に塾を開けてもらったおかげで吉祥女子中の過去問で合格最低点+20点ぐらいだったのが+45点くらいにまで上がっていきました。なので吉祥女子中はとても自信がつきました。
 一月校から二月に突入するまではあっという間でとうとう二月一日になりました。第一志望校の吉祥女子中の入試日だったので得意だった国語で緊張してしまいすこし不安でしたがその後はいつも通りに実力を出せました。得点があまりとれなかった算数がよくできたので「受かった!!」という手応えがありました。合格発表で合格を知り、とてもうれしかったと同時にホッとしました。その後には東京農大一中の合格が確認できて二日の女子学院中へ強い気持ちをつくりました。
 女子学院中の国語で最後の漢字をまるごと忘れてしまったのが不安でしたがその分まで補うために社会と理科でがんばろうと思いました。社・理は自信がありましたが、最後の算数で他の子たちの勢いにおされとてもあせってしまい全くできませんでした。結果は、不合格でした。算数であせってしまう自分のクセを最後まで直せなかったのが原因なのかと反省しましたが、4年生から目指していた吉祥女子中に合格できたので納得しています。
 最後に中学受験をふり返ってみて大切だと思うことは努力することです。なぜなら、私がスランプにおちいった時にあきらめずに努力をすることでスランプからぬけ出すことができたからです。
 最後の過去問演習の時まで切磋たく磨してきて楽しいクラスにしてくれた友達、どんな時もはげましサポートしてくれた家族、勉強だけでなくいろいろな事を教えてくれた宮本先生、今までありがとうございました。

A・Yさんの中学受験体験記
(2015年度 東京学芸大国際中・吉祥女子中・東京農大第一中・西武文理中特待生 他合格)

 私は以前、大手塾に通っていましたが、宿題の量が多すぎるうえ、分からない問題も先生に聞きづらく、わからないままになってしまっていて、なかなか成績が上がりませんでした。そんな時に母がアテナを見つけてくれました。アテナでは、それまでの塾とは違い宿題が最低限だったので、気持ちに余裕ができました。
 私は始めあまりやる気があるほうではなかったので、宿題もそんなにやっていきませんでした。でも先生がとても熱心に指導してくれたので、だんだんやっていけるようになりました。
 理科社会の暗記物はとにかく苦手で、最後まであまり努力できませんでしたが、先生が何度もチェックテストをやってくれ、合格するまで終われないようになっていたので、最後には一番苦手だったところもなんとか克服することができました。
 算数は、アテナでは途中式や図を書くことを大事にしているので、入った当初はよく注意されました。面倒くさいなと内心は反発していましたが、結果的にはそのおかげで途中式を書く習慣もでき、力がついたのだと思います。また、図を書く習慣は6年生の冬期講習に入るくらいまでつきませんでした。でも過去問をやっていく中で、どうしても解けない問題が出てくるので徐々に習慣になっていき、その方が頭の整理がついて解きやすいので、それまで解けなかった問題が解けるようになり、成績が上がりました。
 また、国語は得意科目だったので、国語の宿題を知識問題だけにしてもらい、無駄が省けて、それも良かったと思います。
 2学期からの過去問演習では、算数や理科の計算、国語などで分からない問題があったらすぐに聞くことができるし、社会は教室にたくさん資料があるので、自分で調べることができました。調べることで知識が定着するので、とても効率がよかったと思います。
 また、先生は一人一人得意不得意にあった指導をしてくれ、志望校の過去問研究をしてくれていたので、これをやれば受かる!というのがわかり、3学期の直前はそれだけをやっていました。
 試験前日には、各教科あまり難しい問題はやらず、基礎や時事問題などしかやらなかったので、解けない問題はなくて焦らずに済み、落ち着いて本番の試験を受けることができました。
 私の受けた学校の中には、集団で話し合いをする面接や、図表を読んで自分の考えをまとめる記述などの試験もありましたが、先生は模擬面接や過去問をこまかく添削してくれ、試験前日はやりすぎずテレビでも観ればと言ってくれたので、緊張せず気楽に受けることができました。
 アテナなら、今勉強のやり方がわからない人も、きっと合格できると思います。頑張ってください!

N・Mくんの中学受験体験記
(2015年度 明大中野中・日大二中・宮崎日大中・佼成学園中 他合格)

 ぼくは、アテナ進学ゼミに入る前に三年から早稲田アカデミー、サピックスに通っていました。その大手塾では全然成績がのびずになやんでいました。そこで、アテナに通っていた野球の先輩に誘われ、アテナの天体講座に、初めて参加しました。早稲田アカデミーやサピックスとちがい、先生一人で指導をしていてはじめはびっくりしました。けれど一人一人にやさしく、ときにはきびしくていねいにおしえてもらいました。さらに、算数や理科では先生独特のやり方があり、それにならってやったところ、とても成績が上がりました。ぼくは、「式に単位をつける」という指導をきちんとやらなかったので、その度に先生に厳しく注意されました。
 そして9月ころからはじまった過去問演習。ぼくは9月ごろでも志望校が決まらず困っていました。しかし、母がうまく自分に合った学校を見つけてくれました。それが、明治大学中野です。その学校の最初の過去問を解いたときは、合格最低点からマイナス80点くらいはなれていました、しかしぼくは志望校を変えずにがんばりました。わからないところは先生にすぐに質問に行くなどして、しっかりとき直しをしました。そうすることで社会の知識がとてもよく頭に入りました。「ゴロ理科」や「ゴロ社会」などを使って勉強していったら全体的に偏差値も上がりました。
 一月はほぼ毎日学校を休み、朝の9時から7時くらいまでは勉強をしていました。とてもつかれましたが勉強をするのが楽しくなっていきました。一月に先生から課題がたくさん出ました。社会の知識問題や算数の図形数量計算などの問題が課題となりました。それを毎日少しずつ、やっていきました。
 そして、迎えた一月校の宮崎日本大学の入試。当日会場まで先生が来て励ましの言葉をもらい、緊張を打ち消すことができたように思いました。すべての科目まあまあできていたのでよかったです。一週間後に郵送で結果が来ていました合格していたので嬉しかったです。
 そしてとうとう二月。二月一日の午前中はすべり止めの佼成学園をうけました。全体的に簡単ですらすらとうけることができ、自身を持って午後受験に向かいました。午後は東京農大一中の試験でした。けっこう出来たと思いましたが、結果は残念ながら不合格でした。
 二月二日の午前。明治大学付属中野中学の試験。会場に言ったらアテナを紹介してくれた先輩が来てくれていました。何と、宮本先生がその先輩に、入試応援を頼んでくれていたのです。そのおかげで勇気がわきました。試験では国語と理科はよく解くことができましたが、算数と社会はあまり解くことができなかったので、あまり自信はありませんでした。結果は翌日の10時です。ぼくは緊張しながらその日は眠りにつきました。
 二月三日の試験は日本大学二中です。問題はいつも過去問をやっていたときと同じように解けました。試験と面接の間に休けいがあったため、お母さんとお父さんいる待合室に行ったら、二月二日の明大中野に受かっているという報告を受けてとてもうれしかったです。しかし、日本大学二中は、午後の面接がうまくいかなかったので不安でした。夜ホームページで合格発表を確認したところ、自分の番号がありました。とても嬉しかったです。
 受験が終わってふりかえってみると色々なことがあったなと思い出しました。僕が受験で大切だと思うことは、
 _甬醋笋あまりよい成績をとれなくてもあきらめないこと。
 ◆嵜泙鬚く」などの基本的なことをしっかりやること
です。
 宮本先生。ぼくをささえてくれた家族。ありがとうございました。そして一緒にがんばったクラスのみんな、忘れません。本当にありがとうございました。

M・Oさんの中学受験体験記
(2015年度 東京農大第一中・富士見中・山脇学園中・土佐塾中 他合格)

 私がアテナに通いはじめたのは五年生の9月頃からでした。前の◯塾では宿題に追われる毎日でした。転塾した最大の理由は、算数での質問が消化しきれず、分からない問題がたまっていくことでした。でもアテナに移ってからは質問がしやすくなり先生は私が理解するまで丁寧に教えて下さいました。
 アテナのメリットは、算数は確実に理解するまでは帰れないという事と、宿題が少ないので復習する時間が持てるという事です。ところが私は理解できたことに安心しきって復習をおこたっていました。その結果、六年生の九月から始まった過去問演習では、第一志望校の合格最低点に一度も届かず穴が多く見つかりました。そこから私は穴をうめるための総復習を始めました。過去問を解くことで自分の苦手な部分がわかっていくので、その箇所を重点的に復習しました。
 九月から私は、国語、社会、理科の暗記物を徹底する事を決めました。12月半ばになるとかなり定着し成績にも表れてきました。算数は先生から出された問題集を一月の最後まで繰り返し解きました。そして、一月は定着していない単元を克服するために時間を使いました。
 そしてあっという間に二月一日になりました。その日は緊張することなくリラックスして試験に臨むことができました。午前入試の山脇学園ではいつも以上に出来はいいなという実感がもてました。その後の午後入試の東京農大一中では、いつもより集中力が持続し、十分な手応えもつかめました。午後入試が終わってもまだ両方結果がわかっていなくて、結果発表の時間が近づくにつれて緊張していきました。そして両方の合格がわかった時は、思わず飛び上がりました。
 受験のために走り続けてきた三年間をふり返り、達成感でいっぱいになりました。そして、途中であきらめなくてよかった、と心の底から思いました。
 宮本先生。一年半という短い間でしたが本当にありがとうございました。

S・Kくんの中学受験体験記
(2015年度 芝中・東京農大第一中・西武文理中特選 他合格)

 僕がアテナに入ったのは、六年生の四月の終わりごろで、前の塾で成績が落ちていたときでした。母も悩んでいておさななじみの友達のお母さんに相談して紹介してもらい、入塾しました。
 アテナの良いところは、個人塾なため大手の塾よりも人数が少なく先生の目が行き届くので、苦手な単元や教科も個別の指導や課題で克服できる所です。僕は社会と国語が苦手だったのですが、社会は、苦手な人用の地理講座で、国語は、休んだ人が多かった時に先生がとってくれた、午前中の授業をすべて国語にするという対応や、分かりやすい、プロジェクターを使った解説で分からないところも理解できました。夏休みの夏期講習も、四日通って一日休みのペースでやるので疲れきることもなく充実して勉強ができました。
 九月に入ると過去問演習が始まり、第一志望の過去問を解いていきます。僕は、第一志望の過去問をやったのですが、合格最低点との差が百点を越えることが度々あり、対策の勉強はしていても、最初の数回をのぞいて、第二志望と第三・第四志望数回ずつを一月の下旬までやっていました。しかし、二月一日の六日前に再び第一志望の過去問を解くと九月よりもずっと点数が上がっていました。一番多く過去問を解いた第二志望の学校の問題の傾向が似ていたこともありました。その日塾から帰るときに、先生に実力がかなり上がっていると言われてとてもうれしかったです。
 一月十日に一月校として最初の受験をしました。本番緊張することもなく無事合格したのですが、その後不調が続きました。一度、先生から「今日はもう帰りなさい」と言われ家に帰った時に、点数が上がらないことや帰りなさいと言われたことがショックで泣いてしまいました。でも実はそれは、僕の体調を気にした先生の作戦だったのです。その日、先生のアドバイスに従って家族で温泉に行ったところ、また調子を取り戻せました。第二志望の過去問の出来も良くなり、第一志望の過去問も再びやれるようになりました。一月でも不調なときは大胆に休むことも必要だと思いました。
 二月に近づくにつれて調子も上がり第一志望の受験日も緊張することなく試験を受けることができました。第一志望には残念ながら不合格になってしまったのですが、最後まで受験を楽しめました。アテナで受験をしたことは僕にとってとてもよかったと思います。受験来年、再来年に受験をする人も是非アテナでがんばってください。

