保護者の方からお寄せいただいた体験記をご紹介します。

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2019年度

J・Iくんのお母様の中学受験体験記

2019年度 桐朋中・城北中・西部学園文理中特待 他合格

アテナには2つ上の長男がお世話になり、塾に通うならアテナしかない!と次男も4年生の冬期講習から通い始めました。3人きょうだいの真ん中で、マイペースな次男。5年、6年での学習の流れは兄で経験して知っていたものの、苦労苦労の連続でした。

[国語]
小さいころからとにかく本を読まない、学校の教科書音読の宿題は超苦手、漢字も覚えられない、喋って説明するのも苦手でした。図書館で面白そうな本を私が選んで借りてきて、すぐそばに置いておいても本人は見向きもせず2歳下の妹が読んでしまうというありさま。自分で読まないなら!と私が寝る前に読み聞かせをしたりして、なんとか続けたところ、5年生の秋ごろからようやく自分で本を読むことの楽しさに目覚めてきました。5年生の頃は「文章問題より詩の方が文字が少なくていい!」などと言っていましたが受験直前では長文を読むこと自体にようやく慣れてきたのでは、と思います。

[算数・理科]
入塾当初は分数・小数の計算が苦手でしたが、それをクリアすると、宿題は泣かずに全部ちゃんとやっていました。わからないところはアテナでバッチリ鍛えてもらった兄に教えてもらうこともありました。最終的には得意科目になりました。

[社会]
一番苦労した科目。5年生で学習する地理と歴史、毎週でる宿題プリントが(たった1,2枚なのに!)苦痛で苦痛で毎回泣きながらやっていました。これも兄に、テキストのどこを見てやったらいいのか教えてもらいました。地理や歴史のチェックテストは、見事に再テストだらけで5年生の時点ではほとんど覚えられていない状態でした。今覚えておかないと後で困るのはよくわかっていたのですが、本人が泣いてばかりなのでどうすることもできませんでした。
文字を沢山読むのが苦手なため、何とかして歴史に興味を持ってもらおうと歴史の漫画本を買ったり、図書館で毎週借りてきては常に手元にある状態にしておきました。漫画だと、抵抗なく読めるのです。
6年生になった頃に、100円ショップで世界地図と日本地図を買ってきてリビングに貼りました。ニュースに出てきた地名がどこにあるか探したり、テキストやテストで出た地名がどこなのかすぐ確認できたので良かったです。今現在も役に立っています。
6年生夏休みにコンプリーションを始めましたが、見事にほとんど全ての問題がわからない!という状態。「なんかやったような気がするけど忘れちゃった!」ではなく「聞いたこともない!知らない。」なのです。テキストを見ながら調べて書き込んでいました。あまりにも全部わからないので、やる気がますますなくなっていきました。それだけ出来なくても、本人の危機感はなく、「やっぱり社会頑張らなきゃだめだ」と本人が言い始めたのは冬休みになってから。コンプリーション2回目をスタートし、1/31に全部終わらせました。実際に2月の試験では、1月末にやった箇所が出たらしいです。

[生活全般]
5年生のサイクルに慣れるのに非常に苦労しました。宿題をいつやるか、スケジュールを考えておかないと回らなくなるのです。かといって、親が全てやることを決めて子供にやらせようとすると「やだ!」と言われて上手くいきません。最終的には「やらないといけない宿題は何があるの?」と本人に確認させ(もちろん、先生から頂いたメールで内容は大体把握していましたが。)「夕ご飯前に社会プリントやって、夕ご飯食べたら算数の基本問題やる」と本人にスケジュールを決めさせました。ゲームもテレビも、時間を決めて毎日やっていました。受験前日まで、本人は非常に楽しそうにテレビをみて笑ったり、音楽を聴きながら踊ったり、歌ったりリラックスしていました。

[スマホについて]
5年生の途中に、子供の携帯をスマホに変えてしまったのですが親子で相談して決めたルールを何度も破ったため、結局「電話」「メール」だけを使用可にし、あとは全て(LINEやカメラ機能など。もちろんゲームも)使用不可にしました。小学生にスマホは早すぎました。キッズケータイで十分だと思います。

[受験直前]
私の方は、6年生2学期以降、模試の結果や過去問の点数に一喜一憂してしまい気持ちが休まりませんでした。本人があまりにもいつも通りなので心配になって先生にご相談すると、「塾で相当頑張ってますよ!家ではリラックスさせてあげてください」と言われ、そのお言葉を信じ、うるさいことは言わないようにしました。最後の最後まで心配でしたが、あとは本人が頑張るしかないので見守るだけでした。

[おわりに]
兄と弟、2人の中学受験を経験して次の2点は重要だと実感しています。
①宮本先生を信じてついていくこと。
②先生に任せきりにするのではなく、子供が宿題をやっているか、図を書いているか等、親が確認する必要があること。
特に②については、親の気力・時間を必要とし、それなりに大変ですがそれをさぼっていると子供もさぼってしまいます。

アテナに通っている間、不安になった時はいつでも先生に相談できるので非常に心強かったです。精神的に幼かった次男が最後まで頑張ることができ、第一志望校に合格したのは、アテナのお陰だと感謝しています。
宮本先生、本当にありがとうございました。


A・Hさんのお母様の中学受験体験記

2019年度 富士見中・国府台女子中・恵泉女学園中 他合格

1.入塾前の中学受験に対するイメージ
結婚10年目にして授かった娘。その娘が誕生したころには私の友人たちはすでに中学受験生ママ。子供を大手中学受験塾に通わせ色々な情報をグチ交じりに教えてくれたおかげで私は耳年増に。
「毎月成績ごとにクラス分けされる」「塾を休んだ際、友達にノートを見せてもらおうとしたら断られた」「成績が上がらず個別指導を追加された」「少しでも偏差値の良い学校に」「送り迎えやお弁当作りが大変」「宿題プリントの管理は親がしないと無理」「毎晩寝るのが遅く機嫌が悪く、親子関係も悪化」等々。
それに対し「そんなに大変なら無理して塾など行かせなければ」「小学生の間は思い切り遊ばせてあげれば」「心の成長は大丈夫?勉強しかできない子供になってしまうのでは?」等々、生まれて10年ほどしか経っていない子供にそんなに無理をさせても・・・。と私の中では中学受験を完全に否定していました。

2.アテナに入塾するまで
そんな私も娘が小学生に。兄姉がいる同級生ママから「学区の中学校は内申点が取れなくて希望の高校に行きづらい」「生徒が少ないから部活もあまりさかんではない」などの中学校の話を聞くと不安にはなりましたが、考えは変わらず「中学受験はないな」。
しかし、娘が3年生の冬休みに突然何があったのか、だれに何を聞いてきたのか、「私は今の小学校の友達と、近くの中学に行くことしかできないの?」と。
私は戸惑いながらも「塾に行ってたくさん勉強して、遊びややりたいことも我慢して努力すれば、自分の行きたい学校を選んで、受験して合格すれば、好きな学校に行けるよ」と答えてしまいました。娘は「そうしたい!!」と即答。中学受験への道が始まりました。
主人も私も神奈川出身で公立中学育ち。中学受験のことは全く分からず、まして大手塾には入れたくなかったので、図書館で中学受験本を手当たり次第に借りました。偶然にもその中に宮本先生の「はじめての中学受験」があったのです。これまでの中学受験や塾に対するネガティブなイメージが相当払拭されました。
問合せたのは1月中旬。主人と娘が授業を見学し先生と面談。「ここなら大丈夫」という直感でした。先生からは5年生から始めれば十分間に合うと聞いたので、しゃかりかクラブに参加しながら、入塾は翌年からということにしました。
ところが2月に入り、娘が「今年から通いたい!!」と言いだして、説明会寸前に滑り込みで4年生での入塾を決めました。

3.親の役割分担
私自身学校の勉強は好きではなく算数や理科はとても苦手でした。まして中学受験の勉強となると手も足も出なかったので勉強を教えるのは主人に任せ、私は健康管理、塾での宿題やプリントの管理に努めました。特に健康管理の「塾がない日は21時前には就寝」「しっかり食事を摂らせる」「体を冷やす食べ物はなるべく控える」等に注意しました。
6年生の夏は非常に暑く大変でしたが、冷たい飲み物やアイスを食べすぎないようにしました。また、1月中は学校を休んで終日アテナに行きたいとの希望に応え、昼夜二つのお弁当を作りました。栄養バランスだけでなく嗜好に合わせたメニューとし、補食でも変化を付け食べることを楽しめるように気を付けました。さらに睡眠を十分に取らせるように配慮した結果、これまでは毎年インフルエンザにかかっていた娘が、勝負の年を無事乗り越えたのです。自転車通塾の20分で体力が維持されたのも大きかったかもしれません。健康管理は大成功でした。

4.宿題の管理(母娘バトルからの変化)
宿題をはじめとした勉強の管理は健康管理のようにはいきませんでした。
初授業の後「とても楽しかった!授業もわかった!!」とゴキゲンで帰宅したので安心したのもつかの間、器用でも天才肌でもない娘は少し難しい問題になると不機嫌になり、負のオーラを出し続けながらイヤイヤ塾の宿題をやることが続き私は大爆発!!!
「イヤイヤやっていたらわかることもわからない。やりたくないのなら中学受験などやめよう。周りの人を嫌な気持ちにさせてまで勉強しなくて良い!人としてもっと大事なことがあるだろー!!!!!!!」と、塾の教材すべてをひもで縛って新聞袋に入れ物置に。それでも娘は物置から引っ張り出して宿題をやる。そんなバトルは5年生の夏ごろまで多々ありました。
しかし、5年生の合宿や夏期講習を終えるころにはそんな態度が少しづずつ変化してきました。宿題、チェックテストへの準備、歴史が始まると単語帳を作成するなど、自ら学習して負のオーラを出すことも少なくなりました。多少の小言はありましたが、6年生になるころには大きなバトルはほとんどなくなっていました。
さらに、6年生の合宿から帰ってきた時の日に焼けて少し大人びた表情。精神的に成長したのか、勉強に取り組む姿勢がさらに真剣になり、私から小言を言うことはほとんどなくなりました。

5.受験開始
とうとう1月になり受験本番で、最終的に志望校を固め出願。毎日朝から晩までアテナで追い込みをしました。過去問や苦手単元の教科書や実力アップ、先生が用意してくださったプリントなどを親も驚くほどの集中力でモリモリこなし、とても充実した追い込みでした。
1月14日に最初の受験校「浦和明の星」に挑戦しました。実はこの学校、6年生の夏まで名前しか知らず全くのノーチェック。秋に先生に勧められてから説明会に行き、好感を持ち志望校の一つとしました。試験を終えて娘の感触は「まあまあ」とのこと。それなりに手ごたえは感じていたようでした。翌日の掲示される合格発表は私と一緒に見に行きましたが、残念ながら受験番号はありませんでした。帰り道で「もうどこも受かる気がしない・・・・」と後ろ向きな発言。電車の中では一言もしゃべらずふて寝して負のオーラ全開でした。先生に状況報告したところ「なぜ不合格になったのか、何が足りなかったのか話したいので、アテナに来させてください」とのこと。娘は少し落ち着いたのか「わかった」と返事。私も言いたいことが山ほどありましたが我慢して先生に託しました。夜帰宅した娘の表情は明るく落ち着きを取り戻していたので安心しました。(先生とどんな話をしたのかは教えてくれませんでしたが・・・)
1月22日は国府台女子。無事合格し、ここから第一志望の吉祥女子の過去問をやる日々が続きました。これまではなかなか最低合格点に届きませんでしたが、このころにはそれなりの頻度で届くようになっていました。十分やり切ったのだと思います。
2月1日。午前の吉祥女子は「かなりできたと思う。前日に先生が出してくれた問題が出た。」とかなり手ごたえがあった様子。午後の恵泉女子は「大丈夫。解けたよ。」とこちらはさらに自信があるようでした。夜になりパソコンの前で合格発表を待ちました。残念ながら吉祥女子は番号がありませんでした。すぐに先生から電話をいただき、娘は淡々と返事をし、電話の後で「明日も頑張る!!」と一言。恵泉女子は娘の就寝後、主人と私で合格を確認しホッとしました。
2日。再び吉祥女子へ。「今日は難しかった・・・・」との感想で、娘はアテナへ行き4日の浦和明の星対策に取り組んだそうです。夜の合格発表ではやはり番号はありませんでした。娘の悔し涙。私ならこの状態で翌日以降の試験を平常心で受けることはできないかも・・・見ている私のほうが不安になってしまいました。この日も発表の後先生から電話をいただき励ましていただきました。
3日。富士見へ。試験後主人と会うと開口一番「バッチリできた。かなり良い点数だと思う。特待生になれるかも~!」と軽口をたたく余裕を見せました。まだまだ精神的に幼いと思っていましたが、いつの間にこんなに強くなったのか。
帰宅後、娘にとって最終日となる4日の受験校については親子で迷いました。当初は浦和明の星に再挑戦する予定でしたが、連敗した第一志望の吉祥女子に3度目の挑戦をするか・・・・。私は当日の朝でも変えられるよう両校に出願。娘は迷いに迷った末、吉祥女子に3度目の挑戦を選択し、アテナで最後まであきらめずに先生と対策をしました。
そして最終日となる4日。力は出し切りましたが手ごたえは「理科は先生がピックアップしてくれた問題がばっちり当たってまずまず。だけど、算数はもう一息かも・・・」とのこと。予感は当たってしまい不合格。3度目の涙は私にとっても非常につらいものでした。
5日。すべての試験を終え、今日は久しぶりに登校するのかと思っていましたが、なかなか起きてこない娘。起こしてみると「眠いから今日は休む」と言ったのでそっとしておきました。お昼前に起床してきて「あ~、久々によく寝た。私、富士見に行って6年間特待生になれるように頑張るわ!」と、私の心配をよそに晴れ晴れとした笑顔でした。
最後まであきらめずにやり切った娘。それだけでも私にとっては十分な成果で、素晴らしい成長です。中学受験をさせてよかったと心から感じました。

6.アテナに通って
中学受験には否定的だった私が娘をアテナに通わせて思ったことは、「キチンと子供一人一人をよく見てくれ、その子にあった叱り方、勉強の指導をしてくれる先生を見つければ中学受験もありだな」ということ。
娘は入塾してから、外せない学校行事以外でアテナの授業を休んだ事がありません。体調が悪く学校を休んでも、夕方までしっかり休むとアテナに行きました。授業が分からなくなる不安があったとも思いますが、アテナに行くこと自体を楽しんでいたようです。
チューターの先生方との楽しいおしゃべりのおかげで、今の娘の目標は中高でしっかり勉強して大学生になり、アテナのチューターになることです。
10才から12才という多感で繊細な時期に、心から信頼できる宮本先生、チューターの先生方や友達に出会えた娘は本当に幸せ者だと思います。良い出会い、学び、成長の場を提供していただいた宮本先生には非常に感謝しています。
受験を終えた今、娘が小学校を卒業するよりアテナを卒業するほうが感慨深くさびしいです。日々、メールやラインでたくさんのアドバイス・連絡事項、時には直接電話をくださり娘の様子や受験校の相談に親身に乗っていただき感謝しています。本当にありがとうございました。


S・Kくんのお父様の中学受験体験記

2019年度 明中八王子中・明治学院中・城北埼玉中 他合格

1月に夫婦で話していました。「こんなに楽しく塾に通えて、親が勉強に干渉することもなく、これで志望校に合格出来たら最高だね!」。

第一志望に合格できた今、アテナ進学ゼミは本当にすごい塾である、とはっきり言えるでしょう。息子はひらめきタイプや暗記力に優れているタイプでも無いです。宮本先生から指示されたことは親子で信じ貫いてきました。志望校が定まってから、算数は基本問題を中心とし発展問題まで欲を出して手を付けない、社会理科はコンプリーションの問題集で基礎問題を繰り返す、国語は漢字を中心に。

1月に入ってからがアテナの真骨頂です。学校はすべてお休みをいただき、毎日塾で過去問演習に取り組みました(先生・チューターの皆様、贅沢で濃密な1か月でした!)。息子は「受験直前の10日間が受験生活の中で1番楽しかった」と言っています。

3年間の受験勉強、山あり谷あり。集中力が欠ける時もあり先生に叱咤激励されたことも数知れず。「宮本先生はどんなに怒っても子供たちの事が好きだ、というのが伝わってくる。だからみんな先生についていくんだよ」。合点です!