H・Tさんの中学受験体験記
(2014年度 昭和女子大附属中・宮崎日大中 他合格)

 私は小学4年生が始まる3月からアテナに通い始めました。しかし、入塾してから6年生の夏ごろまでは、ただ先生の授業を聞いてそれをノートに写すだけの日々でした。そして、授業でわからなかったところもそのままにして、ほったらかしにしていました。そのため、月例テストや首都圏模試の結果は、いつもさんたんたるものでした。それでも私は平気でした。なぜかと言うと、小学校の友達と一緒に公立中学に行きたかったからです。この意見には父も賛成でした。ただ母は反対でした。母は私立中学のきめ細かな教育を私に受けさせたかったからです。何度も私は母に「中学受験をやめたい」と伝えましたが、母を説得することはできませんでした。私の方も、塾の友達に会うことが楽しかったので、押しが弱かったのです。
 そういう気持ちのまま、6年生の9月になり、過去問演習が始まりました。過去問をやるようになって、具体的な目標が見えるようになりました。私は「昨日より今日、今日より明日…」というふうに目標を定めて頑張りました。すると少しずつ私の気持ちに変化が生じました。志望校に合格したいという気持ちが強くなってきたのです。
 そして残り一ヶ月となったところで、私は学校を休み毎日塾に通いました。アテナは1月は朝9時から夜まで教室が開いていて、自習室を自由に使えたので、それを活用しました。
 私は国語が苦手だったのですが、宮本先生に入試に出そうな問題を予想していただき、そこを中心に勉強をしました。
 そしていよいよ2月1日。私は今まで味わったことのない緊張感におそわれました。テスト中もずっと緊張が続き、「この試験で受からなかったらどうしよう」とまで考えてしまい、とても焦りました。国語を時間内に解き終わることができず、残念な結果に終わりました。
 夜、いつも通り出来なかったのはどこかを反省し、明日に向けてどうしたらよいかを家族で話し合い、2回目の試験にいどみました。試験会場に行くまでは、一日目と同様に、緊張と焦りがありました。ですが、父がかけてくれた一言で、一瞬にして緊張と焦りがほぐれました。その一言とは、「たんたんとテストをやれば合格する」でした。テスト中も「たんたんと」を思い出しながら集中できました。前日の夜に宮本先生が予想した国語の問題も出ました。そして二日目のテストが終了しました。
 夜、宮本先生からの電話が鳴りました。それに出たら「合格です」と言われました。私は今までに味わったことのない喜びを感じました。喜びのあまり思わず涙が出ました。本当に嬉しかったです。
 私が昭和女子に合格できたのは、熱心に指導してくださった宮本先生や、最後まで私を支えてくれたお父さん・お母さんのおかげだと思います。
 本当にありがとうございました。

H・Mさんの中学受験体験記
(2014年度 晃華学園中・恵泉女学園中・大妻中野中・大妻嵐山中スーパーアドバンス 合格)

 私は以前、大手塾に通っていました。大手塾に通っているときには、先生に質問などが出来ず成績が思うようにのびませんでした。そのことを心配した母が、知り合いからアテナ進学ゼミという塾の話を聞いてきました。私はその塾の体験授業を受けることにしました。それは小5年の12月のことです。そのときの授業内容は「2時間で食塩水をマスターしよう」というものでした。先生が問題の解説をした時に、「こんな解きやすい解き方があったんだ!」とびっくりしました。大手塾のころの解き方と少し似ていたけれど、図の書き方が違っていたからです。水袋や、盛塩、ビーカー図など、絵を書くような感覚で楽しく問題を解くことができました。アテナでは基本的に計算は暗算でする、ということにも驚きました。なので、私は一生懸命暗算で計算をしました。この授業を受ける前までは転塾をすることを迷っていたけれど、この授業を受けた後はあっさり転塾をすることを決めました。
 転塾してからは私はどんどん成績がのびていきました。だけど、私の苦手科目の算数と理科の成績はあまりあがらず、苦手なままでした。しかし、その2科目を克服した方法があります。それは、図を書くという作業をする、問題文をよく読むということです。私は面倒くさがって図を書かなかったことが結構ありました。問題文をななめ読みすることも多かったです。宮本先生に、「図をなぜ書かないのか?」とか、「問題文をよく読め」といったことを厳しく言われ、それを実践しているうちに、理科と算数も少しずつのびていきました。
 そして、9月から始まった過去問演習。一番最初の結果は、第一志望の合格最低点との差がマイナス66点でした。私はそれでもあきらめず、過去問をやり続けました。しかし、差は縮まっていきますがプラスになることはありませんでした。そこで宮本先生からのアドバイスを受け、第二志望の過去問をやることにしました。第二志望の過去問はほとんどプラスだったので、やる気が出ました。そこでまた第一志望の過去問をやることにしました。このとき私は、解き直しをしっかりするということを意識しました。アテナでは解き直しを大切にしていたからです。「わからないところは先生にどんどん質問する」「図を書く」「問題文をしっかり読む」ということも意識していくうちに、少しずつ自信がついていきました。
 もう1つ、私が大切にしたことがあります。それは空き時間には、ゴロりかやゴロしゃかという豆本を見て暗記をするということです。私は、社会の年号が覚えられませんでした。そこで、行き帰りの電車の中などでいつもゴロしゃかを見ていたら年号がどんどん頭に入っていきました。すると社会の点数がさらにのびていきました。
 1月は毎日、朝の9時から夜の7時ぐらいまで、アテナで過去問演習をやっていました。毎日朝から塾が開いているというのは、最後の追い込みのこの時期には、とても心強かったです。
 そして迎えた2月1日。第二志望である恵泉女学園の入学試験を受けに行きました。前日は緊張せずに、早く寝ることができました。翌日は朝の6時30分に家を出ました。全く緊張しませんでした。学校につき、いよいよ入試が始まりました。全教科、落ち着いて解くことができました。80%ぐらい合格する自信がありました。そして午後7時、恵泉女学園のホームページを家族と見ました。そうしたら私の番号がありました。うれしくて、宮本先生に電話しました。
 2月2日は第一志望である晃華学園の入試を受けにいきました。算数と理科が全然できませんでした。3%ぐらいの自信しかなく、おそらく落ちただろうと思いました。晃華学園のホームページを見たら案の定落ちていました。私はそのときは、そんなにはがっかりしませんでした。
 2月3日の晃華学園の入試。会場についたら宮本先生が応援に来てくれました。先生から合格のカイロをもらい、会場に入っていきました。全教科リラックスして解くことができました。85%ぐらい合格する自信がありました。午後7時45分ホームページを見たら、何と合格していました!うれしさのあまり、家族全員とびはねました。本番は問題文をしっかり読むことができ、図もちゃんと書くことができました。それが今回、晃華学園に合格することができた最大の理由だと思います。
 私はこの受験で、「決してあきらめない」、「最後の1秒まで全力をつくす」ということの大切さを学びました。
 今思い返すと5年の12月からではなく、もっと早くからアテナに入っていたらよかったと思いました。私が最後までがんばれたのは宮本先生のご指導、アテナの友達とのはげましあい、家族の支えがあったからです。今まで本当にありがとうございました。中学でも入試で学んだことを忘れずにがんばっていきたいです。

T・Wくんの中学受験体験記
(2014年度 桐朋中・国学院久我山中ST・西武文理中 合格)

 僕は以前、S塾に通っていました。簡単な問題も解けず成績はあまり良くなかったのですが、当時の僕も四年生で受験について深く考えたことがなく、特に何も感じていませんでした。そのことを心配した母が、いろいろと塾を探してくれました。その中の一つに「アテナ進学ゼミ」がありました。
 僕が初めて真剣に受験に向き合ったのは、よく考えると、六年生になってからだと思います。それでもギリギリ間に合いました。アテナは質問に自分の好きな時間に行けるため勉強の効率が良くなります。
 今まで受験にあまり前向きでなかった自分が頑張ろうと本気で思ったのは、忘れもしない十二月十七日のことです。僕とその他何人かが、やる気がないと授業後に残され、話をしました。話には図星なことがあり少し恥ずかしかったです。話は終了し、気分が沈んでいました。しかし先生が「厳しいことを言ったけれど、絶対に君を最後まで見捨てることはない。見捨てないから最後まであきらめずついてきて下さい」と言ってくれました。僕はその言葉を聞いて、最後まで頑張ろうと思いました。
 アテナでは「解き直し」がとても重要であるとされています。皆さんは、テストをした時に解き直しをしていますか。解き直しをすると自分の分からない問題が理解できます。ここでも自由に質問できることが役立ちました。
 1月はほぼ毎日塾に行き勉強をしました。するともう一月三十一日、二月一日となっていました。本番です。緊張はあまりしませんでした。国語は記述。記述は内容を理解していれば一点や二点がもらえます。これらをひろって点数を上げていきます。算数はひらめきです。ひらめきがあるかないかで点数は大きく変わります。この日の僕は絶好調でした。そして理科、社会と受け、あっという間に終了し、午後の入試に向かいました。
 二月二日の朝。六時頃。少し早く起きて、2月1日午後入試の結果を見ました。可能性は60%ぐらいだろう、と思っていましたが、なんと合格でした。嬉しさのあまり早朝6時くらいに先生に電話をしてしまいました。前日の午後入試で合格だったため、午前中は試験がなくなりました。そしていよいよ午後、第一志望である桐朋中の合否を確認しに、国立に向かいました。70%ぐらいの自信がありました。大学通りを歩き、すれちがう人が泣いていたり、喜んでいたりして不安になり緊張してきました。掲示板の前に来ました。頭の中は真っ白でした。そしてある一つの数字が目に飛びこんできました。僕の受験番号です。僕は嬉しくて安心して少し泣いてしまいました。
 今考えると僕はニガテを克服しないまま受験に向かいました。それでも1月のはじめにあったニガテの量を100とすると最後は15くらいには減りました。苦手科目があるのは仕方がありません。ニガテを無くすよりも得意を多くする方が何倍も簡単です。ですから直前で頑張るのは得意科目だと思います。それでもニガテもやったほうがいいです。
 受験は将来を決める大切なことですが、長い人生に比べたら中、高の六年間なんて短いものです。その長い人生の中で後で振り返った時に、一・二を争うほど勉強したなと思えるほど勉強したことはとてもよかった。そして達成感はすごく大きいものでした。途中つらくて逃げ出したいと思ったことは何度もあったけど、最後まで頑張って良かったです。楽しかったです。
 宮本先生、ありがとうございました。

R・Hさんの中学受験体験記
(2014年度 吉祥女子中・東京学芸大小金井中・西武文理中特選 合格)