そんな先生に出会えたことだけでも本当に良かったと思います。机上の勉強だけではなく、塾の仲間とフィールドワークとしての“しゃかりかクラブ”、スキー教室、夏合宿と沢山の思い出までもできました。

良き師、良い友にも出会えました。本当にありがとうございました。
最高でした!!


H・Iさんのお母様の中学受験体験記

2019年度 法政大学中・中央大附属中・三田国際中・国府台女子中・山脇学園中 他合格

今受験を終えて、娘には本当によく頑張ったと伝えたい。そして、感謝すべき沢山のありがとうに気付いて欲しい。

アテナは窓から見える距離にあり、選んだ理由も実はそこにあった。帰りが遅い私にとって、放課後の過ごし方は悩みのたねであり、学童保育が終わる四年生からは近所で通塾に当てよう程度の、全く浅はかな考えであった。
この思慮のない塾選びが、結果宝くじレベルで幸運であったと、今は神様に感謝している。

受験については、選べない公立より、選べる近くの中学へとぼんやり考える程度だった。 同程度の学力の子が集まれば授業は安定するのだろう、かけがえのない10代6年間を全力で楽しんで欲しい、ただそれだけであった。
親も知恵が付くにつれ変化するものだが、実はこのコンセプトは最後まで変わることはなかった。最終学歴との天秤もあるにはあったが、結局は何処に入れても自分次第でしかない。ならば一番近い共学に入れようと最後は決めた。

なぜ宝くじレベルの幸運をアテナに感じているか、それは娘の塾に行く姿を見ればわかる。嫌になったら辞めても良いからと突然放り込まれ、受験など親に流されたも同然の娘が、一度として行きたくないと言ったことはないし(かと言って物凄くやる気を見せたこともなかったが)、七の段すら怪しかった子が首都模試算数でトップテン入りするまでに育てて頂き、天然な娘を温かくフォローしてくれる友人を得て、宮本先生の授業を受けに走って出ていく娘の後ろ姿がそれを伝えている。
とにかく、こんなに熱心に子どもたちに向き合う先生は聞いたこともないし、大半の時間を子どもたちのために削っていることはスケジュールを見れば一目瞭然だ。この熱量は、恐らく子どもたちも肌で感じるのだろう。信頼が不可欠な三者(本人・親・先生)が、大切なものを預け合える関係として三年を過ごすことができたのは、先生の熱意に他ならない。

あくまで我が家の場合と前置きをしつつ、受験のエピソードを記しておく。
元々私のテーマは、アテナの授業+宿題だけの勉強量で手の届く学校に行くことだった。家での学習は宿題だけで良いことにしていたが、5年生までは夜遅くまでかかる日もあり大変だった。そのルールはずっと有効だったので、6年生になり宿題をはじめ全てを自習室でやるようになると、家では1秒も勉強しなくなり、それは受験まで続いた。家ではストレス発散が最優先となり、22時までテレビ・スマホ完全フリーとした。その善し悪しについて色々なご意見はあると思うが、生活のリズムがつき、気持ちの切り替えができた点は評価したい。

学校選びは前述の通り、とにかく数駅圏内の共学から探したいと私が希望し、5年時に近くの学校から学園祭を回った。娘も近い学校という基準に異論はなかったが、共学に関しては私のごり押しだったため、宮本先生に勧められた女子校もオープンカレッジに参加した。
娘は文化祭が楽しかった学校から優先順位を付けたようで、つまらなかった(中学部は展示だけなど)学校は希望しなかった。結果、徒歩圏内の法政が第一希望になった。
しかし、娘は得意な算数と苦手な国語の偏差値が20ほど離れている。基礎的な問題で出題が構成される法政は、四教科の合格最低点が高い。算数で満点を取ったとしても国語を補えないため、最も娘には向かないタイプの入試だと不安はあった。娘は、(法政は試験日が三回あるので)一回は受かるでしょと楽観視している。
そこで、家からは遠くなるが、私の職場が近く宮本先生お勧めの三田国際の算数一科入試を午後に受けることにした。

娘は第二反抗期真っ最中で、親からの自立や秘密を望み、ランドセルすら開けさせない難しい時期となっていた。それが大失敗を起こす。2/1法政の入試を終えた娘は、「消しゴムなかった。買いに行こう」とニヤニヤ出てきた。???!。何故朝忘れ物確認したのに?何故教官に申し出なかった?何故?何故?のハテナが一杯だが、なぜだか私も怒るより感心しまい、「え?じゃあどうやってテスト受けたの?!四教科も! 」と二人で笑いながら逃げるように会場を後にした。
午後の三田国際に応援に来て下さった先生から「引きずってないですか」と声を掛けて頂き、始めてそこで「あー、落ち込むところか」と気付く。うっかり怒らなくて良かった、でももし内心落ち込んでいたのなら大丈夫だろうか、それにしても2/1の本命を無駄にしたのは痛い…と悶々としていたところ、試験を終え出てきた娘は「え?別に」とケロっとしている。娘が不思議ちゃんと言われる所以だ。たくましいやら、憎たらしいやらである。

結果、法政は補欠。しかし、午後の三田国際は合格することができ、心に余裕ができた。
2/3、2回目の法政は、消しゴムを三つ持たせリベンジへ向かうも、何とまた補欠。
すると娘は「もう三田国際に行くからいい」と言い始める。新進気鋭の素晴らしい学校だと思うが、通学時間が長いことと、チャンスがまだある第一希望を早々にあきらめて行くのでは、何かが違う気がして娘を説得。2/5の法政は受けるが、2/4の中央大学附属は受けないと言い捨てて寝てしまった。実は私の本命は中附だったこともあり、宮本先生とも相談して、とりあえず明日の中附は何とかして連れて行くことにした。
寝起きの娘に間髪入れずに、好きなCDを買ってあげる・家からタクシーで行くから、と口説き落として拉致するがごとく家を出発。しかし道中タクシー内で朝食をとる娘は、「一生懸命なんて絶対やらないから!絶対通わないのに、受けるだけムダ!!」と立腹。これでは受かるはずがない、無駄な労力を使わせたと反省していたところ、結果は合格。
もはや二回も縁のなかった学校へは行かない方が良いと言う建前と、絶対中附の方が娘に合うと言う完全なる私の一存で勝手に苦しくなったが、やはり法政三度目の正直を願うこととした。
全ての日程を通して娘は冷静で、帰宅後22時まで延々と好きな音楽の動画を見るいつもの生活を続け、マイペースで受験を終えた。
最後は3回目でやっと正規合格を取ることができ、娘の希望で法政へご縁を頂くこととなった。

これがアテナで今季最後の受験者となった我が家の受験の顛末である。

受験は確かに本人のものである。親の期待や希望は存在するが、最優先は本人の意志であるべきだと思う。たかだか小学6年生に、親の力の及ばない所で、人生の一大事を自己責任だとするのは酷だろう。しかし、何度だってやり直せることを示し、その時は隣に居ることを、そのまた隣には恩師や友が居ることを、仲間と作った過去が必ず未来まで照らすことを伝えたい。親にできることはその程度かもしれないと思った。
色々と偉そうに書いたが、娘には「ママは他のお母さんと違って何にもしていない」と怒られ、本当にその通りだと思いつつ、心から宮本先生と娘に感謝したい。
一緒に頑張り抜いたアテナ生、来年も続くアテナ後輩生に幸多からんことを。


K.Hくんのお母様の受験体験記

2019年 武蔵野大学附属中・明治学院中・文大杉並中 他合格

今回の受験で、勉強もスポーツと同じくセンス!を思い知りました。残念ながら我が子にはセンスはありませんでした。。。努力も大変大事な事なのですが、努力をするにも、何回やっても覚えられない!できない!ピンとこないのです。もしかしたら、この事を理解できる方、いるかもしれません。あまり追いつめず、優しく見守ってほしいです。

さて。わが家の受験の始まりは、子供本人が受験をしたい!近くの公立中学には行きたくない!と言い出した事からでした。勉強が嫌いな我が子には、厳しいのではないか?と思い、悩んでいました。そんな時にたまたま「どうする?中学受験」という題名の雑誌が目にとまり、どうする?と思いながら読んでみた所、宮本先生の記事が掲載されており、吉祥寺なら通える!引き寄せられるようにアテナに入会させていただきました。

受験が終わったその日までは、長い長い道のりでした。家族でブラックホールに入り込んでしまったようでした。塾に行きたくない!そのフレーズを何回聞いた事か。宮本先生に何回電話やメールをした事か。宮本先生、チェックテストには厳しいですが、こんな時はとても優しいです。苦しさの先にある事について語ってくださり、我が子、感動で先生の愛を感じとってきます。そんな事が何回もあり、本当に感謝の気持でいっぱいです!勉強がつらくて塾に行きたくなくても、宮本先生や塾の仲間の事は大好きで、受験は辞めない。この気持はずっと変わりませんでした。この気持だけで乗り切った気がします。

どこかの市立中学に行きたい。目標が定まらないまま成績も上がらず月日は経ち、本当にどうしたものか、困ったわ。困ったわ。が口癖になってしまうほどでした。本当にのん気で我が道を行っている我が子ですが、流石に受験間近、11月辺りから急に追いつめられた感じになってしまい、体中アレルギー症状が出てしまったり、と。我が子には過酷な事だったのだと思い知りました。 1月はアテナが生活の中心となり、朝から毎日のように通い、宮本先生、仲間、チューターの先生方と触れ合う事で気持も安定したように思います。

第1志望校は本人の希望を通し受験に挑ませました。テスト後、門から出てきた我が子はとても晴れやかな顔つきで、笑顔でした。結果がどうあれ、受験まで頑張ってよかったね!そんな話をしました。4日間とにかく元気に受験に挑み続け、第1志望は残念でしたが、私達夫婦も望んでいた学校に本人の意思で行く事を決めました。あたかかく支えてくださり、頑張る事を教えてくださった宮本先生に心から感謝申し上げます。


K・Sくんのお母様の中学受験体験記

2019年度 東京都市大中Ⅰ類・法政大学中 他合格

1月31日、アテナでの3年間が終了しました。
宮本先生と出会い、よい友達と出会い、充実した楽しい3年間を過ごすことができたことを本当に感謝しています。

4年生からは学童保育がなくなるため、放課後の居場所づくりのために通いはじめたのがそもそものきっかけでしたが、宮本先生の授業がとても楽しかったこと、塾が学校とは別の一つのコミュニティになっていったことで最後まで通塾することになりました。

正直なところ、中学受験には抵抗がありました。特に6年生のカリキュラムは塾での拘束時間が増え、授業が終わるのが21時を過ぎるからです。宮本先生には、5年生同様20時半に終了してほしいだの、お弁当を頼めるようにしてほしいだの、講習は半分くらい休みますなどなど今思えば無茶なお願いばかりしていたなとつくづく思いますが、いつも親身になって相談にのっていただきました。

宿題をやらない→宮本先生に怒られる→塾に行きたくない→頭が痛くなる→私の携帯に電話がくる ということが何度か続き、宮本先生からは、宿題をやっていなくても何も言わないということにしていただき、塾に行きたくない病がなくなりました。
ただ、チェックテストの再テストが続くと、最近どうですか?とフォローの電話があり、その時だけは宿題をやるようにしました。もちろん、やりなさいと言ってもやるわけはないので、お菓子をかけてどちらが早く終わるか競争、など適当に企画して一緒に問題を解くようにしました。おかげで再テストの単元だけは私もかなりできるようになりました(笑)
こんな感じでしたので、計算チェック、短文作文は最初の数ページのみ、コンプリ真っ白、実力アップ真っ白(算数だけ1月に少しやりましたが)テキスト付箋だらけ(やってないということ)でした。

いま振り返ってみて、受験のストレスはけっこうあったのかなと思います。塾へは行くものの、塾のない日は放課後校庭で思いっきり遊んでいましたし、それは1月に入ってからも同様で17時まで学校でサッカーや鬼ごっこをして遊び、その後塾に出かけていくという生活でした。この時期にまだゲームをするか、とも思ったこともありましたが、子供にとっては、こうやってバランスをとらないとやっていられなかったのかもしれません。
宮本先生には、ある程度の学校をめざすのであれば、それなりの学習時間は絶対に必要だと何度も言われましたが、実際にはなかなかそこまでできませんでした。親としては、過去問のコピーを何部かとったことと、再テストのいくつかの単元を一緒に勉強したことくらいで、ほとんど協力しませんでしたが、もしきちんと結果を出すのであれば、中学受験に親の介入は不可欠だと思います。

プリント、問題集、テキストなど、とにかく量が多いので全部やっている余裕はありません。特に学習時間の少ない子の場合は、親が問題の取捨選択をして、間違った問題を中心に効率よく学習させることは絶対に必要です。子供の勉強の様子をみていて、塾には行って問題をこなしてはいるけれど、あまり身になっていないだろうなと思うことが多かったこと、とにかく復習する時間を確保できないため、次から次へと問題をやってもあまり意味がないだろうなと感じていました。
「新しい問題はやらずに今日は今まで間違ったところをもう一度やり直してみる!」 と自分から言い出したとき、おー、自分で気がついたか、えらい!と思ったものです。2月1日まであと数日、というときでしたが。受験することを選択したときから、この受験には一定の距離をおこうと決めていたこともあり我が家は「親子一緒にアテナでがんばった3年間」では決してありませんでしたが、子供は“今”できることを自分なりにがんばったと思います。

第一志望合格という結果にはつながりませんでしたが、自分で決めて自分で挑戦したこと、そして結果を冷静に受け止め、反省点も見つけたことで大きく成長できたと思っています。最後まで習い事も続けながらアテナ生活を満喫でき、とてもよい受験ができました。

宮本先生、3年間、本当にお世話になりました。どうもありがとうございました。


M・Yさんのお母様の中学受験体験記

2019年度 富士見中・山脇学園中・国府台女子中・大妻中野中特待・西武文理中特待 他合格

中学受験を考え始め塾を選び始めた時にお友達のお母さんから勧められたのがアテナでした。私自身、中学受験の経験があり、大手の塾の一斉に教えられ分かって居なくてもどんどん進んで行く授業に苦い思い出があったため、少人数で生徒がどこまで分かっているのか、表情をみながら授業して下さる塾はないかと思っていたので、アテナの方針はぴったりでした。体験に行き、娘はすぐにこの塾に行く!と言いました。入塾してからは、授業は勿論、しゃかりかなどの課外授業も殆ど参加し、3年間嫌がる事なく通い切る事が出来ました。

そして本題、お勉強ですが、月例テストに首都圏模試と上がったり下がったりが激しく全く安定しない成績でした。計算チェックテストも再テストのメールを頂くことも多く一喜一憂する日々でした。娘は、と言うより、私が口出しをしてテスト前は計算日記や実力アップなど範囲の物はほぼやって挑むのに成績が思うより取れない事が多く、なんであんなにやったのに…と思う事が良くありました。はっきり言ってしまえば、やる気の問題、もっと砕いて言えば問題をやらされている=とりあえずこなしている、分からない問題は答えを見てやってみる、そして、何となくわかった気になる…先生に質問する、その場は分かった気になる、で、終わっていた様に思います。宮本先生がおっしゃっていた、間違ったらもう1回、そして青丸で何回かやってみる、と言うのが、日々の問題に追われて娘には徹底できていなかったのかも知れません。なるほど!そうか!と問題を完全に理解して自分の物にする事が本当に大切だと思いました。なので、6年生の後半ですが、宮本先生ノートを作り、少しでも?と思う問題は全て質問に行く、そして、その日のうちにそのノートにもう一度やってみる、と言う事をやりました。これは6年の後半と言うこともあり、本人にやっと芽生えた、ほんの少しの?やる気とあいまり、実力がついた様に思います。

志望校選びですが、5年生の時、娘は絶対ここに行きたいっ!と言う学校はありませんでした。どこの学校も良く見えました。かく言う私も説明会を聞くとどこの学校も素敵だなぁと思っていました。足を運んだ学校は結局6校でした。今となればもう少し見てみても良かったかな、と思う反面多く見ても迷ってしまうし、結果足を運ぼうと思う学校の興味がある学校だから良かったかな、と思ったりします。でも、1つお伝え出来るのは、お子さんは勿論、出来れば、お父様にも積極的に学校の説明会に行って頂いた方がいいと思います。お子さんの希望が一番ですが、社会で働くお父さんの意見、こう言う社会人になって欲しい=何がこれから必要なのか?が進学する学校と合うのか、6年間通う可能がある学校をお父さんの目で見ておいてもらうのは大切だと思います。うちは、第一志望は吉祥女子でしたが、残念ながらご縁は頂けず、富士見と山脇、大妻中野の特待生で合格を頂きました。第2希望は富士見でしたが、宮本先生オススメの山脇も富士見に負けない魅力がありましたし、妻中で特待生を頑張ってずっととるよう努力し、もし自分の行きたい大学の推薦制度があれば、それを使って進学も可能?なんて欲もあったりなかったり…最後は娘が行きたいと言った富士見になりました。ここは主人も説明会に行き校長先生のお話や雰囲気も一番気に入っていた学校でした。

娘は吉祥女子を第一志望に最終的にきめたのは6年生の夏休み明けでした。吉祥女子に文化祭や模試で足を運んだり、塾に行く際に車窓から見える校舎を眺めるうちにやっぱり吉祥女子がいいなあと思いが強くなり決めました。しかし過去問の結果は散々でした。特に吉祥女子の理科が難しく計算問題はかなり苦労し、5年6年の実力アップを繰り返しやりました。12月のクリスマス前に先生から吉祥女子は難しいので、2/1を受けて2/2は追わずに富士見の方が安心かと思います、とアドバイスを頂きました。親としてもそうだよね…と言う思いでしたが、今は合格最低点を超えなくても本番に越えればいいんだ!と思いやる事をやろうと思いました。それからの娘は娘なりに頑張り1月校の西武文理は午前午後とも特待生合格でした。ここで先生から,「ここ最近の頑張りは本当に凄いです!失礼ながら西武文理を2つ特待生合格を取ってくるとは思いませんでした。2日も強気に吉祥で行ってもいいかも知れません!」と言って頂きました。その言葉が嬉しく、ここから娘は本当に頑張ったと思います。

国府台女子も合格を頂き、遂に2月1日。先生に激励を頂き、試験に向かいました。塾に行くのが日常になり、お弁当を作るのも日常になり、この日のためにやってきたんだなあ、本当に2/1って来るんだなぁ…と言う、変ですが、こんな感想です。娘を迎えに行く前に、私は、出来なさすぎて半べそで出てくるんじゃないか、午後に立ち直せるかなぁと思っていました。しかし、実際は真逆でニコニコ「過去問より全然簡単だった!昨日見たところもこの前宮本っちゃんから教わったとこも出た!」と。ひとまずホッとし、お昼を食べ、午後の山脇算数受験に向かいました。娘が出来たと言う事はみんなも出来ていると言う事、でも昨日見たとこや最近教わったとこが出たのはラッキーだったね、と話ました。その夜の結果は、ドキドキでしたが残念ながら番号はなく、呆然でした。娘は最初、手応えがあっただけに「明日も吉祥受けたい!」と言いました。山脇は合格を頂いていたので、チャレンジさせてもいいか、とも思いました。でもそこで先生から合格最低点が見たことがないくらい高い、と。先生と娘の中で、220点くらいで合格出来るでは?と話していたらしく、点数の配分を相談していたらしいのですが実際は243点。吉祥の問題であと20点数以上明日取れるのか?明日は御三家を受けたお子さん達も受験し、もっと過酷なものになる、と考えて、娘も冷静になり、厳しいと思うから富士見にすると言い、2月2日は富士見を受験しました。結果は合格。本当に良かったです。後から思い起こすとこの切り替えが娘には良かったと思いました。2日、吉祥がダメで3日富士見の場合、富士見も今日が最後、落ちたらどうしようというプレッシャーで、大丈夫でしょうと言って頂いて富士見でも実力が出せなかったかも知れません。本当に受験は的確な冷静な判断が必要だと思いました。

また、余談ですが案外受験で忘れがちなのが下の子の事です。今年は土日を挟みましたが、ご主人がお仕事を休めない場合、また早く会社に出勤したりで、私たちは早くに出てしまうし、弟が朝1人になっちゃう!みたいな事になります。お婆ちゃまに来てもらうなり、学校を休ませるなり、考えておいた方が良いと思います。

娘は富士見に進学する事を楽しみにしています。良かったことに一緒に進学できるお友達もいます。本当にご縁だと思います。ご縁と言えば、宮本先生。本当に娘の人生、私たち家族も宮本先生にお会いでき、通塾出来て本当に良かったです。塾、最終日に娘が帰ってきて言った一言が「もっとアテナ行きたいな」でした。こんな塾あるでしょうか?先生には本当に感謝の思いでいっぱいです。いつ休んでるの?と思う気配り、面倒見の良さ。スーパーマンだと話しています。受験は確かに大変です。でも、宮本先生の教えを守って、ついて行って下さい。先生もお身体に気を付けてこれからも熱血指導頑張って下さい!本当にお世話になりました。ありがとうございました。


A・Hさんのお父様の中学受験体験記

2019年度 富士見中・国府台女子中・恵泉女学園中 他合格

詳しい経緯や娘の様子は妻の体験記にあるので、父としての行動や感じたことを思いつくままに。

1.心がけたこと
中学受験は一切考えていなかった私は「勉強ばかりで子供らしい成長が難しい受験勉強」は避けたいと考え、宮本先生の受験に対するスタンスに共感し、ある程度理解したうえで始めました。
といいつつも、具体的に何をすればよいかが全く分かっていなかったので、宮本先生の言うとおりに行動しようと心がけましたが、その中でも特に気を付けたのはこの2点。
(1)自主性の尊重
娘が自分でやると決めたので、自主性を尊重しました。やるなら徹底的にやらせたいところでしたが、宮本先生の指導理念に基づき自立した学習を実行するためのサポートに徹するよう気を付けました。私が実行できたかは若干怪しいのですが、結果的に娘は自立した学習ができるようになったと思います。
(2)一緒に楽しむ
勉強や行事はできる限り一緒に楽しみました。これはほぼ達成できました。自信があります。
行事では、しゃかりかクラブ、BBQ等塾関連はもちろん、首都圏模試は主に私が付き添い、学校説明会でも私立中学の教育方針等に感心しながら学校を探しました。普段意識しない事ばかりでしたが、娘よりも自分が楽しんだのは間違いありません。
勉強では、自分で考え答えを導き出すよう見守りました。我慢しきれず解き方を押し付けてしまう面がありましたが、一緒に考えることを楽しめました。娘がどう思ったかは別にして・・・。

2.アテナで良かったこと
(1)娘の成長
勉強だけでなく、人間として成長したこと。
第一に、生活態度、礼儀、相手の気持ちを思いやることなどを徹底して教えてくれました。普通の塾ではしないであろう、勉強以外のことも熱意をもって指導し、時には先生自身の経験を踏まえ、人としてどうあるべきかを自ら考えさせるよう話していただき、幼いながらも自ら考え行動するようになりました。
また、学習面でも、入塾当初は授業や宿題のペースについていけませんでしたが、宮本先生の熱い指導と本人の努力により徐々に対応できるようになり、最終的には自立して学習するようになりました。
4年生のころは自信のない弱気なコメントが非常に多く学習意欲も低かったのですが、自立するに従って自信がついたようです。本番では落ち着いて試験に臨み、持っている力は発揮できたようです。
特に受験終了までの1か月の頑張りは目を見張るものでした。毎日朝から晩まで、大人でも簡単にはできないような時間と量を集中してやり切り、不合格が続いてもあきらめず最後まで全力を尽くした姿には、わが子ながら感動しました。
それらを自主的に乗り越えるまでに成長した娘を頼もしく思います
(2)親も成長
ついでに親も成長させてもらったこと。
第一には、子供の成長の可能性は無限だということを実感しました。頭では理解しているつもりでしたが、短期間にここまで成長するとは思いもしませんでした。これからもより成長できるようサポートしていきます。
次に、思い込みで選択肢を減らしていたことに気づきました。十分知識を持っていない事にも気づかず「中学受験なんて子供にさせたくない」と考えていた私たちにとって、「子供たちが成長する中学受験がある」事に気づかせていただけたことは大きな収穫でした。子供と本気で向き合い、様々な選択肢を考えてきたつもりですが、足りない部分があることに気づきました。これは勉強に限らず、これからの人生すべてに通じることだと感じています。
(3)楽しい学び
ポイントを絞った楽しい授業と絶妙にコントロールされた宿題により、勉強そのものが楽しいと感じていたこと。娘の代わりに私が受けたい位です。
(4)楽しい行事
合宿、しゃかりかクラブ、BBQなど楽しい行事がたくさんあったこと。
先生の熱い思いとノウハウが凝縮された塾の行事は、娘をはじめ子供達に大好評でした。親が出られる行事にはほぼ参加し、保護者の中では高い出席率だったはず。子供よりも私のほうが楽しんだと思います。ちなみに次女がいるのであと2年は楽しめます。(笑)
(5)健康に過ごせたこと
きっちり学力を身に付けつつ、規則正しい生活を送りながら健康を維持して中学受験を乗り越えたこと。
学年が進むごとに徐々に増えていく授業時間や宿題の量を宮本先生が絶妙にコントロールしたくださったおかげで、無理のない生活ができました。早寝早起きがモットーの我が家では非常にうれしいことでした。睡眠時間を十分確保し、元気に毎日を過ごしていました。

3.反省
概ねよくサポートしたと思っていますが、いくつか心残りがあります。宮本先生との連絡をもっと密にして、より良いサポートができたのではないかということです。
(1)学校探し
もっといろいろな学校を見学しておけばよかったと思っています。
4年生の時からそれなりに文化祭等の行事や学校説明会には参加し、結果的に学校選びは成功したと思っています。しかし、アテナの友達の受ける学校の話を聞いただけでも本当に様々な学校があるのだと改めて感じています。通学時間やその時の学力で範囲を絞りすぎた感はあり、もっと先生に相談して、もう一回り広く見ていればより良い学校探しにつながったと思います。
(2)日々のサポート
チェックテストや月例テスト、模試の結果で、娘の得手不得手はある程度見ていたつもりですが、授業や宿題の合間を使ってもう少しフォローした方が良かったと思います。
基本的には本人が十分努力していたのですが、不得手な部分は緩みがちだったと思います。早い段階でフォローしてもう少し手当しておけば、受験直前の追い込みもさらに効果が上がったのではないかと考えています。
(3)受験直前のサポート
娘の模試・過去問の結果や勉強への取り組み方などを見て、弱点を強化したほうが良いと感じていましたが、先生に十分意図を伝えられず、後手に回ってしまいました。
「自立した学習」を意識しすぎ、親が口を出してはいけない、先生と娘とで進めるのだと判断したのです。この時にもっと先生と意思疎通ができていれば、より良い結果となったかもしれません。

4.感謝
中学受験に偏見を持っていた私は、こんな方法があるなんて思いもしませんでした。
宮本先生に感謝。
凝り固まった考えに柔軟性を与えてくれたことに感謝。
確固たる信念をもって実行する姿にさらに感謝。
ついでに親も成長させていただき、また感謝。
何より、子供たちを愛し成長を願う気持ちに、またまた感謝。
感謝。感謝。感謝。どれだけ感謝しても足りないくらい感謝。

私の気持ちを淡々と表現しようとしたのですが、うまくできません。
言いたいことはこれ。
本当に楽しく素晴らしい3年間をありがとうございました!!!


2018年度

H・Hくんのお父様の中学受験体験記

2018年度 芝中 慶應中等部一次 桐朋中 東京都市大中 他合格

一月三一日、入試の前日に最終授業を終えた息子を塾に迎えに行った帰り、「良い先生、良い仲間に恵まれ、○○君に算数で負けて悔しい思いもして、受験勉強は楽しかった。アテナに通えて本当によかった。」と本人が呟きました。そして迎えた入試本番。次々と受験校に合格していく様子を見て、「本命の慶應中等部も合格する」と家族全員が信じていました。
一次試験を通過し、気力十分で臨んだ二次試験での不合格。過酷な最後が待っていました。本人は数日間、悔しさで立ち直るのが大変でしたが、塾や学校の友人と会って遊んだり、我慢していたゲームを再開したりして、少しずついつもの明るさを取り戻しています。自分の意思で過酷な勝負を挑み、最後まで自分を信じて試験会場に臨む息子の姿は、親ながら本当に尊敬していましたし、これからの人生も、どちらか迷ったらまた困難な道を選んで挑戦していって欲しいと願っています。

アテナに体験入塾したのは四年生の十一月でした。中学受験に挑戦しようと妻と話し、私は仕事帰りにいくつもの中学受験塾に訪問して出来る限り代表者と話を重ねました。規模に拘らず、「論理的に話をしてくれるか」、「情熱はあるか」、「整理整頓されているか」、などの視点で十件程度の訪問を重ね、宮本先生にたどり着きました。妻を連れて再度面談させて頂き、妻もすぐに入塾に同意、アテナへの通塾が始まりました(正確には定員がいっぱいでウエイティングでしたが無事に入塾できました)。
五年生の一学期、土曜日は少年野球と両立をしながら、それでも遅刻せずに何とかアテナに通う感じだったと思います。本人は、入試直前期よりもこの時期が一番辛かったようです。五年生の夏休み、学校がない中で塾と野球だけの世界となり、落ち着いて授業と家庭学習をこなしました。妻は夏季講習期間中だけ会社に無理を言って業務時間を変更、私も取得できる夏季休暇はすべて塾が休みの日に取得、午前中の短い時間で一緒に家庭学習に取り組みました。家族一丸で臨んだ五年生の夏休みを越えた頃から結果が出始め、大好きな歴史の勉強も絡めながら受験勉強のペースを掴んでいきました。

【家庭学習の振り返り】
【国語】読み込まなければ解けない選択問題や、深みのある記述は最後まで点数が取れませんでした。こればかりは子供の成熟度と相関関係があると思います。ですが、先生の著書にもある通り、国語は親子の会話を磨くことに尽きると思いました。具体的にどう会話するかについては、授業終わりの宮本先生と生徒達の会話をコソ聞きすると明確になります!
【算数】親が挑戦しようと決めた中学受験、五年生の間、算数について時間が許す限り私も同じ問題に挑戦し、子供から宮本先生の解法を教わりました。父子の目標は「算数のチェックテストを1回でクリアすること」のみ。二学期に入って算数のチェックテストをほぼ一回でクリアするようになり、算数に関する親のサポートは終了、その後は宮本先生の指示された課題に取り組んでいました。
【社会】先生の仰る通り、五割は歴史です。『日本の歴史』のマンガも良いですが、我が家がハマったのはマンガ版『その時歴史が動いた』でした。妻が図書館で繰り返し借りてきてくれ、家の中のどこかにこのマンガが置いてあり、親子で何度も読み返しては、細かなシーンを再現していました。戦国時代や明治維新の詳細な人間関係が魅力的に描写されており、歴史の流れを学ぶにも十分な内容なのでオススメです。
【理科】計算問題はそこまで苦手意識がなかったものの、六年生の冬になっても植物、地学、化学などの苦手を克服できない状況でした。そこで「皆ができる問題を落とさないこと」を目標に、十二月から板書ノートの復習と『ゴロ理科』を繰り返しました。ゴロ理科の内容をより目で理解するため、学研の『ビジュアル理科』を六年生の十二月の末に購入し、ゴロ理科と併用して親子の口頭試問(一日三〇分程度)を日課とし、最後に理科の苦手を何とかできるレベルに仕上げました。
以上、こう書くと私のアイデアのようですが、先生が二月の説明会で教えてくれたことばかりです。

【第二志望以下の学校選定について】
息子にとって中学受験は慶應中等部に合格することだけでした。それ以外の学校はどこも同じだったようで、第二志望以下を決めるのは親の役割でした。妻は候補となりそうな学校の説明会には全て参加し、学校の様子を肌で感じながら絞り込みをし、そこから私が過去問を見て最後の絞り込みをしました。さすがに算数の過去問は理解しきれませんが、その他の教科は答えを見れば親でも少しは理解できます。親も過去問にトライすることで、各校が求める生徒像、子供との相性、そして偏差値表が鵜呑みにできないことが本当によく分かりました。

最後に、塾を選ぶ際には、どうしても大手塾の情報量に惹かれる部分があると思います。ですが、アテナでは、六年生の二学期になると、先生が学校別の外部模試を勧めてくれ、十分な情報はここで手に入ることが分かります。私は、中学受験塾という高額な商品を選ぶ際に一番大切なことは「教える熱意とスキル」、そして「相性」だと思います。大手塾では到底かなわない、「教える熱意とスキル」がアテナにはあります。息子は本当に苦しい思いを重ねながら、それでも折れずに挑戦を続けました。その折れない心を、二年間じっくり待ちながら育ててくれたのは宮本先生です。宮本先生、二年間本当にありがとうございました。この出会いに心から感謝致します。 