 私がアテナに入塾したのは、六年生になってからでした。以前は大手S塾にいましたが、大手塾では、宿題に追われる毎日でした。それまでは机の上でしか勉強をやっとことがなかったのですが、それとは違いアテナのしゃかりかクラブに行ってみて、自分で体験し楽しみながら学び、実物を見て確認することの大切さを知りました。
 私がアテナに入って好きになった教科は算数です。もともと、算数は点数が悪かった訳ではないけれど、好きな教科ではありませんでした。しかし、アテナに入ってからは宮本先生に教えていただいた「ひな祭り作戦」や「ふんすい作戦」などの、解りやすい解き方を身につけることができ、算数が面白いと感じるようになりました。どんなに難しい問題もあきらめないで根気強く考えるようにがんばりました。
 1月校の西武文理中は、初めての受験ということもあり前日の夜に緊張してあまり眠ることができませんでした。でも母が「1月校は本命じゃないけど模試のような感じで解いて来たらいいんだよ」と言ってくれたので、受験している間は全く緊張を感じませんでした。終わった時にはあまり自信がなかったので、合格発表の時にすごく緊張しましたが、特選に合格することができました。でもそれに浮かれずに、二月一日の吉祥女子に向けて気をひきしめていこうと思いました。
 二月一日は1月校からあっという間でしたが、その間に最後にたくさんの知識を入れることができたので、今までやってきた力を出しきるだけだと自分をはげましました。二月一日の朝に吉祥女子の校門をくぐる時に、宮本先生から言われた通りに正面の校舎を見上げ、「私はこの学校に通う!」とつぶやきました。吉祥女子を受けている時も1月校と同様にあまり緊張しませんでした。試験が終わった後にはまだ終わったという実感がありませんでしたが、合格発表で自分の番号を見つけた時、今までに味わったことのないようなうれしさを感じ、一生けん命がんばってきて本当に良かったと思いました。中学受験は長かったようですが、あっという間でした。今思えば大変だったこともあったけど全部まとめてみるととても楽しかったように感じました。
 私が中学受験で特に大切であると思う事は三つあります。一つ目は、メリハリをつけて勉強に取り組むことです。時間を決めて、勉強をする時は勉強して、遊ぶ時は思い切り遊ぶということです。そうすることで私は、すごく勉強に集中できました。
 二つ目は、こまめな時間を活用することです。たとえば塾の行き帰りで社会や理科の暗記分野をやることで、知識が少しずつ頭に入ってくると思ったからです。
 三つ目は、目標を声に出すということです。私は、受験の半年前から家で、「吉祥女子に合格する」と書いた紙を壁にはり、声に出していました。声に出して言ってみることで自分を勇気づけたり、意志を強くするためにとても良かったと思います。
 最後に、直前まで色々とアドバイスを頂き合格へと導いてくれた宮本先生、一緒に勉強をし、はげましあった友達、そしていつも見守り応援してくれた家族、今まで支えてくださり、ありがとうございました。中学生になっても中学受験で学んだことを忘れずに活かしてがんばっていきたいです。

M・Kさんの中学受験体験記
(2014年度 東京農大第一中・富士見中・大妻嵐山中スーパーアドバンス 合格)

 私がアテナ進学ゼミに通い始めたのは、5年生の春です。私は、それまで塾に入ったことがなく、あまり中学受験という言葉になじみがありませんでした。ですが、クラスの中には受験のために塾に通っている人がたくさんいました。その影響をうけたのか、私の心の中には「受験をしてみたい」という気持ちが生まれました。母はその姿勢を大切にするために、必死に塾を探してくれました。その時に出会った塾がアテナ進学ゼミでした。
 最初の一週間の体験授業では、ほとんど中学受験の対策をおこなったことのないわたしでも十分に理解できるようなわかりやすい授業で、他の塾で体験した時とは違いました。ほかにもアテナ進学ゼミには、他塾との違いがありました。今思うと、それが合格のポイントだったと思います。たとえば、宿題の量がとても少ないことや、先生が一人で全科目教えるというところです。宿題の量が少ないことで、暗記や復習の時間を作れるようになり、効率が上がりました。また先生が一人なので、他の教科とのバランスがとれるようになりました。このように、すべての「ちがい」に意味がありました。そのおかげで、5年生の11月ごろ、とても成績が伸びました。ですが6年生になると成績の伸びが止まってしまいました。
 私の中ではいつもと同じように宿題を解き復習をしていたつもりでしたが、算数や理科などの教科が伸び悩んでいました。頭が真っ白になってしまい、今、私がやるべきことを完全に見失っていました。なんとか夏期講習を乗り切り、少し自信が付いてきましたが、9月から始まった自分の志望校の過去問演習では合格最低点からマイナス100点という足元にもおよばないほどの差で、一度は志望校を変えようかなとも思ったほどでした。ですがその時期に宮本先生からアドバイスをもらい、初心にもどる大切さに気付きました。基礎である「図をかく」ということや、少しでも疑問に感じた所があればすぐに質問に行くなど、少しずつ合格のための環境づくりをおこないました。その結果、1月に入って実力がグンと跳ね上がった実感がありました。そして第一志望である東京農大一中に、2月1日の午後入試で合格することができました。受験前に宮本先生から「問題をよく読め」と書かれた紙をもらったのですが、受験の際にそれを見て、落ち着いて問題をよく読んだことも勝因だと思いました。
 私は中学受験に挑戦する人に伝えたいことがあります。それは、たとえ受験1ヶ月前に結果が残せていなかったとしても、合格できないわけではないということです。私は受験というものは、自信があれば、合格すると思っています。だから1ヶ月前の結果でくよくよしていては損だと思います。自分が分からない問題は、ほかの人もわからないというくらいの気持ちで、入試に向かってほしいと思います。
 私が農大一中に合格できたのは、宮本先生の熱い指導のおかげです。私を第一志望に導いてくれて本当にありがとうございました。

M・Iさんの中学受験体験記
(2014年度 筑波大学附属中・女子学院中・吉祥女子中・浦和明の星女子中 合格)

 私は、姉が通っていたことがきっかけで、新小5の授業が始まる2月にアテナに入塾しました。アテナに入ったばかりの頃は、本格的な受験勉強をするのは初めてだったので、とても不安でした。でも、明るい先生や優しい友達、一生懸命サポートしてくれる家族のおかげで、慣れない生活にも少しずつ慣れていきました。
 始めのうちは明確な目標もなく、ただただ授業を受けていました。でも、月例テストで全国○位以内に入る!など、細かい目標を定めるようになってからは、目標を達成するために努力できるようになりました。
 アテナの良い所は沢山ありますが、そのうちの一つに「夏期合宿」があります。私が5年生の時には伊豆大島、6年生の時には奈良・京都に行きました。夏休みは毎日のように夏期講習で大変でしたが、夏期合宿では普段一緒に勉強に励んでいる友達と共に登山や世界遺産の見学ができ、とても楽しい思い出になりました。
 また、宿題の量が多すぎないのも良い点だと思います。なぜなら、多すぎると雑になってしまいますが、適度な量だと集中して丁寧に取り組むことができるからです。
 6年生の9月からは、先生にも相談し、週1回だけ他塾の「女子学院対策講座」にも通い始めました。それまでより自分への負担は大きくなりましたが、同じ学校を目指すたくさんのライバルと切磋琢磨することが自分のレベルアップにつながると思い、頑張りました。
 いよいよ1月校の浦和明の星女子中学校の受験日が来ました。合格できるかどうか、とても不安でしたが、応援に駆け付けてくれた先生に励ましの言葉をもらい、いつも通りの力を出せば絶対に合格できる!という強い気持ちを持つことができました。しかし、会場の雰囲気に圧倒されて、いい手応えはつかめないまま4教科の試験が終わり、何となく心配でした。だから、合格発表で自分の番号を見つけた時には、すごく驚きました。そして、今回の合格を2月校の合格につなげられるように一生懸命努力しなくてはいけない、と強く感じました。
 そして、とうとう2月。入試本番の日になりました。
 2月1日。私は、まるで模試を受けに行くような気分で女子学院中学校へ向かいました。自分でもびっくりするぐらい緊張していませんでした。そのためか、過去問演習の時よりも時間が長く感じられました。試験は、国語は読みやすい文章で、算数は思っていたよりも解きやすく、社会はいつも通り解くことができました。また、面接も平常心で臨むことができました。でも、理科の問題で大問4つのうち1問が丸ごとわからなくて、すごく心配でした。そのことを母に話したら、「みんなも分からなかったはずだから、大丈夫!」と励ましてくれ、ホッとしました。また、先生も、「いつも通りの出来なら大丈夫!」とおっしゃって下さり、気持ちを切り替えることが出来ました。
 2月2日は、吉祥女子中学校の入試でした。他校に比べて過去問をあまり解いていないことが不安でしたが、絶対大丈夫!と自分のことを信じて試験会場に入りました。しかし、後から国語を1問だけ解き忘れてしまったことに気付き、少し不安になりました。でも、吉祥女子の算数の問題との相性はとても良かったので、算数で国語の分まで挽回するぞ!という気持ちに切り替えて、そのあとの試験に臨みました。理科と社会はアテナで習ったことを思い出しながら解き進めました。
 その日の午後は昼食を挟み、急いで女子学院中学校の合格発表へ行きました。当日の試験終了後に漠然と「合格できた!」という良いイメージだけを持っていましたが、すごくドキドキしていました。合格発表の掲示板の所へ着き、番号を探しました。すぐに見つけられなくて不安でしたが、自分で自分の番号を見つけた時には、飛び上がりたいくらい嬉しかったです。まさか自分が女子学院に合格するなんて信じられませんでした。
 その日の夜には吉祥女子の合格も分かり、次の日の筑波大学附属中学校の試験に向けて、とても気持ちの良い状態に持っていくことができました。この時点で、中学入試を全勝で終わってみせる!という強い気持ちが生まれてきました。
 2月3日。第一志望の筑波大学附属中学校の入試を迎えました。入試科目は、国語・算数・理科・社会・音楽・美術・家庭・体育の8科目で、いつもの4教科よりも実技系の科目の方が不安でした。試験では、国語と理科・算数と社会・音楽と美術と家庭がセットで時間が区切られているので、時間配分がきちんとできるように心がけました。また、国語と音楽の放送問題は初めてでしたが、思っていたよりもすらすら解けて安心しました。午後の体育の実技は、運動が苦手な私にとっては少し難しかったです。でも、他の科目の手応えはあったので、体育で少しくらい失敗しても大丈夫!という前向きな気持ちで合格を信じました。
 2月4日。筑波大学附属中学校の合格発表に行きました。たとえ良い結果でなくても、自分のできることは精一杯やったから素直に受け入れよう!という気持ちで向かいました。それでもやはり、合格できたかどうかドキドキしていました。だから学校に到着し、掲示板の中に自分の番号を見つけられた時には、自分でも信じられないくらい嬉しかったです。それまで頑張ってきた全ての努力が実ったという満足感でいっぱいになりました。
 受験が終わってみて、改めてアテナに入ってからの2年間を思い出しました。学校行事との両立や余暇を削っての勉強がつらい時もありましたが、最後は受験校全てに合格できて、最高の形で受験を終えることができました。

 私が受験勉強の中で大切だと思うことは、
 ―乎耄呂鮖続させる為に、勉強の合間に適度な休みを入れること
 △錣らないことはすぐに調べたり、質問に行くこと
 自分は第一志望に合格できると信じて最後まで頑張ること
 です。

 宮本先生、2年間ありがとうございました。

H・Eくんの中学受験体験記
(2013年度 獨協中・成城中・城北埼玉中 他合格)