M・Tさんのお母様の中学受験体験記

2018年度 吉祥女子中・光塩女子学院中・恵泉女学園中 他合格

三年前、最初にアテナの「天体」の体験授業を子どもと一緒に受け、私自身が面白く思い、子どもが四年生になってからアテナに入塾しました。
子どもは、アテナには楽しく通っていたものの、普段の生活は遊び中心で、成績自体はずっと低迷していました。授業の前に行われる計算チェックテストも再テストの常連でした。再テストのお知らせがくるたびに、またかとがっかりしたのを思い出します。
そのような状態でしたので、志望校として考えた吉祥女子は到底無理ではないかと思い、別の学校を志望校として考え始めました。ただ、宮本先生との面談時に、「吉祥女子を目指して頑張る気持ちがあるならば、それに合った指導をします、私を信じてついてきてください」と言われました。私は、偏差値がかなり足りていないけれど大丈夫かな、でも志望は低いより高い方がいいなと思い直し、親としても、あくまで第一志望は吉祥女子と決めました。
もっとも、子ども自身は、六年生になっても、勉強に身が入らない生活が続き、学校から帰ると遊びに出かけてしまいますし、家でもゲームをしたりテレビを見たりして過ごすことが少なくありませんでした。親からは子どもに「こんないい加減な勉強態度なら、受験をやめたほうがよい」と何度も話しました。しかし、子どもは、宮本先生の授業が大好きで、仲良しの友達もいるアテナをやめたくないと頑として言い続けました。

六年生の夏前に、「このまま真剣に勉強をしないならば、受験をする意味がない」と本気でお説教をしました。子どもは吉祥女子に通いたいという気持ちが強かったようで、夏頃から、苦手な算数を中心にテキストの演習問題などをしっかり復習するようになり始めました。その結果、多かった計算ミスが少しずつですが減るようになってきました。また、六年生の夏といっても子どもにとって受験はまだ先というイメージがあったようで、とりあえず毎月の模試や、定期的に行われるチェックテストなどを目標に勉強するようにしました。そして、六年生の秋からは成績が向上し始めました。
それでも、吉祥女子のハードルは高く、過去問演習をしても、合格最低点にはなかなか届かない状態が続いていました。しかし、子どもは吉祥女子を目指すという気持ちを一貫して変えず、宮本先生の指示に従い、ずっと吉祥女子の過去問演習を続けていたところ、直前になって、合格点を少し超えるようになってきました。後から思うと、最後まで諦めずに第一志望校を目指し、過去問演習をこなしていたのがよかったのではないかと思います。

二月一日の吉祥女子の入試は不合格でした。もともと、二月二日は第二志望校を受けようと子どもとも話していました。しかし、一番過去問演習を重ねていたのが吉祥女子でしたから、子どもが二日にも吉祥女子を受験したいと後で言い出すかもしれないと思い、夫と相談し、子どもには内緒で、二日の吉祥女子の入試にも出願しておきました。
子どもは、一日目の合格発表を何度も無言で見返してから、二日目も吉祥女子を受けたいと言い出しました。私としては、二日目は第二志望校を受けて、確実に合格を決めてほしいという気持ちがあり、第二志望校を受ける方が良いのではないかと子どもに話しました。そんな時、宮本先生から励ましのお電話をいただき、悩みに悩んだ末、試験時間の一時間前に、子ども自身がやっぱり第一志望校の吉祥女子を受けると決断し、最終的に二日目も吉祥女子を受験することに決めました。その結果、合格を手にすることができました。

アテナでは、ほかの塾ではない体験学習がたくさんありました。子どもは、広島や奈良の夏合宿をはじめ、スキーやバスツアー、その他様々な体験学習などにほとんど参加させていただきました。昆虫講座ではカブトムシの幼虫をいただき、六年の春から秋にかけてカブトムシを数匹育てたりもしていました(カブトムシの世話を毎日したのは、ほとんど親でしたが)。
子どもは、宮本先生を慕い、そして、アテナでの様々な社会勉強なども通して、学ぶことの楽しさを体験し、子どもなりに、大事な年ごろの時期の受験を乗り越え、精神的にも少し成長できたのではないかと思います。
最後の最後まで子どもを温かい目で見守り指導してくださった宮本先生には、感謝の気持ちで一杯です。
これまでご指導いただき、本当にありがとうございました。 


D・Iくんのお母様の中学受験体験記

2018年度 世田谷学園中・東京農大第一中・西武文理中特選 他合格

受験体験記を書くにあたり、まず宮本先生に心より御礼申し上げます。お陰様で素晴らしい受験生活を送ることができました。
中学受験を経験したことのない私たち夫婦には、息子の中学受験のすべてが全くの手探りから始まりました。その中で宮本先生の著書『はじめての中学受験』に出会えたことは、本当にラッキーなことでした。「中学受験はゴールではない」、「中学受験を成功させたいなら子どもを自立させろ」という言葉。当たり前に聞こえるけれど、一生懸命になるあまり見失いがちなことだと共感し、入塾させていただきました。

「自分にはアテナ以外にない」と、最初の見学で一目惚れした息子の、宮本先生とアテナに対する信頼は最初から絶大なものでした。宮本先生の分かりやすく、興味を引き出すような授業がとても好きだったようです。アテナに入って最初の月例テストは無残な成績でしたが、学年が上がるに連れて目に見えて成績が上がってきました。また、「このニュースについて、宮もっちゃんはこう言ってたよ」、「これこれってこう言う意味なんだって、宮もっちゃんに聞いた」など、家での会話もアカデミックになっていきました。先生の〝雑談〟もすべてが力になったのだと思います。体で学ぶ『しゃかりかクラブ』や合宿は、毎回とても楽しみにしていました。クラスメイトと友情を深めることができ、勉強への意欲も駆り立てられたようです。休日返上で、子どもたちの好奇心を刺激するような企画を立てて下さる先生には、頭が下がる思いでした。

そうして迎えた最終学年。息子の志望校は、入試で算数が難しいのは言うまでもなく、社会はほとんどが記述式の学校でした。夏期講習でやった過去問は惨憺たる結果でした。宮本先生からも第1希望の変更をアドバイスされました。宮本先生が勧めてくださった学校も素晴らしい学校だったのですが、息子は頑として譲りませんでした。宮本先生は息子の気持ちを汲んでくださり、励ましながら熱心に指導してくださいました。
このように申し上げると、2年半しっかり受験勉強していたかのように思われてしまうかもしれませんが、実はそんなことはないのです…。アテナの授業中だけは集中して頑張っていたようですが、家では最低限の宿題しかせず、ゴロゴロしたり、学校から帰るなりランドセルを放り投げて遊びに行ってしまったり。そんな姿を見るたびに、何度宮本先生に泣きついたことでしょう。最後に訴えた時には、「塾ではしっかりやっているので、家ではのんびりさせてあげてください」とのお言葉。受験本番まで残り数ヶ月で親としては焦っていましたが、この言葉で救われました。
しかしそういうわけで、漢字日記・計算日記・短文作成をかなりやり残してしまったのは、本当に残念でした。しっかり取り組めていたら、間違いなく算数や国語の基礎学力はもっと安定し、問題を解くときの正確さやスピードも向上していたでしょう。「難しい志望校なのだから自覚を持って自分でやりなさい」、「基礎力の訓練が大切だ」と声がけし、自発的に志望校に見合った努力をしだすところまで期待していましたが、息子の場合はもっと横に座って伴走してあげ、癖やペースを作る手助けをしてあげるべきだったと今は思っています。ここは、親の力不足でもあったのではないかと反省しています。
とはいえ、あくまでも第1志望を譲らず、受験直前の年末からはアテナの授業後もギリギリまで自習室で勉強して帰ってくる姿を見て、初めて息子に逞しさを感じました。そうした意味では自覚はできたのでしょう。十二月後半になると社会の記述もできるようになり、過去問で合格ラインに達するようになりました。本人が第一志望の学校に入ることしか頭にないため、宮本先生と相談して私たち夫婦が気に入った学校2校を第2希望とし、最後まで第1志望の対策に力を入れました。

受験生活を送っていると、親にも子にも色々な情報が入ってきます。そうした情報に惑わされず、自分の道をひたすら進むことは難しいことです。悩みや相談が出てきたとき、宮本先生がそれらをすべて受け止めて、ご経験に裏打ちされた的確なアドバイスをくださったお陰で、最後まで迷うことなく受験に臨むことができました。
息子の受験を振り返って、語らずに済ませられないもの、それはアテナの仲間たちの存在です。「仲の良い学年は良い結果を出す」とは宮本先生のお言葉ですが、仲間たちと最後まで高め合う、励まし合う姿は羨ましくもありました。素晴らしい出会いに本当に感謝しています。良い関係がこれからも続いていくと良いなと思っています。
一月校の入試直前、息子は「早く始まって欲しい」とウキウキでした。こんな気持ちで受験ができるなんて、想像すらしていませんでした。2月1日午前の第1志望では、試験の途中から具合が悪くなり、最後の教科は保健室受験をすることになって冷や汗を流しましたが、午後から持ち直し、その後全ての予定をクリアすることができました。どの学校でも、校門のところで宮本先生に電話をして励ましていただきました。大変ありがたかったです。残念ながらあんなに行きたがっていた第1志望にご縁はいただけませんでしたが、第2志望の2校には合格をいただくことができました。本人も手応えは感じられたようで、すぐ立ち直り、今では新生活をとても楽しみにしています。

息子は、アテナに入った頃は初めての環境に戸惑って友達も作れず、右手の骨折なども重なって、アテナは嫌いではないのに行けないことも度々ありました。その度に宮本先生は電話で説得してくださったり、アドバイスを下さったりしました。それから2年半の時を経て、学ぶことの楽しさを知り、仲の良い〝ライバル〟たちと切磋琢磨しながら自分の想いをぶれずに実現しようとする息子に成長しました。親として、合否以上に、これほど嬉しいことはありません。


S・Kさんのお母様の中学受験体験記

2018年度 吉祥女子中・富士見中 他合格

「中学受験しようかな」
突然そう言い出したのは、四年生の一月末頃でした。
それまで何の準備も知識もなかったので、慌てて図書館で関係書をかき集め、その中に宮本先生の「はじめての中学受験」がありました。メールで問い合わせて、体験授業をし、入会するまで一週間。ちょうど五年生の授業が始まる所に滑り込みました。
通い始めた頃は、チェックテストは毎回再テスト、たった5問の算数の宿題に3時間もかかるなど、勉強のペースがつかめず苦労しました。でも、授業で今まで知らなかった事を知るのは楽しかったようで、授業の後は脳が興奮状態でなかなか寝付けないこともありました。電車で通っていたので、帰りの電車でその日の授業で聞いた事を教えてもらうのが、私も楽しかったです。特に宮本先生の雑談の話が。

受験勉強を始めると同時に志望校探しも始まりました。娘の一番の希望は「女子校」でした。色んな学校のホームページを見たり、合同説明会などに行ってみたり、いくつか候補は上がりました。五年生の間にそれらの学校のオープンキャンパスや文化祭に行って、第一志望校が決まりました。六年生になってからは首都模試の会場を興味のある学校にし、試験の間に学校説明会に参加しました。
六年生の九月以降は、月・水・土の授業の他に、日曜日や祝日に過去問演習が始まります。午前中に過去問を解いて午後解き直しをするのですが、解き直しに時間がかかりその日中には終わらないことが度々でした。また学校の方も二学期は行事が多く六年生は役割も多いため、両立するのが大変そうでした。宿題や解き直しが終わらない時は、宮本先生に連絡をして待ってもらったり、過去問演習を一回休んで解き直しを優先させてもらったり、相談しながら融通していただきました。

受験間際は特に睡眠をきちんととる事、消化の良い食事をとる事などに気をつけました。そして普段通り家の手伝いもさせていました(大した仕事ではないのですが)何事にも時間がかかるので、前日にゆっくりと持ち物や洋服を用意し当日の朝慌てないようにしました。合格発表で受験番号を見つけた時の嬉しそうな顔を見た時「中学受験をさせてよかったな」と思いました。
アテナでは、6年生になると計算チェックテストをやるのですが、時々ランキング表を持って帰ってきます。そこには今までの歴代の生徒さんの点数と進学先が載っていて、自分の志望校に進んだ先輩が同じ時期どのくらいの点を取っていたのか比べることができます。また、中学生になった先輩が時々遊びに来てくれて、身近に目標を感じながら勉強できたのがとても良かったと思います。これからは、塾生の皆さんが憧れる中学生となり、自分がしてもらった様に、後輩の受験を応援して欲しいと思います。

宮本先生やチューターの先生には大変お世話になりました。中学受験で勉強漬けになるのは反対だったのですが、アテナでは、しゃかりかクラブや夏の合宿など、体験学習も多くあり、楽しみながら勉強ができました。本当にありがとうございました。


K・Oくんのお母様の中学受験体験記

2018年度 桐朋中・暁星中・西武文理中特待 他合格

【アテナとの出会い】
同じ小学校の先輩お母様から、三人の御子息が通ってとても良い塾があると聞いていたのが、アテナでした。中学受験がいかなるものか、皆目見当のつかずの我が家にとって、ありがたい情報で、自宅から自転車で十分というのも魅力でした。知識欲だけは人一倍強く、理屈っぽい一人っ子の息子は、宮本先生の授業にぐいぐい吸い込まれるようになりました。夜の山登りで天体観測、カレー作り、磯探検、授業以外でも興味や関心を満たして下さる宮本先生は、息子にとっても、親にとっても、ワクワクの泉の様な存在でした。入塾は四年生の最後、今回卒塾アテナメンバーとしては、ラストでした。

【五年生だらだら期】
最初こそ、テストの結果は良かったものの、地道に努力する訳でなく、新しく習う算数の解法は大好きではありましたが、計算ミスを多発。理科はウキウキ。地理は全く覚えず。国語はそこそこ、漢字は適当。マンスリーテストの結果は下降線をたどり、とうとう、宮本先生にアテナでの成績は底辺にいると言われる程になりました。計算日記もやったり、やらなかったり。基本的に自宅で夜は学習せず、登校前にアテナの宿題と学校の宿題をやっていました。宮本先生は息子に合った学習法を様々考えて下さいましたが、ほうっておくと、好きな科学雑誌や機械の本を読んでいて、アテナの授業は大好きで、喜んで通ってはいるけれど、この先どうなってゆくのかわからず、親としては、困った感ありの時期でした。幾つかマニアックな男子向きの学校の文化祭に家族で行っておりました。武蔵、桐朋は魅力的でした。

【六年上昇期】
六年になり、本人の目的意識がはっきりしてきたこと、精神的に少し成長してきたこと、宮本先生によく相談したこと等が相乗効果となり、テストの結果も上昇してきました。首都圏模試は相性が良かったようで、本人の自信につながりました。社会は近現代史になると、覚えなきゃいけない科目から、関連の本を探すなど、ウキウキの楽しみな科目になりました。それでも、週に三回通塾、春期講習、夏期講習、冬期講習、模試、ラスト一年とはいえ、スケジュールはびっちりで、小学生とは思えない状況に正直びっくりしました。
我が家は近いので楽な方だったと思います。電車、バスで通塾されているメンバーは本当に大変だな、ご家族のサポートも偉いな、と思っておりました。子供たちは皆、常に楽しそうに通っていました。授業以外でも、プールに行ったり(メンバーのお父様が付き添って下さった!ありがたい!)模試の後に図書館に行ったり、アテナメンバーと過ごす楽しい時間もありました。しゃかりかクラブも全参加で、毎回楽しみにしていました。広島、スキー、鎌倉、奈良、イベントも盛りだくさんで、勉強以外の生活面や集団行動もご指導くださいました。有り難かったです。本当に楽しそうな日々でした。

【六年最終混迷期】
夏休みから、早く過去問を解きたいと言っていたものの、点数は合格最低点に遥か及ばず、このあたりは、楽天的な母でも、さすがに焦りました。アテナを紹介してくれたお母様が、これからの宮本先生の手綱さばきは見事なものよ、とおっしゃっていたので、見守ろうと、サポートに徹することにしました。先輩アテナ生の御子息方はラストスパートが凄かったので、息子も同じようなペースかと想像していましたが、全く違いました。夜は殆ど勉強しませんでした。
十二月後半は少し疲れが出ているようで、年末は朝の自宅学習をお休みするように、宮本先生から言われたようです。アテナのある日は十時就寝、翌日は六時起床のタイムテーブルでした。一月はほぼ学校はお休みしました。担任の先生が受験に理解があったこと、受験率が全体に高い学年だったことは、ありがたいことでした。朝九時にアテナに行き、過去問を解き、お弁当。解き直しをして夕方帰宅しました。アテナそばの大好きな吉祥寺図書館が改装中の為、九月から三月まで閉鎖ですので、寄り道出来なかったのは本人には不本意でも、アテナで集中して学習できて、結果的には良かったと思いました。
一月になり、志望校を決める段階になり、本人も親も迷いました。かなり迷いました。問題の傾向や、本人との相性など、宮本先生が細かく見てくださいました。本人のモチベーションの扱い、親の考えを汲んでのご指導は、まさしく、見事な手綱さばきであったと実感できました。先輩ママの言葉通りでした。最後の最後に第一志望を桐朋としました。宇宙や星に興味がある息子に良い環境でした。なかなか最終決断出来なかった私たちですが、宮本先生は忍耐強く待って下さったのだと思います。桐朋はほぼ大丈夫でしょうと、心強い言葉をかけてくださいました。

【二月日】
あまり緊張しないと言っていた息子が、さすがに今日はちょっと緊張するなと言っておりました。国立駅からは真っ直ぐに延びる大学通りを進み、校門の手前にニコニコ笑顔の桐朋中学1年生のアテナの先輩とそのお兄様のお顔が見えました。先生は当日桐朋には行けないけれど、強力な助っ人を派遣するので、楽しみにしていてと、息子に話して下さっていたそうです。二人はアテナでやってきたことを落ち着いて発揮すれば、絶対大丈夫。努力は裏切らない。桐朋は楽しい良い学校だから、四月から学校で待っていると激励して、合格と書いたカイロを手渡してくれました。リラックスして試験に取り組めた様で、寒い中朝早くから待っていてくれたお二人に本当に感謝しました。午後は頭が働かないらしく、午後受験は考えませんでした。夜一〇時、合格を確認しましたが、本人は既に就寝しており、翌朝伝えました。宮本先生にはメールでお知らせしました。とても喜んでくださいました。その後、算数の問題との相性が良くなかった暁星にも合格しました。

【終わってみて】
アテナに行く後ろ姿は、いつもウキウキと嬉しそうでした。宮本先生の知的好奇心を刺激してくれる授業や、話しが横道にそれた時の面白さは最高だったようです。楽しいメンバーにも恵まれたと思います。ラストは過去問の連続で、さすがに疲れてきたかなと思いました。本人の体験記を読むと『家族で激励会と称して焼き肉店に行った』『第1志望発表の翌朝、母の寝ぼけ気味の声が合格を知らせた』等の記述があり、学習は宮本先生に安心してお任せしていて、親は息抜きやサポートに徹し、本人を追い詰めなかったのが、結果としては良かった様に思います。模試の会場に行く途中では、多くの塾の勧誘パンフが配られていました。息子と私は下を向き、アテナを愛しているから要りませんと、いつも大笑いしながら歩きました。甘酸っぱい、楽しい思い出です。宮本先生が子供たちひとりひとりに、愛情を持ってご指導くださり、子供たちも先生が大好きです。中学受験の先の子供の成長まで考えてくださるアテナにお世話になれたことを、心より感謝いたします。


Y・Sさんのお母様の中学受験体験記

2018年度 恵泉女学園中・国府台女子中・西武文理中特待 他合格

親子ともに全力で駆け抜けた中学受験が終わり、二週間が経とうとしています。
娘はすっかり受験勉強から解放され、学校のお友達と思いきり外で遊んだり、自由に好きな本を読んだり、休日に家族揃って出かけたりと大満喫しています。つい二週間前まであの渦中にいたことが、今は信じられないような思いです。

【入塾のきっかけ】
我が家はもともと私も夫も公立中学出身ですので、娘に中学受験をさせようなどとは全く思っておりませんでした。三年生の時に友人に誘われて、なんとなく受けた新聞社主催のテストで、とある大手塾のモニターのような権利を得たので、それならとりあえず試してみる?くらいの気持ちでした。その後一年間大手塾に通いましたが、毎回の授業で理解が出来ず、親がつきっきりでないと宿題が出来ない。授業でテキストの半分くらいまでしか辿り着いていないのにテストには出題されるなど、親子ともにストレスも溜まり先行きに不安を感じるようになりました。そして知人の紹介でアテナ進学ゼミを知り(ご子息が通われていた)宮本先生の著書を読み、その理念に感銘を受けて四年生の夏に転塾することに決めました。
一人っ子で親の私も中学受験に関しては何もかもが初めてのことだらけ。今思えば小さなことで不安になったり気負ったりしていました。そんな時、宮本先生に「朝でも夜でも、不安なことがあればいつでもご連絡くださいね!」と仰っていただきとても心強く、安心したことを思い出します。その後も学習の進捗状況、親が気付かないような娘の変化、メンタルの部分まで細やかに目を配ってくださり、本当に我が家は宮本先生なしでは語れない! というほどに信頼を寄せていくこととなりました。

【五年生】
学習面で一番大変だなと思った時期は五年生の中頃です。今までなかった理科と社会が加わり、算数も重要単元目白押し! 元々の性格もゆっくりのんびりな娘ですので、周りのペースに追いつかずに未消化のまま次から次へと降りかかります。この時期、毎回のように来る「再テストメール」に親としては大丈夫かしらと不安になりますが、宮本先生は「理解不足な子は居残りさせて何度でもわかるまで解説します。今日は遅くなります!」と本当に熱心にご指導していただきました。

【他の塾にはないアテナの良さ】
アテナ進学ゼミは勉強漬けではありません。広島合宿、京都奈良合宿、スキーツアー、鎌倉探訪、長瀞地層ツアー、富岡製糸場見学、陣場山星空観察など、本当に沢山の場所へ連れ出していただき、何よりの貴重な経験をさせていただきました。アテナ進学ゼミの一番の良さはここにあるのではないかなと思います。中学受験は、まだ十歳~十二歳の子どもが、色々な自然体験を元に身体と精神の成長を遂げる時期だと思っており、その期間を勉強だけに費やすということに、マイナスのイメージを持っていました。しかしアテナ進学ゼミではそんなことはなく、まず宮本先生が先頭に立ち誰よりも張り切って子ども達を遊びに連れ出してくれる。その姿に子ども達は「一緒に本気で遊んでくれる、向き合ってくれる、叱ってくれる、信頼できる」と感じる、その結果、最終的にしっかり宮本先生と共に、この過酷な受験を乗り越えて行こうと思えるのだろうと感じました。

【六年生】
六年生の夏にもなると、ハードスケジュールです。夏休みは朝から晩まで、アテナで猛勉強。ですが驚くことに帰宅する娘はなぜか晴れやかな表情です。きっとアテナにいる時間も仲間と一緒に充実した時間を過ごしているのだろうなと感じました。夏の京都奈良合宿もしっかり参加して、後半はいよいよ過去問にチャレンジです。五~六校の学校を選び、その傾向が本人とあっているかどうかをチェックしていただきます。その結果を見ると偏差値はあくまで目安であり、学校の向き不向きがあるのだということが分かりました。それはつまり、その学校が求めている生徒像を映し出しているのだと思います。この「相性」も学校選びの重要なポイントだと思います。娘はその中から、特に以前からお気に入りの学校を二つに絞って進めていくことになりました。

【学校選び】
学校選びについては、親が子どもに協力できる一番大切なポイントではないかと思います。
学校に入れば六年間をその学校で過ごすことになります。人間形成に一番重要な思春期を過ごす場所です。そのような場所をただの数字だけで判断するのはとても危険です。我が家は四年生の秋頃から学校見学を始めましたが、本当に学校の特色、理念、そして先生方の様子、生徒さんの雰囲気は様々です。そのご家庭の方針と学校の理念が大きく違うとどんなに高偏差値であっても、通い始めれば大きな違和感や負担に変わっていくのだと感じました。我が家は偏差値幅二十くらいの中で十校以上見たと思いますが、娘が「ここが好きだな」と思える学校は意外と少なかったです。最初は良いと思ったけれど、何度か行くうちに「あれ?」と思うようになった学校もあり、気になった学校は数回訪れるようにしました。その中で、吉祥女子中学校と恵泉女学園が娘にとっても、親にとっても、お気に入りの学校となっていきました。
とにかく通える範囲で受験する可能性がありそうだと思う学校は、四年生~五年生のうちに必ずお子さんと一緒に見ておくことが大切だと思います。(六年生になると模試と重なってしまい、ほとんど週末は行くことが出来ませんでした)

【直前期~入試本番】
親のカウントダウンとは裏腹に娘は至ってマイペース。グーーーン! とスイッチが入るわけでもなく、淡々とやるべきことを進めていました。最初はこれ受かるの? と思うような過去問の点数も、宮本先生に苦手な教科や単元を洗い出していただき、過去問対策ノートを作ってやりこむことで、少しずつ取れるようになっていきました。最終的には15年分近くの過去問に取り組みました。
一月に受けた二校は無事に合格をいただき、やはり「合格」というのは嬉しいものなのだ、努力に対してのご褒美なのだと感じました。娘にとっても自信になったと思います。二月入試に向けて、荷物のチェックや、前日、当日の朝の過ごし方などが経験できたことはとても良かったと思います。

【余談】
十二月あたりから、いつ入るのかな~??? と期待していたスイッチは、結局のところ一月になっても見当たらず、私はその時にようやく分かったのです。娘はジェットエンジンもターボエンジンも備えてはおらず、しかし淡々とコツコツ、マイペースにやり続けることの出来る「ソーラーエコエコ女子」だということを…!
そうか、思えばずっとこの子はそうだったな。今まで急かしてきたことはあまり意味がなく、この浮き沈みの少ない持続力がこの子の持ち味なのだと納得したのです。もっと早く気づいていれば、お互いにもう少し上手く歯車を合わせて走ることが出来たかもしれないとは思いましたが……。もしかしたら女の子に多いタイプなのかもしれません。

【二月本番】
いよいよ二月一日です。娘は特に緊張する様子もなく、いつも通りにぐっすり眠って、朝もギリギリまで寝て、しっかり朝食を食べて出発。吉祥女子中の校門前は塾関係の先生の熱気溢れる応援と受験生のピリリとしたムードが印象的でした。宮本先生が応援に駆けつけてくださり、しっかりと握手を交わして振り返ることもなく入って行きました。この時点で合否よりも、ここまでしっかり成長した姿を見せてくれた、それだけで胸がいっぱいになりました。
試験会場から出てきた娘の足取りは重い。とにかく今は午後の恵泉女学園に向けて気持ちを切り替えようと、努めて明るく昼食を食べて向かいました。恵泉女学園に着くと、在校生の皆さんが笑顔で迎えてくれました。入試の前に校長先生から受験生へ向けて「今まで苦しい冬を乗り越えて頑張ってきた皆さんが、この学校を選んで、今日元気に来校してくれたことがとても嬉しいです。どうか力を出し切れますように」との温かなお話があり(各教室に中継されていました)緊張していた私の心もじんわりとほぐれていくような気持ちでした。温かいホールで待たせていただき、試験が終わった娘が戻って来て一言「なんだか光に包まれているような感覚だった。この学校やっぱりいいよね。通いたいな」と言いました。
その夜の結果発表は吉祥女子が不合格。娘はやっぱりなという感じで落ち込んではいましたが、納得しているようでした。少し後に恵泉女学園の発表。こちらは合格!「あった!」と嬉しそうな姿に親として心底ホッとしたのでした。そしてその後、娘は宮本先生の熱いサポートのもと、最後まで諦めずに吉祥女子へのチャレンジを続けました。その姿はエコエコ女子なりに積み上げて来た「凛とした逞しさ」を感じ、最終日、十倍の倍率にも怯まず挑み「今までで一番手応えがあった。やれることはやれた」と晴れやかな表情でした。最後まで闘えたことで得られた達成感は家族を一つにしてくれたと思います。最終的にご縁の繋がった恵泉女学園に進学することに決まり、娘の性格を思うとこれで良かったのだろう、両手を広げて迎えてくれた学校なのだと思えました。娘の祖母や大叔母達も恵泉卒なので、家族も皆とても喜んでくれて、本当に良かったと思っています。春からの娘の初々しい姿が今から楽しみです。
ここまで導いてくださった宮本先生、本当にありがとうございました。アテナを卒業したら、我が家の柱が一本無くなってしまうようで不安で寂しいですが、娘がアテナで身につけた学習姿勢をしっかり守ってくれると思っています。

【これから受験する皆様に我が家がお伝え出来ることは】
・どこに決まっても嬉しいと思える学校選びをすることが、親子ともに直前期の心の安定につながる
・スイッチはあるかもしれないが、ないかもしれない。エコエコ女子は五年生からしっかり土台作り(基礎や作図など)をする
・宮本先生を信じてついていく
この三つです。

ついつい長くなってしまいましたが、本当にアテナ進学ゼミで学べたことが、娘にとって財産になりました。これからの益々のご繁栄を、そして沢山の子どもたちがアテナから羽ばたいていきますようお祈りいたしております。ありがとうございました。 


2017年度

K・Kくん、T・Kくんのお母様の中学受験体験記

2017年度 桐朋中・暁星中・西武文理中特選 他合格

「合格体験記」ではなく「中学受験体験記」
この欄は「合格体験記」ではなく、「中学受験体験記」だ。宮本先生は常日頃から、「『希望中学の合格』を目指すだけでなく、中学受験という体験そのものを人生の糧にして欲しい」とおっしゃっている。そんな、宮本先生らしいタイトルだと思う。そこで「中学受験体験記」を書くにあたり、第一希望校であった武蔵不合格のところから話を初めてみる。

2月2日 第一希望校、武蔵不合格
我が家には、今年度の受験生だった双子の他に、4歳年上の長男がいる。宮本先生のご指導のもと、兄は、第一希望校の武蔵に合格。兄の武蔵生活は、実に楽しそうだ。弟たちは武蔵に足を運ぶ機会も多く、兄の友人である武蔵生が自宅に来ることもある。そんな家庭環境だったので、次男はアテナに入った当初から「武蔵に行く!」と言っていた。慎重派の三男は、当初こそ武蔵を第一希望校に掲げることに躊躇していたが、勉強に意欲と自信が出てきた5年生頃から武蔵受験を意識し始めたようだ。そんな我が家の中学受験は、「武蔵ありき」だった。それなのに・・。
2月2日、午後5時。双子と合格発表を見に行った夫から、電話が入った。「二人とも、ダメだったよ」。「わかりました。双子は、どうしている?」「泣いているよ、ずっと」「そう。気をつけて帰ってきてね。夜ご飯は、お鍋。みんなでゆっくり食べよう」。帰宅した時には、双子は泣き止んでいた。夕食後、自分達から「よし! 明日の、受験票のセット始めるね」と、食卓から立ち上がった。

2月3日 暁星受験、桐朋発表
2月3日は、暁星受験の日だった。第一希望校不合格の翌日、しかも2月校の合格がひとつもない中での最終受験日だ。「息子達に、何と声を掛けようか?」と思いながら朝食の用意をしていると、二人は自然に起きてきた。いつも通りの朝。敢えて、淡々と試験会場に送りだした。
、桐朋もダメだった」と心細そうな声。私は「大丈夫! あなたの第二希望の暁星が残っているからね!」と、無我夢中で声を掛けた。次に電話口に出た三男は、「僕は大丈夫だったんだけど、受験票を家に忘れてきちゃったの」と言う。
桐朋は、午後2時~4時の間に受験票と入学手続き書類を交換しなければならない。時計を見ると午後2時半。桐朋までは1時間かかるので慌てて受験票を探し出し、普段着のまま家を飛び出した。国立の駅からは、タクシーに乗ることにした。タクシーが走り出すと、国立大学通りの景色が目に入ってきた。真っすぐの広い道の両脇には、桜の木。「これからは、桐朋の保護者としてこの景色を眺めることになるんだ」と思ったら、やっと嬉しさがこみ上げてきた。この日のことで特筆したいのは、桐朋が不合格だった次男が、合格した三男に対して、「第二希望合格、おめでとう!」と拍手をして言えたことだ。

2月4日暁星発表
2月4日、暁星の発表日。九段下の駅を降りて暁星までの道は、少し坂道になっている。坂道のためなのか、足がなかなか前に進まず、もどかしい。 暁星の門を入ると、一足先に、夫と合格発表を見に行っていた次男のニコニコした顔が目に入った。「どうだった?」「合格したよ」。「本当? 本当なの???」涙が溢れてきた。宮本先生にすぐさま電話した。「先生、ありました、受験番号。合格しましたっ!」。今までの緊張が安堵に変わり、目の前の地面が歪んでみえるほど、私は泣き崩れてしまった。