 ぼくは以前サピックスという塾にいました。でも1番下のクラスでした。ずっとこのままではだめだと思って悩んでいると、父がアテナという塾を探してきてくれ、転塾を決めました。しかしはじめの頃は宿題もろくにできず、先生に叱られることも多かったため、正直なところ塾には行きたくないと毎回思っていました。でも少しずつ、宮本先生の授業が理解できるようになり、だんだんと授業がおもしろくなってきました。とても親切にしてくれる友達もでき、塾に行くのが楽しくなってきました。
 ぼくは、特に国語で苦労しました。宮本先生は「国語の文章問題は得意な人のやり方をまねればいい」と言い、毎回の授業の時に先生の解き方を指導してくれました。家でも父と一緒に、先生の解き方をまねして、夜コツコツ文章題をやりました。すると6年の初めころには偏差値30台だった国語の成績が、受験直前には偏差値50を超えるまでに上がりました。他の教科についても、「社会は解答を覚えてしまうくらいできるだけ多くの問題を解く」「理科や算数はまずは図を書きじっくり解く」など、さまざまな「解き方のコツ」を先生に教わりました。
 アテナでは、9月から過去問をはじめます。最初ぼくはあこがれの学校であった城北中学の過去問をやりました。しかし結果は合格最低点マイナス100点という状態でした。何回かやるにつれて少しずつ点差はつまっていきましたが、思うように点数がとれませんでした。そこで先生からのアドバイスもあり、第2志望の獨協中学の過去問に切り替えました。ところがその獨協中の問題にも歯が立ちませんでした。宮本先生は、「最初はできなくても大丈夫。そのうちに慣れてきて点数が上がってくるから」と励ましてくれました。するとそのうちに傾向がつかめてきて、それにつれて点数も上がってきました。もちろんわからない問題はすべて先生に質問しました。合格最低点にはなかなか届かなかったけれど、あと一歩というところまで迫ってきたので、手ごたえを感じていました。だんだんと自信もついてきました。
 年が開けて1月、初めての受験は城北埼玉中学でした。第一回目は不合格でした。でも「1月受験は練習、本番は2月受験」と自分にいいきかせ、第二回目は合格することができました。長崎日大中学にも合格できました。
 いよいよ本番の2月受験です。2月1日は獨協中学の一回目の入試でした。必死にがんばりましたが、結果は不合格でした。その夜は悔しくて泣きました。
 2月2日の獨協中学2回目の入試では、前日のショックを引きずったまま受験し、全力を出し切れずに終わりました。この午後、先生からのアドバイスを受けて聖学院中学を受験しました。その日の夜に合格がもらえたことで、気持ちが切り替わり「この調子で頑張ろう」と自信を回復することができました。
 2月3日は成城中学の2回目を受けに行きました。全く過去問をやっていない学校だったので不安はありましたが、とにかくできるだけのことをやってみようという気持ちで受けました。この日は獨協中学2回目の合格発表だったので、ぼくは自分で確かめるため学校へいきました。結果は不合格。自分の番号がなく、またもやショックを受けていると、そこに副校長先生がいらっしゃって「3回うけて合格する人もいるからあきらめずがんばって」とはげましてもらいました。獨協中学の暖かさがとても伝わってきて、「最後まであきらめず頑張ろう」と改めて決心しました。
 試験の後、聖学院中学に合格証をもらいに行き、夕方家に帰って父と話をしてると宮本先生からメールが届きました。母はすでに大泣きしています。インターネットで成城中の合格発表を見ると、なんとなんと…合格でした!家族のみんながよろこんでくれました。「やったー!!」
 4日目はいよいよあこがれの城北中学です。成城中や聖学院中の合格のいい流れを受け、この調子でがんばろうと思ってチャレンジしました。難しくてほとんど解けないまま終わりましたが、もし2月にどこも受かっていなかったら、あこがれの城北中は受験できていなかったので、昨日までに合格が取れて本当によかったです。負けて悔いなし。
 さあいよいよ最後の2月5日です。もちろん獨協中3回目の入試に向かいました。すると何と正門のところに宮本先生とアテナのOBの獨協中に通う先輩が応援に駆け付けてくれているではありませんか!先生が先輩にお願いして来てもらったそうです。ぼくは宮本先生と先輩から勇気をもらい、試験会場へ向かいました。ぼくは全力をつくして長かった中学受験を終えました。
 ぼくはこの受験で「最後まであきらめず努力すること」を、そして「努力は必ず実を結ぶ」ということを学びました。これから受験をむかえる後輩のみなさんに、是非そのことを伝えたいです。熱血な指導でぼくを支えてくれた宮本先生そして最後まで協力してくれた家族のみんな、本当にありがとうございました。

M・Tさんの中学受験体験記
(2013年度 昭和女子大附属中・長崎日大中 他合格)

 アテナ進学ゼミに入塾する前、私は通信教育で中学受験の学習をしていました。しかし通信教育は、授業を受けるわけではないため、先生に叱られたり、宿題のチェックなども全くありませんでした。そのため私はかなり適当に勉強をしていました。当然、成績はまったく伸びず、中学受験自体にも、本気で取り組もうという気がなかなか起きませんでした。そもそも私はかなりの面倒くさがりで、その上小学校の友達と一緒に遊ぶという誘惑にも、なかなか打ち勝つことができませんでした。
 通信教育ではなかなか成果が出なかったため、やはり集団指導形式の塾通いということで、私は5年生になる前の春季講習の時に、アテナに入塾しました。しかし最初は塾に行くのがとても嫌いでした。授業中は常に先生の目が光っているため、頭をずっと使っていなければならず、また自分がしっかり勉強をやっていないことが、先生にすぐにバレてしまうからです。なかなか集団指導の形式に慣れることができず、常に「自分がクラスの平均点を下げているんじゃないだろうか」などと考えたりもしました。
 私は、塾の入ってもなかなか成績が伸びず、最後まで「自分はもう駄目だろう」と思っていました。アテナでは、6年生の一月からは、授業はほとんどおこなわれず、個別学習になります。教室は朝9時から解放されているため、生徒たちは自分の好きな時間に塾に行き勉強することができます。私が頑張れたのは、この「ラスト一ヵ月」でした。私は自分の第一志望校の過去問を持って、ほぼ毎日塾に通いました。個別学習では、自分の判らない問題は全て先生に質問できます。
 私は今まで先生に質問もしないで、判らない問題を放っておいてばかりだったので、今さら質問に沢山行くのは嫌でした。でも、このままでは「第一志望の学校に合格できない」思い、意を決して質問しに行きました。その度に宮本先生は、ひとつひとつ丁寧にいろいろなことを詳しく教えてくれました。私はその時になって初めて、「質問に行くことは自分にとって得なんだなぁ」とわかりました。
 大きな塾と比べて、アテナは少人数なので、宮本先生は丁寧に教えてくれます。わからない子が一人でもいると、その子がわかるまで何度も説明してくれます。4教科を全部を宮本先生が一人で教えてくれているため、社会の時間に理科の話題が出たり、算数をやりながら国語の重要性を説明してくれたりと、科目間の繋がりがあって面白かったです。
 全国テストや過去問では第一志望の学校に合格する可能性が最後まで30%以下だった私に、第一志望へ合格出来る力を付けてくれました。私はアテナに入って良かったと思っています。

M・Iさんの中学受験体験記
(2013年度 吉祥女子中・学芸大小金井中・国学院久我山中ST 他合格)

 私がアテナ進学ゼミに通い始めたのは、5年生の夏期講習からです。私がアテナ進学ゼミに入ったきっかけは、友達がアテナ進学ゼミに通っていて、良い塾だと勧められたからです。初めて宮本先生に出会ったのは、5年生の6月頃の鎌倉探訪というしゃかりかクラブに参加した時でした。この時は、まだ習っていない歴史に関する話が中心で、分からないことも多かったのですが、はきはきしている宮本先生のおかげで、不思議と少しは理解することができました。当時は学校と帰りの遅い塾の両立にまだ不安がありましたが、友達の支えもあり、アテナへ通い始めることに決めました。
 アテナに入塾してから、だんだんと成績も伸びていきました。伸びた理由にはいくつかあります。
〇賛瑤任蓮宮本先生に「図をかけ!」と言われたので、ちゃんと図を描いて問題を解いたこと。図を描くことで、ただ問題を眺めているよりもヒントが得られました。
∩寛別椶箸皹藹やテストの解き直しをちゃんとやったこと。月例テストでは、毎回解き直しをしますが、解き直しのやり方がとても重要だと思います。記号問題の解き直しをする時は、ただ記号を書いて直すだけでは意味がない!と言われていたので、毎回記号問題の時は、テキストなどで調べて理解を深めていきました。今まで、解き直しをただやればいい!と思って簡単に済ませてきた人は、今からでも解き直しのやり方を改めるといいでしょう。
いつでも疑問に思ったことを質問できたこと。質問することによって、理解も深まっていきました。けれども、解けなかった!からといってすぐに質問に持って行ったのではなく、解答・解説をよく読んだり、もう一度自分で解いてみたりしてから、質問に持っていきました。私は、初めの頃は、こんな問題質問に持って行っていいのかなー、と思うばかりで、なかなか質問に行けませんでした。けれど、質問に持っていくことの良さ(自分一人でやるよりもより理解が深まること)がわかってからは、積極的に聞きに行くことにしました。
 私の場合、社会は暗記ばかりで初めは覚えるのに苦労しました。でも、社会は単純に覚えた分だけ点が伸びる教科だと思い、6年生になったころ位から、社会の暗記を頑張りました。暗記を頑張ってよかったと思ったのは、模試を受けた時や、過去問を解いた時です。特に、私の第一志望校の吉祥女子では、ほぼ毎年年代の並べ替え問題がでてきたので、得点源になりました。暗記を頑張ったおかげで、過去問の社会の点数は、安定して6割以上をとれるようになりました。今、受験勉強を頑張っている皆さんも、暗記をおろそかにしてはいけないと思います。
 理科は、宮本先生の本『ゴロ合わせで覚える 理科85』を中心に覚えていきました。どの分野も載っていて、図もあり分かりやすい本でした。
 アテナでは6年生の9月から自分の志望校の過去問演習が始まります。初めは、もちろん合格最低点には足元にも及ばないほどの差で、本当に大丈夫かな、と思っていました。一番得意な算数でも、半分も取れなかったりしたからです。過去問を解くと分からない問題はたくさんあったので、その都度先生にたくさん質問をしに行きました。アテナでは、休み時間や先生の空き時間に遠慮することなく質問できました。そこで私は少しずつ力をつけていけたのだと思います。
 入試までの期間がどんどん迫り、とうとう1月に初めての中学入試(浦和明の星中)を迎えました。当日はあいにくの大雪にも関わらず、受験会場はものすごい熱気に包まれていましたが、先生も応援に来て下さっていて、私はなぜか全然緊張せずに入試に臨めました。しかし、入試が終わり、次の日自己採点をしてみると、得意な算数の点が全然出ていなかったり、問題文をよく読んでいなかったため、解ける問題での失点が多かったことに気付きました。予想通り、結果は不合格で、すごく悔しい思いをしました。
 でも、後から考えると、かえって自分自身の気持ちが引き締まったのではないかと思います。なぜなら、初めての入試での失敗を生かして、2月1日の入試までの残り2週間を過ごすことができたからです。過去問は時間配分がうまくいくように、1回解いた問題も数年分はもう一度全部解くということを目指していきました。また、ちょっと不安な単元はよく復習をしました。アテナでは1月はほぼ毎日午前中から教室を開けているので、直前は今まで以上に自習室を活用しました。
 2月1日。ドキドキ・・・緊張が高まりました。そこで私は、私が行きたい吉祥女子は3回もチャンスがあるのだから落ち着いて!と自分を励ましました。 この日、入試が終わって自分なりにできた!という気持ちもあって、帰り道にアテナに立ち寄りました。先生には「朝の応援の時にはものすごく緊張していたみたいだけど、今はいい顔しているから大丈夫そうだね!」と会話も自然とはずみました。午後入試も終え、その日の夜の合格発表が楽しみでわくわくしました。ホームページを開いて、本当に自分の受験番号を見つけた時には、今までの努力がやっと実を結んだな、と心から思いました。
 私は、これから、中学受験を経験する人に伝えたいことがあります。1月入試や最後の模試などの結果が全てではない!ということです。実際、私は一番最後の模試で、それまで上り調子だった成績が、一気にがくんと下がりました。その時はさすがに、これで本当に合格できるのかな、という不安が心の中をよぎりました。しかも、初めて受けた1月入試での不合格・・・しかし、いつまでも落ち込んでばかりいられません。私は、自分が第一志望校に通っている姿を思い浮かべました。この時から、いいイメージばかりを考えて、出来ることを最後まで努力しました。そのおかげで、ちゃんと2月1日には吉祥女子の合格を勝ち取ることができました。だから、模試の結果が思うように出ないことがあっても、1月入試で自分の実力が発揮できなくても、その失敗を生かして残りの時間を勉強していけば、2月1日、きっと自分の実力を発揮できるということを言いたいです。その後の受験も順調に進み、2月受験した学校は全て合格し、満足のいく結果で受験を終えることができました。
 私は、中学受験を通じて、友達と切磋琢磨していくこと、一日一日を大切にしてコツコツと努力すること、諦めない心を持つことの大切さに気付かされました。中学や高校に行っても、そのことを生かしながら、いろんなことに挑戦していきたいです。
 私が吉祥女子に合格できたのは、宮本先生の分かりやすいご指導、最後まで家族や先生が私のことを応援してくれたこと、そして自分の諦めない心があったからだと思います。
 宮本先生、今までご指導いただきありがとうございました。 