三人三様の学校に通うということ
ドラマチックな合格発表から、はや2週間。入学者説明会も終わった今、あらためて思うのは、「我が家的には、これがベストの受験結果だったんだ」ということだ。
双子は「武蔵不合格」という体験を得て、武蔵生である「兄ちゃん」に対しての尊敬が深まったようだ。この体験は、今後の兄弟関係に良い作用がある気がしている。自由人の次男は家庭的なミッション・スクールの暁星で丁寧に。慎重な三男は、自由闊達な桐朋でのびのびと。それぞれの個性を補完して頂けそうな学校にご縁ができたことを、嬉しく思う。


さて。ここで双子が「中学受験体験記」を書き終えたようなので、目を通して思ったことを書く。

中学受験で培ったのは、レジリエンス
レジリエンスとは、心の回復力、しなやかさのことをいう。人生には、思うようにいかないことが山ほどある。そんな時、現実に向き合い、「この失敗から学べることは何だろう?」と前向きに善後策を考えられる心のありようのことをレジリエンスという。私が息子達に、最もつけて欲しい力のひとつである。
彼らの中学体験記を読むと、武蔵不合格という体験から立ち直っている姿が、それぞれの言葉で綴られている。「僕は、この受験で努力は裏切らないということを学びました」(次男)、「先生の、『果敢に立ち向かっていった二人を私は誇りに思います』という言葉で明日がんばろうと気持ちを切り替えることができました」(三男)。

なぜ、アテナでレジリエンスが育つのか?
では、なぜアテナでレジリエンスが育ったのだろうか? 三男は、こんなふうにも書いている。「外部模試の結果が悪いたびに先生は、『次がんばろう』と声を掛けてくれ、その言葉が僕にとっての唯一の励ましとなった」。
唯一の励まし! よほど先生の言葉が、息子の心に響いていたのだろう。ある時、宮本先生は、「教えるということは、根気です」とおっしゃっていた。息子たちがテストで思うような結果が出せなかった時、先生は具体的で的確な励ましを、都度、都度、根気強くして下さったのだと思う。先生の励ましで気持ちを立て直し、アドバイスに従って勉強して「成績が上がるという結果」を出せた。その成功体験の繰り返しが、彼らのレジリエンスを育ててくれたのだと感じている。

好奇心を刺激する授業
宮本先生は、よく保護者宛にメールを下さる。「今日、先生からメールあった?」。毎日、学校から帰ってくると、開口一番、必ず彼らが言っていたセリフだ。「宮本先生の言葉は、一言も聞き漏らしたくない」という気迫すら感じた。保護者として宮本先生の授業を受けさせて頂くと、好奇心を刺激しながら、息つく暇もないほどの授業展開に、「これは、子どもが夢中になるはずだわ」と、納得した。
アテナでは、しゃかりかクラブのように実体験から学ぶ機会も多く設けられている。座学に留まることなく、「学びたい!」と思う根っ子になる心(好奇心)を、実体験を交えながら手間ひまかけて丁寧に育てて頂いたと感じている。子どもは、正直だ。魅力的な授業をしつつ、全身全霊で自分に向き合ってくれる先生のことが大好きだった。「学びの手ほどき」を、そんな宮本先生にして頂けたことは、とてもラッキーだったと思う。

個人塾なので、相性の見極めは冷静に!
宮本先生を褒めまくってしまったので、最後に少し言葉を足しておきたい。宮本先生は、個性的な方なので、相性の良し悪しはあると思う。アテナは、宮本先生が個人で経営されている塾なので、この「相性」は冷静に見極めた方が良いのではないか? と感じる。
我が家は、相性が良かった。何より、宮本先生に教えて頂いて、子ども達が「あと伸び」した。長男は、武蔵に首の皮一枚という感じで突っ込んでもらったが、入学後にグンと伸びた。双子の最後1カ月のラストスパートも、壮観だった。「受験生」という車の運転席に座り、アクセルを踏み、前だけを見て駆け抜けた彼らの姿を見ることができて、私は「アテナでの中学受験体験」に、とても満足している。長男の受験の時から数えれば、足掛け5年、本当にお世話になりました!


R・Iくんのお母様の中学受験体験記

2017年度 城北中・東京農大第一中・西武文理中A特待 他合格

【アテナに入会したきっかけ】
中学受験するつもりで塾をどこにしよう?と考えたときに、これだけは押さえておきたいと思ったことは次の3点でした。
・睡眠時間を沢山とらないと活動できないタイプなので、睡眠時間は確保したい。(例えば大手塾だと、大量にだされる宿題をこなすだけで疲れ切ってしまうに違いない。)
・大量に出される宿題を、親がきっちり管理して子供にやらせないと進めていけないパターンの場合、親(=私)があれこれと言い過ぎてしまい、親子関係が悪化しそう!!家の中の雰囲気がとてつもなく悪くなるのでは??それは避けたい。
・大人に言われたことを、自分で考えずにこなすだけでは、大人になってから結局本人が困るし、自分の意思で頑張ることができるようになってほしい。
ということで、偶然先生の書かれた本に出会い、吉祥寺に教室があることを知って早速体験授業を申し込みました。それまで普段8時半に寝ていたので、5年生になっていきなり8:20までの授業はきついと思い、4年生の秋から入会しました。

【大変だったこと】
5年生のカリキュラムになって、社会が始まった時期が一番大変でした。社会で新しく、農業・水産業・工業等、知らないことが沢山でてきて宿題のプリントをやるだけで、精一杯。大変で大変で、泣いていました。一度、あまりにもつらくて塾に行くことができなくて、先生からお電話で活を入れてもらったことを今でもよく覚えています。(電話で泣いていました。)あれがあってから、本人もふっきれたように、なんとか頑張るようになり、塾に行くのが楽しいと言い始めました。
模試が始まったのも大きな変化でした。土曜日に塾があって、日曜日に模試(午前受けて午後は解き直し)があると、土日で疲れ切ってしまい、翌日学校にいけない(けれども夕方の塾には行く)ということが度々ありました。また、塾から帰ってきて学校の宿題をやる→寝るのが遅くなり→翌日起きれなくて学校を遅刻(もしくは休む)ということも、何回かあり、「こんな状態でいいのだろうか?」と思ったりもしました。

【計算日記バトル】
算数の授業で新しいことを習うのは楽しいけど、コツコツ努力することは大の苦手、な息子にとって計算日記は苦行でした。どれだけ口を酸っぱくして言っても、一週間毎日続けることはできませんでした。3日頑張っても、親がチェックし忘れると絶対やらない。答えが間違っているのに、(自分で丸付けをした際)全部大きく赤丸をつけている。答えはあっているのに何故か途中の式は間違っている。(答えだけ、解答みて直している?)いくら計算日記の重要性について説明して、本人もわかった、と言っているにも関わらず6年生の9月の時点でも全く改善しませんでした。ここまできたら、もうあきらめるしかない、という感じでした。(模試の結果をみても、最初の計算問題でポロポロ間違え、もったいない!と思ったこと数知れず・・・)ただし、6年2学期からは「計算チェックテスト」の直しだけはすぐ提出するよう本人が自分の意思で頑張っていました。

【習い事について】
小さいころからピアノを習っていて、6年生8月末の発表会まで続けました。ピアノの先生と相談して、曲数を減らしてもらったり、一週間ごとの宿題を少なくしてもらったりして、細々と続けることができました。好きな曲を練習しているときは楽しいみたいでした。2月の受験が終わってからピアノを復活してまたレッスンを始めました。

【家族の協力】
下にきょうだいがいるのですが、もともと、誰かが宿題をしている時にはテレビをつけない、ゲームをしない、というルールでした。が、6年生になって課題も増えてくると、本人が家にいる間はほとんどテレビ&ゲームができず、我慢させるのが大変でした。そこで、宮本先生と相談して、お兄ちゃんが塾のない日は無理だけど、塾に行っている日は、昨日の分も多めにテレビ&ゲームの時間を増やしてもいい、というルールにしました。これでなんとか乗り切りました。

【家族会議】
コツコツ「計算日記」「漢字日記」「短文作成」するのは大の苦手。夏休みにテキストとは別に配られる練習問題テキスト(6年の場合はコンプリ)も、全くといっていいほどやらない、という状況。「本当に志望校に合格したいという気持ちがあるのか?やる気はあるのか?」という根本的な問題に行きつきました。6年生の1学期に、成績もあまりふるわず、本人の頑張りもあまり感じられない中、親だけが中学校の説明会に通いあれこれ考えている、という状況にむなしさを感じていました。主人とその現状を相談し、日曜日の朝に家族会議を開きました。そこで、「宮本先生からやりなさいと言われていることは絶対やること」「自分で何をいつやるのか計画をたてること」「やったかどうかを、親がチェックする」というルールを決めました。家族会議を定期的に開いて、その結果をチェックしながら、計画に無理があるようなら見直し、改善していくことにしました。
9月になっても、本人の意識がそれほど改善せず、次回の模試であまりにも結果が悪かった場合は第1志望校を考え直そう、と話し合いました。「努力することができる」というのも才能の一つ。それができないようなら、本人そこまで。と自分に言い聞かせ、9月の時点では、いつ本人の「やる気」が出てくるのか全くわからない中、見守るしかない状況でした。

【6年10月から本番まで】
過去問を解くようになってから、本人の意識が変わってきたように思います。急にやる気がでてきて、模試の結果も急上昇。今までなかなか結果のでなかった算数も、急に伸び始めました。勉強の内容について親はノータッチ。やったことといえば、お弁当を作ることと、問題集や過去問のコピーを取ることくらいでした。学校の宿題が普通にたくさん出て、それをこなすのが大変そうでした。

【入試直前】
1月に入ってから、学校を休んで塾に通うことについて。はじめは、何日も学校を休むことに抵抗がありました。12月の段階では本人も学校に行きたいと言っていてそのつもりでした。ですが、1月に入って1週間くらいたったとき宮本先生から直接声をかけていただき、また本人も「塾で頑張りたい」という気持ちになり、最終的には本人が親を説得して学校を休んで塾で頑張ることにしました。
朝9時から夕食前まで、ひたすら過去問や問題集を解く毎日で、「頑張りすぎだから、休憩したら?」と親が何度も声をかけるほどでした。リラックスできるようにと、少しだけテレビをみたり、簡単に読める面白い本なども時間を区切って読んでいました。また、宮本先生からの「入試直前の親の心構え」も非常に参考になり、自分も普段通りの生活をこころがけ、趣味の習い事をしたり、好きな本を読んだりして過ごしました。

【入試を終えて】
第1志望の学校は残念ながら不合格でしたが、他はすべて合格することができました。1月に入ってから調子もよく、体調も問題なし、万全の状態で受験することができました。それで合格できなかったということは、もうこれはご縁がなかったとしか言いようがないのかな、と納得しています。(もちろん、不合格がわかったときはショックでしたが。)第2志望の学校も、説明会などでとても印象が良く気に入っていた学校だったので、4月から通うのを楽しみにしています。これだけ頑張った結果なので、悔いはなし!!という感じです。1月に学校を休むことについては悩みましたが、今思うと、あの時頑張っておいてよかったと思います。
「本人がやる気を出して、本気で頑張ることができる」ということが分かったのが一番うれしいことでした。今後も、何か本気でやりたいと思った時に、息子は自分で頑張ることができる、と確信することができました。
今まで熱い心で指導してくださった宮本先生に感謝いたします。本当にありがとうございました。


M・Yさんのお母様の中学受験体験記

2017年度 三輪田中・山脇学園中・女子聖学院中・長崎日大中 他合格

かなりの天然でマイペース、不器用だけど真面目に頑張るコツコツ型の我が娘。こんなタイプの子は、きっと中高一貫校で勉強や部活に六年かけてじっくり取り組み、友人関係を築いていける環境の方が合っているのではと思い始めた頃、偶然書店で宮本先生の著書を手に取ったことがアテナ入塾のきっかけでした。体験授業を受けた娘はアテナをとても気に入り、入塾後も楽しく通っておりました。が、小四時の成績は惨憺たるもので、こんな成績で授業についていけるのか?そもそも受験なんてできるのか?不安は募る一方でした。そんな不安から、娘に厳しく当たってしまうことも度々で、このままでは母娘関係が崩壊してしまうのではないか、一体何の為に中学受験をさせようとしているのだろうかと、自問滋養しては自己嫌悪に陥るという負のスパイラルに完全にはまってしまいました。そんな時、宮本先生は娘の様子から状況を察してくださり、お電話を下さいました。先生に「大丈夫です。私に任せて下さい。」と言っていただき、宮本先生を信じてついていこうと思えたことで、心が軽くなったことを今でも思い出します。
宮本先生が、娘の理解するペースを決して否定することなく、忍耐強く(親は感情的になってしまい、とても先生の真似はできません!)ご指導してくださったおかげで、あれほど苦手だった算数に少しずつ自信がもてるようになってからは、成績にも希望が見え始め、お気に入りの学校も見つかって、志望校合格を夢見て一直線。の、はずでしたが、相変わらずのんびり、受験生の自覚が見られない娘にまたもやイライラさせられる日々が続きました。
六年の秋に過去問演習が始まってもなかなか点数が伸びず、時直しも解答丸写しでおしまいにしてしまっている様子を見て、「もう受験なんてやめてしまいなさい!」と怒鳴ってしまったこともありましたが、娘は絶対に志望校に行くんだと言い張り、彼女なりにコツコツ努力を重ねていきました。ところが、努力に反比例するかのように、算数の点数はみるみる下がっていき、なんで?と本人も落ち込み、とうとう十二月半ばには体調を崩してしまいました。今思えば、心も体も頭もパンク寸前だったのだと思います。数日間はひたすら眠って、勉強から離れたことでリセットできたのか、冬期講習以降は徐々に調子を取り戻していきました。とはいえ、一月に入っても過去問の出来はパッとせず、ずっと不安を抱えていました。精神的な幼さ故、その時々の気分が試験結果に大きく影響していることが見て取れたので、本人には「大丈夫!」と声を掛け続け、「問題は目で読まないで手で読もう」、「わかる問題から落ち着いて解こう」など、気を付けるべきことを箇条書きにしたメモをを下敷きに貼り、試験前には必ずそれを見て心を落ち着けて試験に取り組む練習をしました。ようやく、過去問で合格最低点クリアを連発できるようになったのは、本番まであと二週間というときでした。
そしていよいよ本番の二月一日。行きの電車の中では不安と緊張でいっぱいの娘でしたが、「やり切ったよ。問題用紙をいっぱい汚してきたよ。」と言って試験会場から出て来た娘の顔はとても晴れやかで、「ああ、悔いのない受験ができて良かった。」と思いました。そして当日夜、合格発表。「やったー、合格!」娘は号泣しながら、宮本先生に報告の電話を入れました。二日は、力だめしのつもりでチャレンジ受験。こちらもまさかの合格。結果的には全戦全勝で中学受験を終えることができました。三年前には想像もしなかったことです。きっと、アテナでなければこの結果を手にすることはできなかったと思います。
宮本先生は、子どもの個性をつぶすことなく、あたたかく寄り添いながら的確にご指導くださいます。だからこそ、娘も宮本先生を全面的に信頼し、一度も「やめる」と言うことなく頑張れたのだと思います。私はと言えば先生の「否定的な言葉掛けは避けて」という言いつけも守れず、入試直前にもオタオタして、「午後受験の学校を探してください!」と先生に電話してしまうような受験生の娘としては及第点をもらえそうにない母でしたが、いつも冷静に、広い心で対応下さる宮本先生だったからこそ、この三年間を乗り切れたのだと思います。本当にありがとうございました。
今回の中学受験では、時に心折れそうになることもありましたが、ひと山乗り越えられたことで、私たち親子の関係も新たなステージに入ることができた気がします。これは、想定外の嬉しい収穫でした。
これから始まる中学生活、娘には、アテナで初めて気づいた「学ぶ楽しさ」「知る喜び」を忘れずに、大いにエンジョイし、大きく羽ばたいてほしいと願っています。
改めて、宮本先生、そして三年間一緒に頑張ったお友達みんな、本当にありがとうございました。


Y・Mくんのお父様の中学受験体験記

2017年度 桐朋中・成蹊中・東京農大第一中・学習院中 他合格

今年、長男は第一志望の学校に合格することができました。1月試験の学校に始まり、出願した6校のうち5校において合格を勝ち取ることができ、親子ともども理想的な結果で中学受験を終了することができました。
3年前にも長女がアテナにお世話になり、やはり第一志望の学校に合格することができました。長男が中学受験をしたいと言い出したのは、第一志望を目指して一生懸命頑張り最終的に目標を達成した姉の姿を間近に見ていたことが大きく影響したと思います。
そこで長男の塾をどうするかと考えた時には迷わずまた宮本先生にお願いしようと思いました。宮本先生の指導は生徒一人一人の個性と習熟度、志望校に向けての学習到達度を絶妙に図りながら進めていくという正にプロフェッショナルなものだと感じていましたので、長女とは個性の異なる長男も安心してお願いできると確信していたためです。
6年生になりいよいよ受験勉強も本格化してきたころのことです。家で長男が「先生が。。」と話しだすとそれは宮本先生のことを指すようになっていることに気が付きました。5年生の頃までは親が勉強を教える機会が多かったのですが、この頃になると自力で問題を解こうと必死で試行錯誤するようになり、先生との信頼関係の深まりとともに子供が一段階成長したことを感じました。長女の時には最後の最後まで勉強を見ていたのですが、長男にはこの時点で自立心が芽生えたことにある種の喪失感を覚えつつも頼もしさを感じました。
夏期講習と広島合宿という夏のビッグイベントが終わり、いよいよ志望校に的を絞った過去問演習や模試が始まるとどうしても毎回の結果に一喜一憂してしまいます。親としては結果がどうであれ努めてポジティブな言葉をかけるように心がけましたが、如何せんこの頃になると子供も経験を積んできて客観的に自分がどのあたりにいるのかを把握しており、親の不安も見透かして少し冷めたような反応が見受けられることもありました。そこで、妻と宮本先生に面談に伺いこれからのラストスパートの戦略や日頃の不安を率直に相談すると、「なんの心配もないですよ。このまま地道に学習を進めていけば第一志望には絶対合格できます。」とキッパリ。お陰様で気分的に楽になり、勉強の心配はあまりしないでとにかく健康を保つことと精神的に落ち着いていられるように配慮することに努めることにしました。
9月から開始した過去問演習では初めのころは合格最低点マイナス数十点があたりまえでしたが、毎回解きなおしノートに不正解だった問題を解きなおして理解の足りなかった部分をきちんと理解するということを繰り返し行いました。回を追うごとに志望校の出題傾向や自分の得意不得意問題が細かく理解できるようになり、効率よく問題を解いていくこともできるようになったためか日を追うごとに学力が伸びていくことを実感できるようになりました。今だから言えますが、冬期講習が始まるころにはこの成長曲線に沿って行けばまず間違いなく第一志望校に合格できるだろうなと思い始めました。
1月の前哨戦の学校。試験終了後に手ごたえ十分と言う顔で会場から出てきた長男を見た時にはまた一段成長したような印象を受け、継続的に努力していると子供はこういう風に成長するものなのかと驚きを新たにしました。
いよいよ本番の2月1日、午前と午後の受験を終え、くたくたになって帰宅。夜10時過ぎWeb発表で合格を確認し、既に就寝していた長男に合格を伝えると心底ほっとした顔で「よかったー」と。妻と娘と受験番号をかわるがわる確認し、初日で第一志望に合格できた喜びを家族全員でかみ締めました 。
二人の子供の中学受験でお世話になり、二回とも第一志望に導いていただいた宮本先生には感謝してもしきれません。概ね4年間のお付き合いをさせていただいた経験から、大手塾は言うに及ばず一般的な塾ではアテナほど子供が成長する機会を与えてくるところは無いと思いました。普段の教室の授業では、科目ごとの授業を淡々と進めるというよりは理科と社会が融合的に教えられたり、教室の授業だけでなく鎌倉や秩父、陣馬山に足を運んだり、カレーを実際に作ってみたりして実体験を通しての授業は、五感を使って学ぶというアクティブラーニングの実践でした。
普段の生活態度や社会性、身の回りの出来事に対する考え方や幅広い世の中の成り立ちなどについても考えさせてくれる機会を与えていただきました。改めて感謝申し上げます。


A・Kさんのお父様の中学受験体験記

2017年度 東京学芸大竹早中・専修大松戸中 他合格

「長女の受験から得た経験」

この度は長女の受験に関してお世話になった宮本先生に厚く御礼申し上げます。長女だけでなく、私たち親もこの受験を通して多くのことを学びましたし、その経験を次の兄弟に実践して行きたいと思っております。
アテナのHPに掲載されている受験体験記や親御さんの体験記を読ませて頂くと、受験生が心の中から湧き出てくるヤル気によって、受験が支えられていることがよくわかります。しかし、我が家では状況が全く異なっていたため、希少ケースとして私が文章を書かなければいけないという使命感が、私の心の中からフツフツと湧いてきました。
長女の成績は飛び抜けて出来る科目もなく、全教科横並びで推移しておりました。宮本先生との面接でも、「ノートをしっかりと取っているので大丈夫です!そのうちヤル気スイッチが入りますよ。」との事でした。妻も「小学生らしく勉強して、自分でヤル気が出るようになったら成績も上がるわよ。」というスタンスを取っておりました。しかし、成績は上がらず、でも、下がらず。メスを入れようにも悪い場所が分からず、親の不安が募るばかりでした。宮本先生からは少し子供から距離を置いて結果を見てくださいと何度も言われましたが、目を離すと長編小説を山のように読み、全く勉強する気配はありません。月例テストの前だけチョコチョコッとやっているだけなのです。夏に志望校を決定する家族会議をしたところ、昨年から学校見学や説明会に行っている渋谷幕張にどうしても行きたい!ということで、長女自ら第一志望を決定しました。私ども夫婦は少し不安に感じることがありましたが、私の職場で渋谷幕張卒業の大学生から学風を聞くと、そのすばらしさに親が完全に飲み込まれてしまいました。この段階で私どもの夫婦のヤル気スイッチが長女より先に「オン」の状態になったのです。
夏休み明けから渋幕の過去問を解き始めますが、最初の算数の過去問がなんと9点!宮本先生も心の中では何回かは志望校の変更を考えているだろうな?と私どもは感じておりました。9月、10月共にスイッチ入らず。入試100日を切っても、まだスイッチ入らず。私が仕事から帰って「スイッチはどう?」と妻に聞くと「入ってないよーー。」との返答が繰り返されるばかりです。長女にしてみれば過去問の点数が延びてこないため困惑していたのでしょう。苦手な範囲を聞いても、宮本先生に教わっているから分かるとの主張は変わらずです。

11月23日早稲アカの渋幕対策テストの帰りの車の中で、長女から忘れもしない発言が飛び出したのです。
 長女:パパ、あのさー、渋幕の過去問休んでいい?
 私 :なんで?
 長女:私さー、社会は選挙と憲法。理科は生物全般。算数は速さが、実は全く分かんないんだよー。だから、暗記した方がいいと思うんだけど。
 私 :宮本先生に言った?
 長女:言ってないよ。折角教えてもらったのに分からないって言えないじゃん。だからさー、弱い所だけ丸暗記しようと思うんだけど、どう思う?
(今まで自分で勉強に対しての主張をまったく言ってこなかった長女が自分の弱点を初めて語ったのでした。)
 私 :スイッチ入った感じがしない?
 長女:するかも、、、
渋幕の受験日までちょうど2ヶ月前のことでした。

早速家に帰り、参考書の苦手な箇所を夫婦でハイライトをつけ、長女の暗記モードがスタートしたのです。毎日午前0時まで、アテナがある日は帰宅が午後10時30分なので、午前1時まで続けました。妻は遅くまで勉強することに反対をしていましたが、長女のスイッチが入った途端、家族が一丸となり応援したのです。[注意!長女は「馬鹿がつくほどのポジティブな性格」だから出来たことで、絶対にマネをしないでください]

12月の月例テストは全ての教科で自己最高点を出し、宮本先生との面談でも長女をうまくのせて頂きました。その後の渋幕の過去問では、合格最低点を超え始め、家族で暗記の成果を実感したのです。我が家では予想合格最低点を4教科で170点と設定しました。長女は渋幕の国語はいつも70-80点を取っておりましので、残りの3教科で100点を取ればよいのです。私たちは突拍子もない問題が出ないことを祈るばかりでした。
そして試験日を迎え、宮本先生の正門での激励を貰い、長女は誇らしげな後ろ姿を私に見せながら階段を登って行きました。四谷大塚から国語以外の3教科の模範解答が即日アップロードされたのを見て自己採点をしました。3教科で108点。国語がいつも通りなら、合格最低点が通年通りなら、など家族で神頼みをしていたのでした。合格発表は多くの学校でインターネットを利用しています。渋幕も同様ですが、妻は「今後のためになる!」と、合格発表を見に行くことになりました。不合格でも、どのような子達が合格しているのかを感じ取るためで、将来に必ず役に立つと考えたのです。
結果は不合格でした。インターネットで発表された合格最低点は165点。国語であまり点数が良くなかったようです。自分の一番自信のあった国語でしたので、長女は非常に悔しがっていました。縁あって第二志望に合格したので、渋幕の合格発表の際に心に刻まれた映像が、長女の今後の爆発的進歩に繋がることを願うこととしました。
アテナへの通塾には片道1時間15分、車中では寝ていたり、本を読んだりしていたそうです。多い週は4回通い、帰りは体力的に限界になっていたのでしょう。スイッチが入らないときには「電車の中で何をやっているんだ?」と叱ったこともありました。今考えると、親として少しキツかったかな?と反省してしまいます。しかし、受験が終わった今は、長女の顔が幼少期アメリカで生活していたときのように自信に満ちあふれ、笑いながら毎日を過ごしていることをみると、長女の受験から得たものの大きさを我が家で感じている毎日です。

[余談]
中学受験に親がどれだけ介入するのかと不思議に思ったことがあります。親同士の会話では「あまり介入しておらず、塾に任せっきりです。」という回答が多いのです。私の職場で大学生教育の際に「小学校の時に勉強を自主的にしてた?」と聞くようにしています。男女御三家を出身としている生徒が多いですが、その回答は「相当な親の介入があった。でも、親に感謝している」というのが10人中7-8人にみられます。このことを聞いて、私は長女にも将来そう言ってもらえるのかを楽しみに次女の中学受験の作戦を練っているのです。

[宮本先生への感想]
アテナは吉祥寺の駅前に塾を構え、大手塾と比較すると低価格で、さらに入塾試験を行わず少人数制ということを考えると経営面でとてもご苦労があったのではないかと予想いたします。宮本先生は武蔵中学・高校から、国家が次世代の日本経済を担う人材を育成する目的を持っている名門・一橋大学をご卒業されています。長女が入塾した2年前、どのように採算性のある塾経営のビジョンをお持ちなのか疑問に思ったことがあります。しかし、長女が卒業を迎えた今、アテナから送り出した生徒の輝かしい合格実績が支えとなり、また、教育したことへの達成感が宮本先生の明日へのモチベーションになっていると実感いたしました。中学受験が現在話題になっており、塾同士の競争も激化しております。そのなかで、アテナ進学ゼミは本年度、目出度く10周年を迎えております。すなわち、このことは宮本先生のビジョンが現代社会に適合してる裏付けと考えられるのではないでしょうか。この先、アテナ進学ゼミのさらなる進化を応援しております。


2016年度

M・Sさんのお母様の中学受験体験記

2016年度 吉祥女子中・浦和明の星女子中・東京農大第一中 他合格

「私が自分で見るから、ぜっったいにのぞきこまないでね!」
娘はそういいながらパソコンに向かい第一志望の合格発表を確認しました。口では私も主人も、「ダメだったら二日目受ければいいよ~」と余裕の口ぶりで話していたのですが、内心はとてもビクビクしていました。「!!!あ、あった!あった!」と娘が文字通り飛び跳ねながら叫ぶのを聞いて、本当にホッとして座り込みました。我が家にとっては初めての中学受験でしたが、宮本先生のご指導を受けて、本当に良かったと思いました。
元々、娘を塾に通わせようと思ったきっかけが、3年生の終わりごろに娘が発した「勉強なんて全然面白くないんだけど」という一言でした。私も主人も中学受験は全く考えていなかったのですが、娘の勉強に対するこの印象は本当にまずいと思い、4年生になったタイミングで大手の個人指導塾の門を叩きました。その塾は教師と生徒が1対1で教えるスタイルで、勉強に全く自信が持てなかった娘が初めに経験する勉強方法としては良かったのですが、「まずは勉強を好きになってもらいたいために塾に通わせている」とお伝えしても、とにかく難易度の高い学校を受験させようとする姿勢や、オプションオプションで結果として最初のご説明の倍近くになる学費など運営姿勢に疑問を持つことが増え、5年生になるタイミングで転塾を考えていた時に知人からアテナ進学ゼミを紹介してもらいました。
アテナに通い始めてから娘の勉強に対する意識は変わりました。算数がパズルを解くように面白くなり、社会で先生がお話してくださる小話を家で披露してくれるようになりました。「勉強って面白いんだね」その言葉を言うのを聞いて、塾に通わせようと思った一番の目的が達成されたと思いました。
5年生の夏頃に受験をすることを決めました。志望校選びでも宮本先生はとても親身になってくださり色々な学校を紹介してくださいました。娘の事、そして「自立した人間になって欲しい」という我が家の子育ての方針を良く理解してくださっていたのだと思います。先生が進めてくださった学校はすべて説明会や学園祭などで見学に行きましたが、どの学校も魅力的でなるほどと思わせるビジョンを持っていました。その中から吉祥女子を第一志望に決めました。
志望校を決めた後、親としてやらなくてはいけないことは、お弁当を作ること、過去問を入手すること、願書を提出するなどの事務手続きをすること、以上でした。3人の子育てと仕事でいっぱいいっぱいだった我が家にとって、勉強をすべて宮本先生にお任せできた点は本当に助かりました。時には妹たちとテレビを見ている姿に「宿題やったの?」と口を出したくなることもありましたが、宮本先生と娘を信頼してお任せしようと思いました。
アテナ進学ゼミで、娘は勉強の面白さ、継続して努力することの大切さ、そして努力は自分自身でするしかないということ、この3つを学んでくれたのではと思います。この3つは娘がこれからの人生で困難にぶつかったときにきっと助けになることでしょう。志望校合格だけでなく、人生において大切なことを教えてくださった宮本先生には本当に感謝しております。
さて我が家にはもう2人、妹が控えております。長女とは全く違ったキャラクターの二人ですが、「受験したい」と言い出した時には、またアテナ進学ゼミにお世話になりたいと思っております。自由人の妹たちを宮本先生がどのように御するのか、想像するだけで楽しみです。
宮本先生、本当にありがとうございました。そして今後ともよろしくお願いいたします。