S・Kくんの中学受験体験記
(2013年度 武蔵中・高輪中・栄東中B 他合格)

 5年生も終わろうとしている去年の1月、僕はサピックスでDクラス(14クラス中下から四番目のクラス)に落ちてしまった。「自分で勉強しようという自覚が足りないからだ。もっと勉強しろ」と父に叱られ、「勉強しているよ。でも、成績は落ちていく一方なんだ」と泣きながら抗議した。その様子を見ていた母が、アテナを探してきてくれた。4年生、5年生と2年間通い慣れて友達がたくさんいるサピックスを辞めるのはイヤだったけれど、アテナの体験授業が面白かったので、勇気を出して転塾することにした。
 転塾当初は、キツかった。理由はふたつある。一つ目は、悪い癖(焦って問題を解くこと)が身についてしまっていたことだ。サピックスでは宿題が終わらないから、問題を焦って解く癖がついていた。アテナに転塾して宿題の量がサピックスの4割〜6割程度に減ったので、「オレ、焦っていたんだ」ということを自覚した。そして、「じっくり落ち着いて考えてみる」ということを始めた。二つ目は、先生に質問に行くのにすごく緊張してしまっていたことだ。サピックスの時は、「先生に質問に行く」という発想が僕にはなかった。まるでテレビを見ているように受け身だったのだと思う。宮本先生に質問に行くと、ただ問題を解いているよりも理解が深まるので、それがわかってからは質問に行くようになった。今後の受験生には、「先生にどんどん質問に行って下さい。絶対にわかりやすいから」と言いたい。
 宮本先生とは、一対一で付き合っている感じがした。「こんな問題で質問に来るのか」と言われないように、質問に行く前はすごくよく考えた。テストを返す時もひとりずつ呼び出されて、答案を見ながら「何でこの,鰺遒箸垢鵑澄7彁擦任呂發辰畔数をうまく使え」など具体的にアドバイスをしてくれた。だから、そこを直そうと思った。
 一番がんばったのは夏休みだ。昨年、武蔵に受かった先輩がコンプリという1冊150ページくらいあるテキストを4科目分、お盆明けに提出したというので僕もそれを目標にした。最初は母に言われるがままに「えー、やるの?」という感じでやっていたけれど、最後の方は「これは自分のためだな」と自覚した。できないところがたくさん見つかったからだ。とにかく必死だった。この時がんばりは、10月、11月、12月に偏差値がじわり、じわりと上がるという成果につながったと思う。
 秋から志望校の過去問を解き始めたが、最初は点数が悪いのがイヤでカンニングをしてしまっていた。それが先生にバレた時には、すごく叱られると思った。でも先生は「カンニングしただろう」とは言わず、過去問の答えと、僕の解答を照らし合わせながら「ここらへんが似ていて、気になるんだよね」と言った。僕自身に悪いことだと気づいて欲しいのだと思った。正直に話すと、叱らずに優しく「過去問の練習の点数を伸ばしても何の意味もないんだ。その過去問に慣れて本番に合格すればいいんだから」と言ってくれた。先生がチャンスをくれたんだなぁと思ったので、それからは点数はあまり気にせず、間違えた問題の解き直しに集中した。でも、過去問の調子が上がりだしたのは、受験の直前、1月の下旬だった。
 武蔵の合格発表は、2月2日の夕方、父と一緒に見に行った。校門のところで合格してニコニコした人に出会い、緊張感が高まった。実際に掲示版を遠くから見たら、めちゃくちゃ人数が少ないから、「え? オレの番号あるの? やばいなぁ・・」と思いながら探したら、あった。父に「あったよ、あったよ、あったよ!!!」と言ったら、「え? 本当? 幻じゃないの?」と、父はやけに冷静に喜んでくれた。昨年、武蔵に受かった先輩のお父さんは大泣きしていたというのに正反対だなぁと思った。
 アテナは自習室が完備されているので、授業のない日もアテナに通えた。友達と雑談をしながら、おやつを買いに行ったのは楽しい思い出だ。アテナに通うのをイヤだと思ったことはなく、問題を解けるようになるのが嬉しかった。問題を自分で解こうという気持ちを、先生が掘り起こしてくれた。宮本先生、僕を武蔵に導いてくれて本当にありがとうございました。

N・Sくんの中学受験体験記
(2012年度 武蔵中・城北中・栄東中東大選抜 他合格)