K・Kさんのお母様の中学受験体験記

2016年度 成蹊中・恵泉女学園中・西武文理中特選 他合格

娘は小4、5と大手進学塾Sに通っておりました。そこでの成績はいまひとつといった状態。娘は努力家ですが努力が実を結ばない状態だったので、親としてはせっかく時間をかけて勉強するならちゃんと実になるような指導をしてくれる塾がいいと思い、転塾を決め宮本先生にお願いいたしました。
アテナに通い始めると勉強が解るようになったらしく苦手な算数も嫌がらないようになってきました。しかしながら大嫌いな社会はいつまでも手がつけられず、結局取り組み始めたのが11月でした。これで受験に間に合うのか、と心配でした。
12月最後の月例テストで、どうにか志望校のチャレンジにエントリー出来るくらいに仕上がってきました。苦手教科克服のため、何度娘の尻を叩いたことか!反抗期と重なり家の中の空気の悪さに私自身家出したいと何度思ったことか!顔に怒りジワができ毎晩呪文のように美容クリームを塗りこみ、何度ため息をついたことか!
しかし、辛く苦しいのは娘自身。なかなか伸びない成績に本人自身イラ立っていることも多かったように思います。気分転換に友達と遊んでも家に帰れば受験勉強という現実に11歳の娘はストレスを爆発させることもしばしばありました。母親の私は娘のストレスと上手く付き合えず喧嘩もたびたび。これは子育てをしていく上での私の課題のような気がしています。
6年生の一年間はこんな調子でジタバタあがいていたような気がします。
しかし、ジタバタしながらも娘は着実に力をつけていたんです!宮本先生の指導の下、大好きな理科はさらに得意教科になり、算数も解けることが楽しくなってきて嬉しそうに解けた問題の話をしてくれました。これは着実に学力が付いてきたあらわれだったように思います。
一月に入りいよいよです。このころは体調管理となるべくリラックスムードを作るよう心掛けました。一言言いたいときもガマンです。プレッシャーにつぶされないように注意をはらいました。
第一志望の過去問はしましたが、第二志望の学校については実はまだ迷いがありました。なんとなく娘と合わないような気がしていたからです。先生には「どうしますか?」と直前にも聞かれ「二月一日の試験結果によって決めます」と保留状態に。
迷いがあるため一応全く志望校に入れてはいなかった夫希望のS校の過去問を一月下旬に購入しておきました。
今思えばこの準備がよかった!
二月一日の受験の結果、第一志望の学校には縁がなかったものの午後受験の学校は合格をいただきました。先生に報告。娘に二月二日の学校をどうするか聞くと、あんまり受けたくないと言いました。そこで全く別の夫押しのS校の話をしてみました。宮本先生は午後受験の学校で娘がいいなら終わらせてもいいと思います、と言ってくださいました。でも正直のところまだ二月一日。受験期間はまだ4日間も残っている。三年間の勉強の結果を一日で終わらせるのはなんだかもったいない、まだチャレンジできる!と思っていました。そこで準備していた夫希望のS校の過去問を娘に渡すと、パラっと開き算数の問題を見て「こういう問題、私好きだな」と言いました。この言葉を聞いて「もしかして!」と思いました。娘には「明日過去問を解いてマイナス10点なら受験してみる?」と話して、翌日の二月二日、初のS校過去問トライ。合格最低点よりプラス20点。まぐれかも?と思うも先生に報告して受験を決めました。さらに翌日の三日、プラス14点.。娘に笑顔が戻りました。私は急いで受験の手続きに自転車を走らせました。自転車をこぎながら友人からの励ましの言葉が頭にこだましていました。それは第一志望は叶わなかったけど、まだ諦めてない旨を伝えた時に返ってきた言葉です。
 「諦めないで
 後ろを振り返らないで
 前へ
 前へ
 とにかく進んで」
この言葉に勇気をもらい胸を熱くしながら自転車をこいだ思い出は私の一生の宝物だと思っています。宮本先生からは「悔いのないようにがんばってください!」と。

二月四日S校受験。受験会場は当たり前ですが人が多く呑み込まれそうになりました。娘は落ち着いた様子で会場へ。私は後ろ姿を見送るだけ。泣いても笑ってもこれが最後です。
試験終了後、娘は「理科と社会は上手くいったよ。算数は出来ないところもあったけど大丈夫、六割は取れてる。国語はわからない。」と報告をしてくれました。この報告の意味は、つまり結構自信ある、ってことなのです。不合格だった第一志望のときは「国語ができなかった」の一言だけでした。
今回は手応えがあった様子でしたがS校の二回目女子の定員数はわずか20人。そこに160人くらいの女子が受験するのです。合格なんて奇跡だよ、と娘に伝えました。
親としては娘が嬉しそうに苦手だった社会の問題の話をしてくれるだけで、戦ったことは無駄じゃなかった、次につながる3年間だったと思い、涙がこみ上げてきました。
夜の九時、ネットで合格発表。奇跡の合格!!最後にS校に拾っていただけました。
宮本先生は我が家より先に確認されておられ電話をくださいました。電話口から先生の興奮した様子が伝わってきました。「おめでとー!」最後に叫んでおられました(笑)
三年間の努力と諦めない気持ちが実を結んだ価値のある合格。こうしてS校合格は娘に笑顔と自信を取り戻してくれたのです。
宮本先生は「第一志望でもいいくらいの学校だよね。」とおっしゃって、とても喜んでくださいました。今振りかえると、S校の出題と娘の相性がたまたまよかったんだと思います。
改めて思うのは宮本先生が娘に勉強の仕方や楽しさを教え、しっかりと力を伸ばしてくださっていたのだなぁということです。そして教えてくださった勉強の仕方はきっとこの先も娘の肥やしとなっていくのだと思います。中学受験がゴールではないのですから。
 アテナにお世話になったのは6年生の一年間だけでしたが、この一年間の娘の成長は宮本先生なくしては語れないくらい濃い時間だったように思います。
宮本先生には感謝の言葉しかありません。
本当にありがとうございました。
そして共に戦ったアテナのお友達にもありがとう&お疲れ様でした、と伝えたいです。

余談ですが、実は1月29日に下の娘がインフルエンザになるというハプニングがおそい、恐ろしい緊張感に我が家はつつまれました。完全隔離し無事乗り越えました。娘の友人は肺炎で入院し病院から車いすにて保健室受験をしたり、別の友人は骨折して足を引きずりながら受験したりと、さまざまでした。
いろんなことを想定して本番に臨みますが、想定外のアクシデントやハプニングはおこりうるものだと思い知らされました。
そして、それもひっくるめてすべてが受験なのだと思います


Y・Hくんのお父様の中学受験体験記

2016年度 巣鴨中・茗溪学園中 他合格

【なぜ受験?~我が家のきっかけ】
当初、長男は受験に向いていないと思っていた。小さい頃からマイペースな性格で競争が嫌い。幼稚園の頃は周囲がサッカーや野球を始めていても見向きもしなかった。それでも何かスポーツをさせたいと思い、いろいろ勧めた結果、ようやく本人が気に入ったのが空手だった。当時、仮面ライダーに憧れていたのもあるが、恐らく気に入った一番の理由は「周りで誰もやっていないから」だったようだ。それほど競争が嫌いで、裏を返せば自尊心が高い性格は受験には向かないと思っていた。
また、私と家内は地方出身。東京の受験事情はおろか、どんな学校があるのかさえ全く予備知識が無かった。当然ながら中学受験という言葉はどこか他人事のようにしか思えなかった。故に長男が小学4年生になって、多くの学校のお友達が塾に通うようになったという話を聞いても、「ウチもそろそろどこか通わせた方が良いのかねぇ?」とのんびりした会話をしていたくらいだった。
ところがある日突然、長男が自分から「中学受験したい」と言い出したのだ。クラスメートとの会話の中で受験が話題になっていたこともあったが、学級内に粗暴なグループが出来ていて、「中学生になったら楽しく遊べる友達が多い学校に行きたい」というのが大きな理由だった。この当時、宇宙に関心が高かった長男は「宇宙の話が出来るような友達がたくさんいる学校に行きたい」と。健気で、涙が出そうになった。「よし、それなら中学受験をして、そういう友達がたくさんいる学校に行こう!」こうして我が家の中学受験がスタートした。
ちなみにその後、学校では素敵な先生に恵まれ、粗暴なグループも雲散霧消。今や卒業したくないと言い出していることは学校の名誉のため付記しておかなくてはなるまい。

【どこの塾が良いのか?】
こうして我が家では塾選びがスタートした。大手進学塾のパンフレットを取り寄せ、ネットでの評判とにらめっこする日々が続いた。ただ調べれば調べるほど、長男の「競争嫌いで自尊心が強い」性格には向かない気がして、家内とため息ばかりついていた。
一方で、私自身の大学受験での経験も塾選びを慎重にさせていた。やみくもに問題を解くのではなく、常に俯瞰で全体像を捉え、穴を埋めていけば試験には対応できる、目標とそれに向けた全体像さえ見えていれば、最終到達点に至るまでのプロセスはどんな方法でも良い…そんな自らの経験に基づく思いが常に頭の中にあった。
では中学受験はどうなのか。いくつかの参考書を手にとって確認してみた。大学受験に比べれば覚えるべき単元の分量も少なく、算数ならテクニックは100程度。全体像の把握は容易だ。ならばそこまでいかにアプローチするか、その方法論だけが重要だと考えるようになった。
すなわちどんな塾へ行っても結果として覚えるべきポイントは一緒だ。ならば面倒見が良くて、長男にやる気を持たせてくれる塾が良い、そう考えた時、某大手進学塾でなくてはならないという固定観念は自然と消えていった。自尊心が強い長男には、塾で上位に入るという達成感、成功体験が味わえる方が良いーすなわち少人数の塾が良いのではないかというのが夫婦で出した結論だった。

【なぜアテナ進学ゼミだったのか?】
それではどこが長男の性格に合う塾なのか。そんな時、偶然手にとった本が宮本先生の著書「はじめての中学受験」だった。中学受験初心者の私と妻にとって、まず受験の全体像・実情を把握しようと思い購入したのだった。今思えば、最初にこの本に出会えてよかったと思っている。特に東京の中学受験初心者である我々にとってはいちいち納得できる内容ばかりだった。読後、会社に行く前に妻に「読んでみるといいよ」と勧めたことを覚えている。一方、妻にとっては内容はもちろん、著者である宮本先生の塾が自宅近くの吉祥寺にあるということが驚きだったようで、何かヒラメキのようなものがあったのかもしれない。帰宅すると、妻が一言。「この本の先生の夏期講習の体験入塾に申し込んでみたの」-妻の行動は素早かった。
本を読んだだけで決めた?拙速すぎるのではないか?と少々驚いたが、調べると「しゃかりか教室」や京都・鎌倉の旅行など、他の塾にはないプログラムがあったり、何よりアットホームな雰囲気があることがわかった。「こりゃあ、塾というより家庭教師がつくような感じだなぁ。もしかしたら掘り出しモノかもしれない(失礼!)」…そんな印象を強く持ち、夏期講習の受講が始まった。
程なくそれは確信に変わり、4年の秋には正式に入塾することとなった。

【中学選びのポイント①~どんな6年間を過ごさせたいのか】
さて、ここからようやく中学選びである。ネットで調べていくと開成、筑駒など有名難関校の名前は度々登場する。しかし有名難関校であるということ以外、どんな学校なのか、どんな学校生活を送ることができるのか全く知らなかった。裏を返せば自分たちの中に偏差値以外の指標が無いことに焦りすら覚えた。一方で、偏差値一覧を見ても知らない学校ばかり。偏差値が高いと言っても、そこにどうしてもバリューを見出せないでいた(後から思い返せば、そこにあまり縛られなかったのは幸いだったと思う)。
そこで「とにかくせっかくの6年間なんだから、しっかり勉強をさせる学校、しっかりいろんな体験をさせる学校に行って欲しい」という観点だけで学校を選ぶことにした。「5年生になったらどんどん学校説明会に行ってみてくださいね」という宮本先生のアドバイスもあり、いくつもの学校に実際に足を運んでみた。また、できる限り長男を連れて行き、雰囲気を感じさせ、どこが気に入ったか確認していったりもした。学校見学と塾の授業が重なると、相談すれば授業スケジュールを配慮して頂けるのもありがたかった。ネットで評判も確認したが、意外に勤めている会社でも探すと身近に卒業生がいたり、既に子息が通っていたりして、会社の同僚や先輩から実情に近い話を聞けたのは極めて貴重だった。
こうして6年の夏までに志望校が4つ程度に絞られていった。いずれも「面倒見が良い」「しっかり勉強させる」「学校行事が充実している」「文武両道で部活にも力を入れている」といった学校で、6年間は充実したものになりそうだし、まだおぼろげではあるが長男の将来の希望にも応えてくれそうな学校だった。宮本先生から「いいと思います!教員・教育内容・カリキュラム等、多くの点において信頼できると思います!校風もマッチしている部分も多いと思います。」とアドバイスを頂いたのも心強かった。

【中学選びのポイント②~宮本先生のアドバイス「問題の相性」も重要な要素】
「まずは過去問を解いてみましょうか」-宮本先生の指導で、4つ程度に絞った志望校のうち、もっとも長男の性格に合っていると思う中学の過去問にチャレンジしたのが6年の初夏であった。ところが当然とはいえ結果は惨憺たるもの。算数に至ってはほとんどお手上げ状態だった。この時、宮本先生の言葉が強く印象に残っている。「問題にも相性というものがあるんですよ。学校選びで相性の良さは重要ですが、入試問題にも相性があって、相性が悪いと何回やっても絶対に解けない。入試問題との相性の良さも重要な学校選びの要素なんです。」-そんなアドバイスをしていただいたと記憶している。
確かにいくら学校が良くても合格しなければ始まらない。同時に、いくつか回った学校説明会で「入試問題は学校からのメッセージなんです」と言われたことを思い出していた。中には倍率が異常に高く、セレクションをするために難問奇問ばかりを出す学校もあるのかもしれないが、評判の良い学校は「こんな生徒が欲しい、こんな能力に長けた子供に入学して欲しい」という思い、メッセージを込めて入試問題は作成されているという。
基礎学力を問うものから、発想力・ヒラメキなどを問うものまで問題には傾向というものがある。4つ程度に絞っていた志望校のうち、長男に最も問題の相性が良い、フィットしていたのは「巣鴨中学校」だった。

【過去問の徹底】
いくつも回った学校説明会で、巣鴨中学だけは堂々と「我が校の入試問題はあえて傾向を変えません」と宣言。さらには「合格するには過去問を何度も解き込むことです。少なくとも2~3回はやってください」と合格対策まで説明したので少々驚いていた。
すなわち巣鴨中学はあえてゴールを示すことで、「そこに至るまでの努力を見たい。コツコツ努力する子供に入ってきてほしい」というメッセージが入試問題に込められているのだと受け止めた。
気に入った!長男にもそんな学校生活が一番合っているかもしれない、それならば!と巣鴨中学を第一志望とすることを宮本先生に伝え、学校説明会で聞いた内容をお話しした。宮本先生のアドバイスは心強かった。「こうなったら巣鴨の過去問と心中するつもりで頑張りましょう!」こうして秋から、先生とは常にメールで進捗状況をやり取りしながら、毎週末ひたすら過去問を何年も遡って解き続ける日々がスタートした。

【思春期の心的不安との闘い】
長男をめぐっては思春期特有の感受性の強さが心的不安へとつながり、いろいろなタイミングで宮本先生にはかなりのご心配をおかけしたことを記さないわけにはいかない。特に5年生の時は、学校や塾の宿泊を伴う行事の直前になると不安になり、そのことばかりが思い出されて授業にも集中できない、時には自宅で泣きじゃくるという時期があった。何度も先生からは「今日は極めてテンションが低いのですが、何かご家庭であったでしょうか」との心配するメールも頂いた。伊豆大島の合宿では急に体調不良となり、先生に病院に連れて行って頂くなど、多数のご迷惑をおかけしたことと思う。
ただ1つずつ、1つずつ不安を取り除き、行事に送り出し、楽しい体験をすることで自信をつけていく…こうした積み重ねがなければ今の長男はなかったと思う。6年夏の京都・奈良旅行では今までの精神的な不安定さは何処へやら。自ら「旅行が楽しみ」だと出発までの日数を指折り数えるまでになった。先生にはチームリーダーに任命して頂き、これもまた大きな自信につながったと思う。苦しい時期を一緒に乗り越えて頂いたことは感謝に堪えない。

【受験を振り返って】
思い返せば、我が家の場合、6年の夏までが「勝負」だったように思う。当然ながら塾ではここまでに網羅すべき全ての単元の授業がほぼ終了。「頭の中で筆算する」など、宮本先生からは常に「脳をフル回転させる」授業及び指導を頂き、基礎学力そして”地頭力”は十分に身についていたように思う。
そこで6年の夏からは先生にアドバイスをいただきながら、どの中学が最も合うのかを決め、そこに必要な努力、苦手な単元の絞り込みや弱点の把握をしていくことになった。一般的な塾では少し早いのかもしれないが、これらを6年の夏~秋にできたことが大きかったと思う。さらに精神的な不安とも戦い、克服できたのもこの時期だったのは幸いだった。
そこからはまさに「過去問との心中」で、ひたすら過去問を解き、間違ったところを解き直し、弱点を補強していく…この繰り返しが大きく点数を引き上げて行った。年明けには先生から「巣鴨はおそらく十中八九受かります」と太鼓判を頂いたことも、本人にとっては喜びであり、自信になっていったと思う。そして受験当日に「まるで模試を受けているような気分だった」と話していたように、リラックスした状態での受験につながっていった。

【最後に】
合格から1か月。長男は早速、前評判通り巣鴨中学の大量の”宿題”に日々追われている(巣鴨中は「合格しても遊ばせない主義」なのだそう)。そんな中、まだ余裕があるのか長男は「大学生になったら宮本先生のところでバイトさせてもらおうかな」などと随分先のことを話していたりする。微笑ましく聞いてはいるが、まさにこれはアテナが「家庭教師のような塾」だったことを物語っていると思う。
そして私自身のアテナに対する当初の想像は「確信」から、いまや「感謝」に変わったのだった。末尾となるが宮本先生には改めてお礼を申し上げたい。