 4年生の2月から中学受験を目指し、地元の大手塾に入りました。それまでは通信添削を家で少しやっている程度で、サッカーと水泳を続けていました。中学受験をめざした理由は、中高一貫校で思い切りサッカーと勉強、そしてたくさんの仲間を作りたいと思ったからです。
 大手塾に入って気付いたことは、〇賛大好き、国語が大嫌いということでした。理科と社会も好きでしたが、国語がまったく問題を解けず、定期テストは毎回苦痛でした。記述問題はいつも「まっしろ」で何も書けませんでした。しかも、国語の先生は苦手なタイプで教え方も自分が納得できるようなものではなく、ますます国語嫌いになってしまいました。特に国語は記述問題がまったくダメダメで、「記述アレルギー」で解答を書くことがまったくできませんでした。それに加えて、漢字もダメだし、言葉も知らないことが多く苦痛でした。
 お父さんが3回ほど責任者の先生と面談をして、授業の進め方や、宿題の出し方などを話に行ってくれましたが、何も変わらず、「本当にこのままここに居続けて、自分の行きたいと思える学校へ行けるのだろうか?国語の対策はどうしたらいいのか?という疑問ばかりが浮かんできました。上位のクラスだけ優遇されていて、「その他大勢」は適当に扱われている気がしてなりませんでした。5年生からの受験勉強は無理なのかとも思い始めました。
 その点、算数は楽しくて宿題もすぐに終わってしまうので、物足りなさを感じながら過ごしていました。国語・算数・社会・理科と4教科平均的に成績が良い人なら別に大手の塾でも構わないのかもしれませんが、僕のようなものすごいデコボコがある生徒には、合わないんだなとお父さんと話をしました。
 この時点で、「絶対にここに行きたい」という学校があれば、それはそれでいいのかもしれませんが、限られた情報の中で勝手に学校をあまり知りもせずに大事な6年間を過ごす学校を選ぶのは、ちょっと危険です。
 お父さんに時間さえあれば、いろいろな学校へ直接見に行って、先生と話をしたり、生徒さんに「突撃インタビュー」をして学校を知り、〇箜悗辰道廚辰討い唇幣紊砲燭さんある。共学・男子校でも雰囲気が全然違う。人気のある学校だけど、実際に行ってみたらグラウンドがほとんどないような学校もあり、「学校選びの基準や選択肢」はたくさんあって、自分は何を優先に考えるかを教わりました。
 初めは比較的近所の本郷中学校を目指していて、人工芝のグラウンドが格好よく見えて憧れていただけの自分に気付かされました。しかも夏休みに連れて行ってもらって、お父さんに「人工芝の地面って何度ぐらいあるか知ってるかい?」と聞かれ、触ると物凄い熱さだということを初めて知りました。
 だから、5年生の時期にたくさんいろんな学校へ遊びに行くことをおすすめします。自分自身の目で見て感じて、「ここいいかも」、「思ったよりいまいち」と感じながら、目指す学校を探していって下さい。6年生になると、模試等が増えて、思うように動けなくなります。
 そんな毎日が過ぎるなか5年生の1学期後半、お父さんに「今の塾が不満だ、もう限界っす」と伝えると、「そりゃそうだ!」と良さそうな塾を4つ程度探してくれました。その中で、もともとはいろいろな大手塾のトップ講師をしていたため圧倒的に質の良い授業を受けられることや、先生が一人ひとりのためにきめ細やかなアドバイスをしてもらえること、授業料が今までに比べ少し安いことからアテナ進学ゼミという塾にたどり着きました。
 実際に体験授業を数回受けさせてもらい、授業が始まると、社会ではとても分かりやすい例をあげて、分からない言葉はすぐに頭に入り、算数では理解がしやすく、しかも確実に解ける方法を教えてくれて、それまでに比べてたくさんの問題が解ける授業で、新鮮で刺激的で、しかも楽しく勉強ができました。時間の経つのがすごく早かった記憶があります。
 「このような授業を毎日受けたい!この先生となら最後までついて行ける!」という、感情を抱きはじめ、アテナ進学ゼミへ転塾することを決心しました。しかも電車で通学できることも嬉しかったです。電車通学をすることで、今までほとんど本を読んでなかったのに、移動時間を使って本を読み出すようになり、楽しみが増えました。本を読み出すと、少しずつ国語の文章読解のアレルギーも減っていきました。これは大きな収穫でした。
 アテナにいたら先輩(6年生)も優しくしてくれて、ストレスを溜めることなどなく、伸び伸びとしかも充実した時間を過ごすことができました。6年の夏期講習では、毎日のようにアテナに行き、多くの知識を身に付けていきました。特に講習の間の夏休み後半は、得意な算数に重点を置いてガッチリと取り組むことができ、大きな達成感、喜びを味わえたことは非常に大きかったです。
 ただ、夏休みにひとつだけ残念だった事があります。毎年楽しみに参加していた少年サッカーの夏合宿に行けないんだと思うとつらく悲しくなりましたが、今は我慢の時、これからの自分、これからのサッカーのために今は必死になって勉強するしかない、と気持ちを切り替えました。たまにお父さんが相手になってくれて、ボールを蹴ると、とても新鮮でよい気分転換になりました。
 6年の2学期に入ると第一志望の「武蔵特訓講座」という特別講習が始まり記述の練習や算数の力をさらに強化していきました。社会の記述問題や理科のお土産問題についても、しっかりと指導してもらいました。特に国語、社会の記述については、何度も何度も自分の答えを書き直し、その度に先生が丁寧に厳しくアドバイスをしてくださいました。
 しかし、模試の成績はすぐには思い通りに簡単には上がりませんでした。「受験生全体がみんな必死になって頑張ってるんだから、そう簡単には上がるわけがない。そんなこと気にするぐらいなら、一生懸命解き直しを納得するまでやれ!」とお父さんからも言われました。今なら、通常授業の宿題よりも、武蔵特訓の宿題を最優先にするべきだったと反省できます。その頃は、まだ第一志望の学校だということをはっきりと意識していなかったのではと感じています。
 決して良いことばかりが続くわけがありません。たまたま模試の結果が良かった直後のことです。宮本先生に呼ばれて行くと「模試の結果が良かったからって調子に載ってるのか!最近たるんでないか?」と本気で言われたことがありました。すぐには「違います」と言えない自分に気付きました。「サッカーを武蔵でやるために今まで努力してきたのに、こんなところでたるんでいた」という事実に気づき、情けなさや悔しさをものすごく感じたと同時に、自分はやっぱり武蔵に行きたいんだと強く思うようになりました。
 気が緩んだり、集中力がなくなると、模試の結果ですべて分かってしまいます。バレバレです。日々の勉強メニューと時間管理については、相当お父さんに言われ続けました。その後はたるむ事やだらけることはとても少なくなったうえ、集中力も格段に上がり、着実に力が定着し始めてきているように感じました。
 9月に入ると、たくさんの模試があります。サピックスの武蔵オープン模試、四谷大塚の武蔵合格判定テスト、それ以外に首都圏模試や四谷の合不合判定。模試を受けた際に一番気を付けたことは、「解き直し」です。自分で納得するまで根気良くやり、それでも納得できなければ先生に相談質問をする。「今後同じような問題が出たら、絶対に取りこぼしをしないで突破してやる!」という思いで、時間は掛りますが、解き直しをやり通しました。過去問も同じです。模試が終わり、お父さんやお母さんと合流してから、「どうだった?今日はできた?国語はちゃんと書けた?」などとは一度も言われたことはありません。それは「そんなことは自分自身が一番分かってるんだから、いちいち聞く必要はないことだよ」とお父さんに聞かされました。そう言う意味でも「解き直し」がいかに大切かを実感しました。ただし、「正答率」だけは見たほうが良いと思います。正答率が70%なのに自分は間違えている。なぜ間違えたのか?問題の読み違いなのか?汚い字で計算していて途中で数字が変わってしまったのか?基礎が抜けているのか?「なぜ」に対してすぐに対処すれば、その場で解決できることはたくさんありました。ぼくは字がきれいではないので、先生からも特に算数などは、数字や図は大きく書くこと!とアドバイスをもらいました。これだけでもミスは相当減ります。
 11月に入り、先生と保護者との最後の面談があり、志望校の最終確認をするために、お父さんとお母さんと3人で話し合いました。
 ・第一志望:武蔵 2月1日
 ・第二志望:海城2回 2月3日
 ・第三志望:城北2回 2月2日
 ・第四志望:栄東(東大機法。鰻遑隠影
 ・第五志望:栄東(A日程) 1月10日
 あくまでも強気で「本当に行きたいと思える学校」へ行こう。最後はどんな結果になろうと「笑顔」で終えられる受験をしよう。そのためには努力を惜しまないことなどを3人で話をしました。ダメならダメで潔く地元の学校へ行って、高校受験でリベンジしようと決めました。
 冬期講習中の休みをを利用して、志望校の「本番リハーサル」をしました。受験当日と全く同じ時間に起きて、頭の体操(計算問題と一行問題か図形問題)をやってから朝食をとり、当日着ていくだろう服を着て、さすがに電車には乗れませんから、近所を散歩してから、8時集合なら30分前の7時半に家に戻ってくる。お父さんはスーツを着て、「試験監督」の真似をして待っています。つい笑ってしまいました。
 。隠卸遑械影 海城 23年度2回 過去問実施
 ■鰻遑影 武蔵 23年度 過去問実施
 1日に行くと、人がたくさんでたいへんだろうからと、31日に湯島天神へお参りに行きました。お父さんの友人が福岡、大阪にいるので、太宰府天満宮のお守り、大阪天満宮のお守りや「きっと勝つ!」で「キットカット」を送ってくれたりしてくれて、とても嬉しかったです。
 冬期講習が終わるとすぐに生まれて初めての入試本番が始まり、1月10、11日と埼玉県の学校の合格を勝ち取ることができました。しかもまさかの2連勝です。ぼくにとっては本当にうれしっかったです。しかし、ぼくはここでだれませんでした。調子にも乗りませんでした。 お父さんから「勝って兜の緒を締めよ!」と書かれた紙をもらい机の横に貼り付けました。けれども本気にもなれず訳が分からなくなってしまった時期が一瞬だけありました。今考えれば、2月1日の本当の勝負の日を意識し過ぎたためだったような気がします。事実、焦っていました。このままでいけるのか?本当に大丈夫か?と。
 その後、お父さんと相談すると3つのことに気付かされました。(拔する環境は自分で作る、休憩のいれなさすぎによる疲れ、睡眠不足だと。やり始めると、ついそのままずっとやり続けてしまうクセがなかなか抜けなかったのです。例えて言うなら、「サービスエリア」が全くない高速道路みたいなものです。その後は60分やったら5分、10分休憩して、休憩がてら「すきま時間」を使って、理科社会の暗記もののチェックをしたりしていました。
 このため、ぼくは宮本先生にうるさかった自習室の注意をするようお願いし、休憩を増やす努力をしました。また、お父さんからは「満点なんか取るような考えは捨てろ!だいたい無理!6割7割取れれば十分合格だぞ。ということは3割も4割も間違えたりできなくてもいいってことなんだ。自分の力でねじふせられる問題を確実に取ればいいんだ。どうだ、気が楽にならないかい?俺たちの作戦は「合格最低点で滑り込みセーフ」、逆転満塁ホームランだ!」と言われ、ハッとした。そうだ、その通りだ。だから焦ることなんかないんだ、毎日自分でできることを精一杯やり続けていけば、必ずゴールは見えてくる。自分にそう言い聞かせて、気持ちがすっと楽になりました。
 お父さんは正月の大学箱根駅伝が大好きで、いつも「箱根第5区」を例えにして2月1日までの道のりを聞かせてくれました。そうだ。僕も箱根のゴールを目指しているんだ。東洋大学の「山の神様」柏原選手になんかなる必要はない。制限時間ギリギリで滑り込みセーフでゴールすればいいんだ!と言い聞かせました。この結果、集中力が途切れることはない効率の良い学習をすることができました。そして、今まで以上の実力を上り調子で実感しながら毎日を大切に過ごしていきました。いつもお父さんがさりげなくだったり、わざとだったり僕のことを見てくれていて、ありがたいと思える時もあれば、正直うっとうしいと思う時もありましたが、「一人じゃないんだ」という気持ちは安心感をもたらして、勉強も集中してできました。
 そして2月1日。いよいよ決戦の日です。宮本先生も朝応援に来てくださいました。先生の顔を見ると安心しました。ぼくは、緊張はしていたけど、今までの努力を考えたらビビることなんてない!と思えていました。今ま教室に入り席に着くと、スッと落ち着きました。お父さんが作ってくれた「武蔵ブック」を読んだりしてリラックスしていました。今までの自分の歩いてきた道を思い出し、辛いことばかりだったけど、楽しかったこともたくさんあった。あとは自分との勝負だ。周りの奴らなんか関係ない。力いっぱい解答用紙に「自分」を表せばいいんだと思いながら、今までにないくらい「脳みそフル回転」でチャレンジしました。
試験が終わったら、なんだかとっても気持ちが良かったです。達成感だと思います。こんなに本気になって挑んだことなんて、一度もありませんでした。サッカーでもありませんでした。それが本番当日にできたことが本当に嬉しかったです。試験が終わり、お父さんと会うと、「すごくいい顔してるけど、何かいいことでもあった?脳みそフル回転フルボリュームだったかな?明日もあるから、うまい肉食いに行くぞ!」ともう池袋で美味しいお店を探していました。
 2日は城北の2次の試験受けて、いったん自宅に戻り昼寝をしてから夕方の武蔵の合格発表をお父さんとお母さんと見に行きました。ドキドキしていました。掲示板を見に行くと、なぜか自分の受験番号をすぐに見つけることができました。お父さんを見かけないので、もう一度掲示板へ行くと、周りに人がいるのも気にせずに大泣きして鼻水もたらしていました。そしてぼくを強く抱きしめてくれました。嬉しかったです、本当に。母親も泣いていました。ああ、受かったんだなとジワジワと実感が湧いてきました。
入試直前からスーツがかわっていなく疲れが見えて、ヒゲも剃っていない宮本先生に必死にいろいろなことを熱すぎるほどの情熱と愛情と気合で教えてもらったことを本当に感謝しています。アテナで学んだことは、全てこれからの中学高校、その後の生き方に影響を受けました。
 宮本先生、本当に僕を武蔵中学に連れて行ってくださってありがとうございました!お世話になりました!サッカーも勉強も頑張ります!!感謝祭にはぼくの「オリジナル招待状」を持ってお渡しします!
 そして、最後の最後まで諦めずに僕に「本気」ということを教えてくれたお父さん、毎日仕事なのに嫌な顔をせずに美味しいお弁当を作ってくれたお母さん、本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
 そして、あの武蔵を6年間「使い倒す」ことを誓います!!

■今考える勝因と思えること
 崟簑个帽圓辰討笋襦行くのは俺だ!」と思い続ける強い意志、思い。
◆崚慘呂録佑鯲∪擇蕕覆ぁ」
「人間は乗り越えられない壁はない。」 ↓はお父さんからの言葉です。
ぜ分を知り、自分を信じること。「己に克つ」宮本先生の言葉です。
テ々、家族や宮本先生への感謝を忘れないこと。決して一人だけで戦っているわけではなく、たくさんの方に支えられながら最後までやれたこと。

■勉強以外に得たこと
]辰景。きちんと筋道を通して主語・述語を気にしながら、自分の思いや出来事等を話すことができるようになりました。もともと国語というよりも「日本語力」が足らなかったので、お父さんにだいぶしごかれながら少しずつ分かりやすい話し方ができるようになりました。このことは中学へ進んでからとても大事なことだと思っています。
△△詭榲を達成するためには、時には我慢や犠牲も必要だということを身をもって知らされました。しばらく大好きでたまらないサッカーができないのは、本当に辛かったけど、「その先の6年間」を考えて、勉強に取り組みました。ぼくには勉強とサッカーとの両立は無理でした。
自分から(人から言われないで)進んで行動できるようになった。特に「時間管理」はまだまだだけど、ものすごく大事なことは痛感しています。
げ搬欧里△蠅たみを心から強く感じた。小2の妹も見たいテレビをがまんしたり、あらゆる面で全力でサポートしてくれました。

A・Kさんの中学受験体験記
(2012年度 桐朋女子中・恵泉女学園中 他合格)

 今回の受験を通して、本当に反省したことがふたつあります。
 まず一つ目は、受験までの時間を大切にしないで、勉強を充分にしていなかったことです。受験まであと百日ある、五十日あると思って油断しているうちに、クラスのみんなと私との間に大きな差ができてしまいました。そのことにやっと気が付いたときには、もう本当に手遅れ寸前でした。でも少しでも合格に近づこうと、残りわずかな時間を有効に使い、それまでとはうってかわって、必死に勉強しました。
 これから受験をする人は「時間は本当に有限なのだ」ということを肝に銘じ。時間を大切に使ってほしいと思います。
 二つ目は、予習より復習のほうが大事だということです。その日に授業で習ったことでわからなかったことをほったらかしにするのではなく、先生にすぐ質問したり、教科書をもう一回見たりするのがいいと思います。その方がずっと楽だし、学習効果も上がりやすいのです。
 私はどうしても勉強を後回しにしてしまいがちでした。でも時間が経ってからやる方が、ずっと大変なのです。自分にはなかなかできなかったことですが、まだ間に合う皆さんには是非そうして欲しいのです。
 私は第一志望だった共学校は残念ながら不合格でした。しかし桐朋女子中と桐朋よりも偏差値が高い恵泉女学園中に合格しました。私はどちらの学校に進学するか本当に迷いましたが、最後は二校に実際足を運んでみて、ありのままの自分に合っていて楽しく元気に学校生活が送れそうな桐朋女子を選びました。自分に合った学校に進学することが、いちばんよいと思います。
 今年の桐朋女子の入試問題の口頭試問の内容は、ピンホールカメラについてでした。受験のコツとしては、準備授業で先生の話をよく聞いてメモを取るといいと思います。口頭試問では、授業の内容について、どのようなものだったか、自分だったら、どう考えるかなどを質問されます。そのあとに、絵を見て答える問題が出ます。最後には、“写真は心の中まで映すという前提であなたはそのような経験はありますか?”と質問されました。私は一生懸命頑張って答えました。
 口頭試問は少しリラックスして受けるといいでしょう。そして普段から何にでも好奇心をもって「自分ならどう思うか」を表現しておくとよいと思います。
 私が中学校に入って一番楽しみにしていることは、新しい友達を作り、部活をがんばることです。もちろん将来の夢に向かって、勉強もがんばっていきたいです。
 最後になりましたが、お世話になった宮本先生や最後まで励まし支えてくれたお母さん・お父さんに心から感謝します。ありがとうございました。

S・Mさんの中学受験体験記
(2012年度 吉祥女子中・浦和明の星女子中・桐朋女子中 他合格)

 私の中学受験は四年生から始まりました。その頃は算数だけの塾に通っていました。できれば、四科目を自分の得意・不得意に合わせて効率よく勉強したいと思い、総合塾に転塾することにしました。
 五年の夏期講習から、私はアテナ進学ゼミ通い始めました。宮本先生はとてもいい先生でした。いつも授業は熱心で、質問にもきちんと調べて答えてくださいました。授業中に脱線することもしばしばでしたが、実は中学受験の学習に関係のある話だったりしました。社会や理科のことについて、いろいろな面白いエピソードを交えながら、くわしく解説してくださいます。また、本気でしかられたこともありました。それらは全て私たちの合格の為に先生が真剣にしてくださったことです。
 そのような中でも、私は算数の勉強には苦労しました。直前の一か月は基礎力をつけるため、テキストの基本問題を繰り返し解きました。自分のできる範囲で確実に点数を取ることを目標にしました。
 得意な国語は時々過去問を解くだけにして、ほかの三教科に時間をあてました。自分の志望校に合わせて各教科をバランスよく勉強することができたのも、自学の姿勢、学習のスケジュールを管理することを、宮本先生にしっかりと教えていただいたからだと感謝しています。
 入試が始まり、1月校の浦和明の星女子中の合格は取れたものの、その後受験した学校では不合格になったりしてショックでした。しかし最後まであきらめず、気持ちを切り替え頑張り、無事第一志望に合格することができました。私はあきらめず最後まで頑張りぬくことが大切だと思いました。
 アテナで学んだ勉強法をこれからの中学校生活にも役立てていこうと思います。

K・Yくんの中学受験体験記
(2011年度 麗澤中・宝仙理数インター 他合格)

 僕がこのアテナ進学ゼミに入塾したのは、六年生になる二月だった。たまたま無料体験をやっていたので、ひとつ体験してみよう、と門を叩いたわけである。僕を出迎えてくれた宮本先生は、無料体験だからといって甘くしてくれることはなかった。当時僕は大手塾に入っていたのだが、なかなか思うように学習できていなかったので、社会の知識がまるで足りなかった。僕はいきなりそこを指摘され、「今のうちからしっかりと覚えていかないと、あとで大変なことになるぞ」と叱られたのである。大手塾の先生はたとえ宿題を忘れても「持ってくるのを忘れました」と言いさえすれば許してくれるような甘い先生だったので、正直面食らった。しかし僕はなぜか「この先生は信頼できる」と直感的に悟った。宮本先生には何かオーラのようなものがあったのかも知れない。僕はほとんど即決で、アテナへの転塾を決めた。
 アテナに入ってから最初の数ヶ月は、なかなか大変だった。案の定宿題を忘れても、「持ってくるの忘れました」などという言い訳はきかない。そんなことを言おうものなら、奥から電話を持ってきて「じゃあ今すぐお母さんに持ってきてもらうよう頼みなさい」と言われてしまうのだ。さすがにそう言われると、僕も黙るしかない。そんなわけで、最初は学習習慣を変えるのがとても大変だった。しかし人間とは不思議なもので、そんなきつい日々も、二ヶ月も過ぎる頃にはもうすっかり慣れてしまった。前の塾では宿題をやることが苦痛の日々だったが、慣れてしまえばなんということはない。宿題をやっていくことが全く苦にならなくなっていったのである。
 アテナに入ってから僕は実は第一志望校を変更した。それまで考えていた学校は自然に恵まれた、環境のとてもいい学校だった。しかし学力的に厳しそうだと悟った僕は、他に行きたいと思える学校を探し始めた。学校探しは母も協力してくれた。そこで見つけたのが東京ドーム10個分の敷地を持つ、緑あふれる学校だった。僕はその学校に魅力を感じ、一度行ってみることにした。小学校が代休の日にその学校を訪れ、僕はいっぺんに気に入った。たくさんの木々が生え、朝の森の空気がひんやりと心地よかった。そしてなによりも広大なキャンパスが魅力的だった。運がよければリスなどにも出会えるらしい。女子生徒の甲高い声はしゃぎ声が男子校を志望していた僕には少々不服だったが、そんな不満などとるに足らぬものだ。僕はここを第一志望にしようと決意した。それが麗澤中である。
 しかし志望校を変更したとはいえ、麗澤も決して簡単な学校ではない。僕の場合特に国語と社会が芳しくなかった。算数も最初は全くダメだったが、宮本先生の厳しい指導により、少しずつよくなっていった。残すは国語と社会だ。それでも社会は、資料集などを見ながら少しずつ知識を蓄えられるようになっていった。12月に入る頃には何とか合格水準にあと一歩というところまで迫ってきた。問題は国語だ。国語だけはどうしても上がっていかなかったのである。
 そこで宮本先生は作戦を変えた。麗澤の過去問8ヵ年分を用意し、第一回入試と第二回入試合わせて16回分をコピーして、ひたすら僕に解かせたのである。「出題形式に慣れる」これが宮本先生の作戦だ。宮本先生はこうおっしゃった。「偏差値の足りない分は過去問をやりこんで無理やり合格をもぎ取るのだ。弱点科目は打ち捨て、得意科目を伸ばす。これがお前の逆転の一手だ」と。 アテナでは1月の授業はみんなで一斉の授業は行わず、ひたすらそれぞれの課題に取り組むことになっている。僕は塾の間中ずっと、麗澤中の過去問を解いて復習し、解けなかった問題を宮本先生に解説してもらう、というのを繰り返した。おかげで麗澤中の入試形式や、出題されやすいポイントは充分把握できたのである。
 こうして入試本番が始まった。1回目の1月21日。僕は意気揚々と麗澤中に乗り込んだ。手応えはあった。しかし結果は不合格。だがまだ2回目がある。宮本先生は麗澤中に出題形式がよく似ているという芝浦工大柏中の過去問を僕に解かせた。三日間学校を休み、午前中から塾に通い詰めた。そして迎えた1月25日。今度こそできた気がした。しかしまたダメだった。だが僕は諦めなかった。残すは2月4日の麗澤3回目だ。それまでは泣かずに努力しようと決めた。都内の併願校を全て合格し、その勢いで最後の入試に臨んだ。僕の中学受験にかけてきた全てをこの1回で出し切るために。
 中学受験は結果ではないと僕は思う。結果がどうであれ、志望校に向かって努力する姿勢こそ大切なことなのだ。そのことを僕は宮本先生に出会うまで知らなかったのだと思う。アテナに入るまでの僕は、ただ努力を怠っていただけなのだ。努力していないくせに、自分の成績が上がらないことを悔やむのはおかしなことだ。この文章を読んでいる人のうちで成績が伸び悩んでいる人は、自分が努力をしていないだけなんだということに気付いて欲しい。僕がそうであったように。
 最後に入試に協力してくれたお父さんお母さん家族のみんな、そして僕を最後まで諦めることなく応援し、第一志望合格に導いてくれた宮本先生、本当にありがとうございました。 。

I.Kさんの中学受験体験記
(2010年度 頌栄中・実践女子中・国府台女子中 他合格)

 私は約二年半の中学受験の日々を送りました。最初の一年半は有名な大手進学塾に通いました。小5の終わり頃からはアテナに通いました。アテナに通ったのは実質1年程という計算になります。
 中学受験を始めた頃の私は、宿題に追われ、就寝時間も深夜1時という日々が続きました。寝たくても次の日までに宿題をやっていかなければ、塾の先生が大声で怒鳴るため、睡眠時間を削ってでもやっていかなければならなかったのです。しかしそれだけ勉強に時間を費やしても、成績が伸びていくことはありませんでした。
 そんな状態に不安を感じた両親は、私のために新しい塾を探してくれるようになりました。そんなとき母の友達がアテナのことを教えてくれたのです。私は無料体験授業を受けた後、アテナに通う決心をしました。ここなら最後まで頑張れる気がしたからです。
 前の大手塾と違った点はたくさんありました。まず授業中に宮本先生が適度に雑談を混ぜてくれるおかげで、長い授業時間でも集中力を持続させることができました。しかも単なる雑談ではなくて、入試に出題されるような話題を楽しく話してくれるのです。また、国語の時間に「環境破壊」がテーマの文章や「戦争」がテーマの文章など、理科や社会の話題が出てくると、急に理科や社会の授業が始まったりもしました。普通の塾ならば国語の時間は国語の話だけですが、国語の時間に理科や社会の復習ができてしまうのです。4科目全てを教えている宮本先生ならではのことだと思います。
 受験が近付くと、授業もより実践的な内容に変わっていきました。「入試では1点の差に泣くことがある。だから最後まで気を抜くな」宮本先生はそうおっしゃって、私たちを厳しく指導してくれました。私の場合、問題文をよく読まなかったり、面倒くさがって図を書かなかったりすることがしばしばあったため、「横着するな」とよく叱られました。しかしそんな厳しさのおかげで第一志望の合格を勝ち取ることができたのだと思っています。

K.Tさんの中学受験体験記
(2010年度 大妻中・恵泉女学園中・国府台女子中 他合格)

 私はアテナに来る前は、算数だけ個別指導塾に通っていいて、他の科目は自宅で母と勉強をしていました。しかし6年生になり、4科目をまとめて教えてもらえる塾が良いと考えた母が、アテナを見つけて来ました。そした6年の4月の終わりに無料体験を受け、その後入塾を決めました。
 アテナでは全科目のチェックテストが頻繁に行われました。点数が悪い時には帰りの電車の中で泣いてしまうこともありました。またそれまでは塾の夏期講習というものに参加したことがなかったため、朝9時から夕方4時まで塾で過ごすことは私にとってはとてもつらく苦しいものでした。しかし共に勉強をする仲間がいたことや、休み時間に友達とおしゃべりをしたりできたことは、私にとって救いでした。何よりも体調面や睡眠時間などに常に気を配り、無理のない学習管理をして下さった宮本先生のおかげで、苦しかった夏期講習も何とか乗り切ることができました。
 夏期講習が終了し9月からはいよいよ過去問演習です。日曜日の朝9時からお昼の12時まで志望校の過去問を解き、午後は解き直しをみっちりやりました。そして月曜日にそれを提出して宮本先生から個別にアドバイスや指導を受けました。日曜日の有効活用を入試直前まで続けたことが最終的に私の実力を高めてくれたと思っています。
 最後のひと月は毎日のように塾に通いました。アテナでは学校を休んで勉強しに来てもいいように、宮本先生が1月は朝から晩まで教室を開けて待っていて下さいます。そのおかげもあって一月中の埼玉県入試や千葉県入試、また二月に入ってからの都内の入試で合格を勝ち取ることができたと思っています。
 宮本先生は一人一人の学力や家庭での学習時間に合わせて課題を出してくれました。過去問でもその生徒の学力に合わせて解けなくてはいけない問題に一人一人しるしをつけるなど、個々のことをとてもよく見てくれていました。理科では、ただ問題をながめているだけではなく、きちんと手を動かすことが大切なのだと教わりました。算数は宮本先生流の指導法があり、とてもわかりやすいと感じました。授業の始まる前にいくら質問をしても、嫌な顔を一切せず丁寧に対応して下さいました。そのおかげでわからないところをわからないままにして放置するようなことは一切ありませんでした。
 私は中学受験というものを通して、自分はいろいろな人に支えられて生きているんだと改めて知りました。また毎日コツコツ積み上げていくことや、一度始めたことを諦めずに最後までやりきることの大切さを学びました。宮本先生やアテナの仲間に出会えて本当によかったと思っています。
 最後に皆さんにアドバイスを。私は6年生の5月にアテナに転塾しましたが、もっと早くにお世話になればよかったと思っています。悩んでいる人がもしいたら、勇気を出してなるべく早めに決断するようにして下さい。

M.Hさんの中学受験体験記
(2009年度 光塩女子中・普連土学園中 他合格)

 私はとにかく理科が大嫌いでとても苦手にしていました。テキストを見るのも嫌で、テストや模試でもいつも足を引っ張ってしまう科目でした。そんなとき宮本先生の「目からウロコの理科教室」と出会いました。その講座に参加してみると、今まで何度テキストを読んでも分からなかった単元が、スルスルと頭に入っていきました。この講座の中で宮本先生は「作業をする」ということをとても重視していました。「作業」とは理科などで図を模式的に描いて、自分にわかりやすくすることです。私がいままで理科が苦手だったのは、この「作業」をやらないで解法を丸暗記してたからなんだ、とこのとき初めて気づきました。
 それまで通っていた塾をやめ、アテナに入ったのは5月になってからでした。最初はやはり理科で苦労しましたが、図を書き作業を続けることで少しずつ理科の成績が上がっていきました。入試までずっと続けた結果、私の成績は4月の頃とくらべると格段に上がっていました。合不合判定テストの偏差値でも、その差は歴然でした。
 入試も近づいて来たら、もうそこからは地道な努力をするしかありません。ひたすら知識の確認をしていました。毎日、電車の中などで単語帳2個を2回は繰り返すようにしました。あとは自分次第です。
 本番では先生が応援に来てくれました。緊張もほぐれ、自分の一番の力を出せたと思います。残念ながら第一志望の中学に合格することはできませんでしたが、一番最初からの目標である第二志望の学校とそのほかの学校に合格することができました。驚いたことに、第一志望不合格の絶望感や悲しみは全くなく、達成感や満足感でいっぱいでした。
 中学受験を通して私は、ずっと応援してくれていた姉や父、毎日の送り迎えも文句を言わず来てくれて、私の八つ当たりにも耐えてくれた母、そしてテストなどがあるとメールで応援してくれた祖父母にとても愛されているということを深く感じました。また、日々の自分の辛い努力で、満足の中無事に中学入試を終えることができたという達成感は、今までの人生の中で何よりも大きいし、自分に自信を持たせてくれました。こういう一つ一つの喜びが、これから先、重要になってくるのだと思います。
私はこれからも、中学受験で勉強以外にたくさん学んだことを大切にしながら、一日一日を大切に生きたいと思います。

A.Yさんの中学受験体験記
(2009年度 大妻中・春日部共栄中 他合格)

 二月一日の夜七時。待ちに待った大妻の合格発表の日、私は大妻講堂の中で「1784」という番号を探していました。一月の後半の過去問演習ではだいたい合格最低点に届いていましたが、肝心の昨年の過去問では合格最低点には届いていませんでした。本番での出来には少し自信がありましたが、入試は何があるかわかりません。この日の合否によってその後の入試の組み立ても全く変わってきてしまいます。大きな不安の中私は自分の番号を探していたのです。
 私が宮本先生と初めて出会ったのは、昨年4月におこなわれた「天体講座」ででした。その講座では宮本先生はパソコンを使って天体の運行などをとてもわかりやすく教えてくださいました。また宮本先生独自の、月の運行の作図方法を教えてもらい、何とその後におこなわれた当時通っていた大手進学塾の天体のチェックテストで満点を取ることができたのです。成績が伸び悩んでいた私にとって、それは久しぶりの「改心の出来」でした。
 しかし私はすぐにアテナに転塾することに踏み切れませんでした。通っていた大手進学塾ではたくさんの友達がいました。成績は伸び悩んでいたけれど、授業も楽しく先生たちも親切だったからです。しかし成績が思うように伸びていかなかったため、ついに夏期講習からの転塾を決意したのです。
 アテナに入って一番苦しかったのは、算数の解き方がそれまでの塾と全く違っていたことです。今までの塾では「図を書け」とは言われていたものの、あまりきつく言われなかったためそのままにしていました。しかし宮本先生は図を書くことに一切の妥協は許してくれませんでした。毎日毎日しつこいくらいに注意してもらったおかげで、少しずつですが図を書けるようになっていったのです。そのおかげで、それまで一番苦手にしていた算数が最も得意になったのです。私は「図を書くことの大切さ」を身をもって体感したのです。
 宮本先生は本当に一人ひとりの生徒のことを考え、丁寧に指導してくださいました。また学習のペースを作ってくださったので、睡眠不足に悩まされることもなく受験勉強が出来たと思います。
 私は二月一日の合格発表で自分の番号である「1784」を見つけたときの感動をいまでもはっきりと覚えています。支えてくれたお母さんやお父さん、祖父母、そして宮本先生には本当に感謝しています。ありがとうございました。
 最後に受験生の皆さんに。自分は絶対合格できると信じ切ってください。そしてそれに見合うだけの努力をしてください。そうすれば必ず活路は拓けると思います。皆さんが希望の中学に合格できますことを心から応援しています。

A.Oくんの中学受験体験記
(2008年度 攻玉社中・芝浦工大柏中・成城中 他合格)

 僕は小6の夏期講習まで都内の大手進学塾にいました。 成績は国語がまぁまぁ得意で、理科と社会は普通、算数はドン底といった感じでした。 クラスはまん中らへんでした。そんな中6月に宮本先生の公開授業に初めて参加しました。その時は天体の授業だったのですが、コンピューターグラフィックスを使った非常にわかりやすい授業で、とても良い先生だなと感じました。しかし今通っている大手塾をやめてアテナに移る決心がなかなかつきませんでした。普段の授業は課題も多く進度も速いので、苦手な算数はなんとなくしか理解できず、消化不良の日々が続いていました。そしてようやく10月に体験授業を一回受けて、アテナに転塾することを決意したのです。
 アテナに移ってからしばらくは地獄の日々が続きました。僕の算数は壊滅的で、基本的なことすらわかっていなかったことを、イヤというほど思い知らされたのです。宮本先生は「もう一度基礎からやり直しだ」と言って徹底的に僕をしごきました。僕は諦めず必死についていきました。そうすると2ヶ月ほど地獄の基礎特訓を続けた結果、僕はだんだんと応用問題も解けるようになってきたのです。そう、基礎をみっちりと鍛えること、これこそが学力アップのコツだと思います。何故なら応用問題は基礎的なことを組み合わせることで正解に到達できるからです。基礎がしっかりできていないのに、問題の量だけをこなしてもそれは砂上の楼閣です。宮本先生には基礎の大切さを教えてもらいました。
 また基本問題を解くことは様々な良い点があります。まず第一に「簡単なのですぐに正しい答が出せてモチベーションが持続しやすいこと」。それから「マルがたくさんつくので、勉強が楽しく感じられるようになること」。また「間違えた問題のとき直しが比較的短時間で行えること」などです。僕は攻玉社中という学校に合格することができましたが、これも算数を克服できたおかげだと思っています。9月までいた塾で勉強を続けていたらこの結果は得られなかったのではないかと思います。 僕が中学受験を通して得たものはたくさんあります。例えば「諦めない心」「お父さんやお母さんの愛情」「先生とのかけがえのない信頼関係」などです。でも僕が得た最も重要なものは「遊びたいと誘惑にかられたり、勉強したくないと思ったときに、先々のことを考えて踏みとどまる精神力」です。これは中学受験だけでなく、これから生きていく僕の未来においてとても重要なことだと思います。僕はアテナで学んだこの精神を大切にしていきたいと思います。

G.Kくんの中学受験体験記
(2008年度 高輪中・佼成学園中特待 他合格)

 僕は小4から都内のある塾に通っていました。そこは先生たちも明るくめんどう見のよい塾でした。しかし外国生活が長かったせいか、国語がなかなか思うように伸びませんでした。そんな時友達のお母さんから宮本先生を勧められ、とりあえず週1回家庭教師に来てもらうことになりました。
 宮本先生はとても厳しく授業は大変でした。最初は音読からスタートして、論説文に出てくる難しい言葉の意味を理解したり、論説文の構造を説明してもらったり、小説文などで情景をイラストに描いてもらったり、自分で頭の中にそのシーンを思い浮かべたりと、基礎訓練を繰り返しました。すると少しずつですが国語の文章が理解できるようになって来たのです。
 しかしさすがに週1回の家庭教師の指導だけでは、思うように成績が上がりませんでした。そこで僕はそのとき通っていた塾をやめ、アテナに通うことを決めました。もちろんそれまで通っていた塾には不満はあまりありませんでしたし、友達も多くとても楽しく通っていました。ですから正直転塾するのは嫌だったのですが、やっぱり志望校に合格したいし、今のままの成績ではそれは難しいとわかっていたので、自分の将来のため思い切って転塾することに決めたのです。
 転塾して最初に驚いたことは、それまで習っていた算数のやり方と宮本先生の算数のやり方が全く違っていたことでした。最初は慣れるのにとても苦労しましたが、慣れてみると宮本先生のやり方は合理的で速く解けることがわかってきました。また僕は理科の「水溶液の性質」問題でかなり苦労していましたが、アテナでは同じような基本問題の類題を繰り返し解かされました。それによって少しずつですが水溶液の問題が解けるようになっていったのです。また国語の記述も苦労しましたが、記述の書き方を個別に丁寧に教えてもらうことで、記述問題が出たら、「しめた!」と思えるようになってきました。このように、苦手分野などがあっても、さまざまな工夫をして正しい学習法を身につければ、得意分野になると思います。
 中学受験で、僕は第一志望校合格以外に手に入れたものがあります。それは難しい言葉を使えるようになった事です。社会で習ったことや四字熟語などを駆使して、家族の会話を盛り上げる事ができるようになりました。親や兄の話についていく事ができるようになったのはとても嬉しいことです。
 受験はコツコツ地道に努力した人が勝利をつかみます。そのことを忘れずに受験生の皆さんも、是非頑張ってください。